2016年11月30日水曜日

ひとりぼっちでも寂しくない生き方

人は、みな寂しいものです。
ひとりでは生きてゆけません。
誰か支えてくれる人が必要です。
ひとりぼっちの孤独は、辛くて生きていけません。

でも、人はひとりで生きていかなくてはなりません。
いくら人に囲まれていても、結局はひとりです。
孤独に耐えなければなりません。

どうしたら、人は孤独に耐えられるのでしょうか?

人がちゃんと生きていくためには、誰かとしっかり繋がっていることが大切です。
身体や生活が繋がっているだけでなく、心を繋げます

心の中で、誰かと繋がっていれば、ひとりぼっちでも寂しくありません。
親子でも、夫婦でも、恋人でも。
その人が、目の前に居なくても大丈夫です。

思春期は船出の時期です。
家族という古巣を飛び立ち、自立します。

誰かから肯定され、心の中でしっかり安心感を抱いていれば、そのつながりを糧にして、ひとりで動けます。知らない人の中に入って行く不安に耐えることもできます。

親は子どもを信頼します。
たとえ今は不十分でも、子どもの底力を信じます。きっと、できるはずだと。
巣立ったばかりの若者は、これで良いのか、みんなに受け入れられるのか、さっぱりわかりません。「それで良いよ」と言ってくれる人が必要です。
親は子どもをしっかり見守ります。
良いことをしたら、たくさんほめてあげます。
好ましくない時は、「それではダメだ!」としっかり叱りす。

その繋がりがないと、ひとりぼっちです。
ホントにこれで良いのかわかりません。自分の価値を生み出せません。
未知の世界に入り、他人と交わる不安に耐えられません。

大人も同様です。
パートナー同士がしっかり繋がっていると、ひとりは外で、もうひとりは中で、離れていても、仕事も、子育ても、安心してこなすことができます。

もし気持ちが繋がっていないと、一緒に生活していても、お互いに向き合えません。
家族に問題が起きても、協力して乗り越えることもできません。
子どもにも向き合えなくなります。

繋がる相手は、パートナーである必要はありません。
パートナーがいなくても大丈夫です。
だれか、繋がる相手を求めます。
友だちでも、先生でも、自分の親でも。

子ども時代を過ぎ、大人になっても、自分の親との繋がりはとても大切です。
親が生きていても、亡くなっていても。
そばにいても、いなくても構いません。
肯定的で、安心感に満ちた親との繋がりを心の中に保持していると、その安心感を胸に抱いて、新しい人たちと繋がることができます。

あるいは神様との繋がりも有効です。
西欧の個人主義は、神との形而上的な繋がりを基盤に成り立っています。
日本社会では神の存在はそれほど目立ちません。
「世間」が「神」の役割を果たしています。

つながる相手は人それぞれです。
とにかく「大切な他者」の存在が必要です。

それを失うと、寂しさに襲われます。
孤独はあまりにも辛いので、何とか取り繕うとします。いろいろな生き方があります。

1) 例えば感情に蓋をして、寂しさを感じないようにする生き方です。
そうすれば孤独から解放され、一応、安全に日常を過ごすことができます。
しかし、それは仮の安定であって、何かの拍子に蓋が開いて寂しさが飛び出さないかと心配します。
また、悲しみや寂しさの刺激をブロックするために、怒りの防衛線を張り巡らします。
あるいは気持ちに蓋をする副作用として、喜びや感動などの豊かな気持ちも使えなくなります。

2) 寂しさを、なにか他のもので代償する生き方です。
お酒、薬物、ギャンブルやセックスなどにのめり込むことで寂しさを紛らわせようとします。少しの程度ならまだ良いのですが、依存すると、どうしてもやり過ぎてしまいます。自分でコントロールが効かず、やめたくてもやめられなくなり、おしまいには身を滅ぼします。歌手のASKAさんの覚せい剤逮捕がその例です。

3) 仕事に過剰に没頭して、無意識に寂しさや葛藤から目をそらす生き方です。
仕事に一生懸命なのは良いことなのですが、熱心なあまり、家族と過ごす時間が減り、家族関係から疎外されてしまいます。家族に困ったことが起きても、どうしてよいかわかりません。

4) 寂しさの相手を子どもに求める生き方もあります。
本来あるべきパートナーとの繋がりが得られないと、その繋がりを子どもに求めます。
親としては、一生懸命子どもに向き合い、愛情を注いでいるつもりでも、親自身が寂しさや不安に満ちていると、その気持ちが子どもに伝わってしまいます。子どもは親から愛してもらおうと、親の気持ちに添おうと努力します。
その結果、親と子がマイナスの気持ちで繋がり、不安の綱引きが始まります。
君はまだ未熟で、無理すると危険な目にあう。心配だ。あまり出ない方が良いよと、
親自身の不安を子どもに投影します。
子どもは親の不安に縛り付けられて、外に出られなくなります。

以上の生き方は、あまり勧められるものではありません。

しかし、寂しさが容赦なく襲って来る時。
どうしたら、寂しさを抱えながら、ひとりで生きていけるのでしょうか?

正直に自分の気持ちに向き合い、蓋をせず、自分の寂しさを認めてあげます。

これはとても勇気が要ります。
一人だけではまず無理です。
自分では向き合ったつもりでも、全然できていないという場合がよくあります。

必死で寂しさに向き合う自分を、見守ってくれる誰かが必要です。
その人は、家族ではないでしょう。
家族やパートナーがしっかり見守ってくれていれば、そもそも寂しくないですから。
その人は、自分の寂しさを直接埋めてくれる愛着対象ではありません。
でも、あなたの気持ちをしっかり理解して、その寂しさを包み込んでくれます。
その人の助けを借りながら、自分の心の中の「寂しさちゃん」を大切に受け止めてあげます。
それがうまくいったとしても、寂しさが消えるわけではありません。
寂しさは、相変わらず寂しいままです。
しかし、今までは耐えられなかった寂しさが、
受け止めることができて、耐えることができる寂しさに変わります。
そうすれば、寂しさを隠したり、他のもので補わなくても大丈夫になります。

そのようにして、自分の寂しい気持ちを、優しく飼い慣らすことができます。

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クリスマスを大切な人と過ごせない時は、
仕方なくひとりで過ごすのではなく、ひとりを積極的に楽しんでみましょう。
ひとりで、好きな映画や美術館、音楽会に行ってみてはいかがでしょうか?
好きな作家の小説を、好きな場所でゆっくり読むとか。
近くの公園を散歩したり、小さなひとり旅も良いかもしれません。

え〜〜、そんなの寂し過ぎる、、、

そう思うかもしれません。

大丈夫。寂し過ぎても、病気になったり、身体を壊すことはありません。
むしろその反対に、自分の寂しさを無視してケアしてあげないと、寂しさが暴れ出して、手に負えなくなります。

そして、大切なことは、ひとりで過ごした時間を、
「ひとりで○○したんだ〜!」と、本当は繋がりたい相手に伝えてみましょう