2017年3月15日水曜日

子どもの進路にエールを送る

人は、時に人生の大切な選択肢に出会います。
どちらの道を選択するか、迷い、立ち止まります。
その選択は、自らの意思で決めなくてはなりません。
そうしないと、自分の進む道に責任を持てなくなります。

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R君はとてもラッキーなことに、P高校とQ大学付属高校の両方とも受かりました。
・P高校は偏差値がより高く、一流大学に多数進学しています。
・Q高校は大学の付属高校で、スポーツなどの部活動が盛んです。
R君はどちらを選択するか迷いました。
父親はP高校を勧めました。
R君は父親の言うとおり、P高校に進みました。ところが、、、

優秀な生徒が集まるP高校のレベルは高く、中学までクラスでトップだったR君にとって、今まで経験したことのない大きなショックでした。希望して入った野球部も仲間や先輩とうまくいかず退部して、学校にも行くことができなくなりました。

R君は、次のように言います。
本当はP高校ではなく、Q高校に行きたかった。
大学受験を気にせず、好きな野球に打ち込みたかった。
P高校の野球部は僕に合っていない。
P高校に行けと言った父親のせいで、僕はこうなった。

R君の父親にもお会いしました。
P高校をRに押し付けたつもりは全くない。
ただ、父親の意見として、P高校に入って、大学はより高い目標を目指してみたらとアドバイスしただけだ。それも、強く言ったわけではない。
しかし、当時、仕事が忙しくて、Rと接する機会が限られていた。わずかな機会に言った一言が、Rの心に残っているんだろう。

R君は、
父親と落ち着いて会話したことがあまりない
と言います。
R君にとって、父親は話しにくい、畏怖する遠い存在でした。
その父親の一言を、必要以上に重く受け止めてしまったようです。

その後、R君と父親は話し合う機会を多く持ち、高校にも行けるようになり、無事に卒業しました。一浪の末、Q大学に合格しました。
P高校の同級生たちは、みなQ大学よりレベルの高い大学に進学しています。

初めからQ大学付属高校に行っていれば、こんなに悩んだり苦労せずに現役でQ大学に行けたのに、すごく回り道をしてしまった。。。

これも、R君にとっては大切な人生の回り道だったのでしょう。
R君はQ大学を卒業して、立派に社会に巣立って行きました。

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子どもがひきこもり始めた初期には、無理に働きかけたり励まさず、安心してひきこもることができる環境を家族が整えます。
しかし、これは初期の段階です。

ある程度の時間、休息できた段階で、親は安心してひきこもりから脱して前に進む力を与えます。
子どもが自らの力で前に進むことが一番なのですが、長期間ひきこもっていると、そのような力を見失ってしまいます。その時は、親が良い意味での指針を子どもに与えます。

しかし、これは親にとって想像以上に難しいものです。
・子どもの自主性を尊重したい。
・親の考えを押し付けたくない。
・親の影響を与えたくない。
と考えます。

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私の子どもの話をしたいと思います。
高校を卒業した次男は、第一志望のA大学と第二志望のB大学を落ち、第三志望のC大学に受かりました。
ところが、C大学の入学金を納めた後に、B大学から補欠合格の通知が来ました。
次男は、入学金はもう戻らないのかと尋ねてきます。
私と次男とのLINEのやり取りを紹介します(ほぼ原文のままです)。

父親:お前の人生だ。お金のことは気にせず、よく考えてごらん。

次男:どっちかっつーとC大の方がやりたいことできるんだよね(笑)。
B大の方が名前は良いから考えていたけど、あんまりやりたいことできないんだよねー。

父親:そうだ。名前とかブランドではなく、内容を見てお前が本当に誇りを持って打ち込めるかだ。
就職の時、文系はどうしても大学のブランドが効いてくる。その点、工学系は具体的に学ぶから、就職の時、大学で何を勉強したか聞かれると、この学生はマトモにやってきたか、遊んできたか、すぐわかっちゃうんだ。そういう意味でオマエが本当に打ち込める方に行きなさい。

結局、次男はC大学を選択しました。
私は内心、B大学を選んで欲しかったのかもしれません。
別の機会に、私は子ども達に次のように話したこともありました。

学歴社会。
大学のランクとか偏差値って、昭和の価値観なんだよ。
パパが十代の頃、日本は高度経済成長期だった。
たくさん努力したら、より多くの幸せが得られると、社会のみんなが信じていたんだ。
当時は終身雇用制だから、学校を出て就職したら、定年までその会社を勤め上げる。
学校のレベルと会社のレベルも、ある程度は相関していた。
今ほど豊かな社会じゃなかったから、賃金の高い会社の方がお金持ちになって、より幸せになるってのも、ある程度は正しかったのかもしれない。

でも、平成の今は違う。
経済成長は限界に達し、終身雇用制も崩れ、誰でも転職する時代だ。
高学歴でも、社会に出てからどんどん下がっていく人もいるし、その逆だっている。
パパはそういう人々をたくさん知っている。
つい最近も、一流企業で過労自殺が問題になったでしょ。
学歴の差が、年収や幸せに直結しなくなったんだよ。
なのに、昭和を生きて来た親や高校の先生やたちは、未だに偏差値とかにこだわっているんだ。そんなの、全然関係ないじゃん!

これは子ども達へというより、実は、未だに昭和の価値に囚われている私自身に対する自戒のメッセージなのです。
私は、クライエント家族の方々から多くのことを学ばせていただいています。
子どもの成長を見守る親の不安は、私もたくさん持っています。

・親の価値を、子どもに押し付けてはいけない。
・しかし、子どもに親の価値と期待を良い形で与え、前に進むエールを与えます。

ということも、学ばせていただきました。

次男に、
B大学に行きなさい。
とは言えませんでした。

・Aの選択肢も、Bの選択肢も、同等に可能であること。
・それを決めるのは次男自身であること。
・決める際の選択基準、考え方を与えること。
・子どもが選んだ道を肯定すること。

これらが、父親として子どもに言えるギリギリの線でした。

2017年3月2日木曜日

ひきこもり脱出講座の効用

ひきこもり脱出講座の参加者から、感想をいただきました。

 ひきこもり脱出講座に参加することが出来て、とても嬉しく思っています。
 今まで、ひきこもりの家族会や学校の親の会などには参加してきましたが、ひきこもりについての情報を得ることがメインとなり、親自身の変化や癒しには繋がりにくいと感じていました。
 初めての参加でしたが、今までの経験や気持ちを安心して話すことができました。田村先生や皆さんに受け止めていただくことで、また、皆さんのお話から気づきや学びを得ることで、この講座が親自身の成長を促してくれる場であることを実感しました。
 これから、この講座を通して私自身がどのように成長できるか、とても楽しみです。

ひきこもり脱出講座は今回で14回目となりました。
5−10名ほどの同じメンバーが、3週間おきに6回集まります。
前半は私の方からお話しして、後半は、参加者の方々から様々な話が出てきます。2時間があっという間に終わります。
初めて参加される方は、はじめは緊張されていますが、回を重ねるにつれ、だんだん慣れてきて、自分のご家族の話などをされます。なかなか他では人に話せないようなことでも、同じ境遇の方々なので、気軽に話すことができます。
そのようなやり取りを深めることで、単に知識を得るばかりでなく、親としての癒しや成長につながります。

 一番初めにこの講座に参加した時は、何かお話ししようとすると、涙があふれ出ていました。絶望感と不安感で押しつぶされ、自信を喪失していました。
 その後、何回か参加していくうちに、田村先生からの学びと、同じような悩みを抱えているみなさんの話を聴いて、少しずつ勇気が出てきました。
「子どもの親としてだけでなく、私自身の人生を楽しもう!」
と決心して、動き始めたら、家族が良い方向へ変わってきました。私が生きる楽しみを見つけて、喜んだり、感動したり、あわただしい日々を送っていたら、ちょうど良い親子の距離感が出来たようで、子どもは自分で考えて、自分で動けるようになってきました。

 6回のシリーズを終えた後も、続けて次のシリーズに参加される方も多くいます。
だんだんと、親の気持ちが前向きに変化していきます。すると、不思議なことに、子どもも気持ちが前向きになり、ひきこもっていたお子さんも、自然に外に出られるようになってきます。
 そういう意味では、「講座」というよりは、親の成長のためのグループ・カウンセリングに近いかもしれません。

子どもを信頼する力

私が子どもの頃、毎夏お盆の時期に愛媛県の母の実家に帰省しました。
親戚やいとこたちみんなで遊んだ海水浴は、とても懐かしい思い出です。
 
ある夏の思い出です。
たしか小学校高学年だったと思いますが、いとこのお兄ちゃんが沖にいるのを目指して、覚えたての平泳ぎで、プカプカゆっくり気持ち良く泳いでいました。
すると、突然手漕ぎの小舟が近づいてきて、「大丈夫ですか?」と、舟に乗せられ、岸に戻されました。
岸では親戚みんなが大騒ぎです。どうも心配性の叔母さんが、「タケシ君が溺れてる!」と叫んだのがきっかけだったようです。確かに岸から見れば潮に流され、溺れているように見えます。母はパニックで泣いていました。私としては、そんなに悪いことしていたわけじゃないけど、みんなに心配かけたのは悪いことだと思わざるを得ませんでした。
巣立とうとする思春期の青年たちは、自分の力で泳げるのか試します。
小さな子ども時代は、まわりの大人たちによって安全が確保されたプールで泳いでいます。
広い海はとても危険です。
勉強がうまくいかなかったり、友だちからいじめられたり、先生から叱られたり、クラブ活動の先輩や微妙な友人関係など。。。

親は不安です。
そんな危険な大海原を、この子は本当に泳げるのでしょうか?
泳ぎ始めは、みな下手くそです。はたで見てると、溺れるんじゃないかと心配します。
親としては、子どもを溺れさせるわけにはいきません。助け舟を出します。子どもは海から引き揚げられ、自分の泳ぎを習得する機会を失います。

本当に大丈夫なのでしょうか?
この子は、自分で何とか困難を乗り切る力を持っているのでしょうか?

その答えは、実際にやってみないとわかりません。
必死に泳ぐ当事者だって自信がありません。
周りの人が「あぶない!」と言えば、危ないし、
「大丈夫!」と言えば、大丈夫かなと思うしかありません。

親が心配のオーラを投げると、子どもも心配になります。
親が安心して子どもを見守っていると、子どもも安心して、何度か失敗しながらも困難な海を泳げるようになります。
ひきこもっていたAさんは、一大決心して、親から離れ自分ひとりで生活することにしました。親にとって、それまで身近にいたAさんの姿が見えなくなります。様子がわからなくなります。連絡しても、電話に出ません。コンタクトが途絶えてしまいました。ひとりで何してるのだろうか?とても心配になります。もしかしたら、死んでるかもしれない。。。そんな不安が親の心をよぎります。
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それではいけません。
子どもを心配し過ぎるのは、親のエゴです。
子どもを信頼してあげましょう。

この子は大丈夫だ。ひとりで泳げる!

その親の眼差しが、子どもを成長させます。
子どもを信頼せず、いろいろ干渉してくる親を子どもはとても嫌がります。
子どもは親の心配を拒否しようとします。
すると、子どもから拒否された親は傷つき、さらに心配します。
この悪循環が、巣立とうとする子どもを縛ります。