2016年12月27日火曜日

家族関係の大掃除

毎日生活していると、使用済みの物も、ゴミも、ホコリも、だんだんと溜まっていきます。
小まめに片づけ、掃除していればよいのですが、余裕がないと、ついほったらかしにして、溜まったものが積み重なっていきます。
すると整理がますます面倒になり、放置します。
家が、どう手を付けてよいかわからないモノで占拠され、生活スペースが少しずつ狭くなり、不便な生活を強いられます。
気がつかないうちに、生活がうまく機能しなくなります。
そういう時は、意を決して家の大掃除をしなければなりません。

心の中も同様です。
ふだん生活していると、どう処理していいかわからない気持ちが溜まってきます。
棚上げして放置していると、だんだんと心のスペースが狭くなり、心がうまく機能しなくなります。

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花子さん(仮名)の息子は、ひきこもっています。
母親から、いろいろ働きかけても、一向に動き出そうとしません。

花子さんは、父親からも声をかけてもらいたいと密かに思っているのですが、夫の一郎さんは子どものことに関心がないようです。
息子のことについて、夫婦でひざを交えて相談したいと思うし、そうしなければならないとアタマではわかるのですが、花子さんはどうしても一郎さんと向き合い、深い気持ちで話し合うことが出来ません。

夫婦の間には、長い間放置されたホコリがこびりついており、それを掃除できませんでした。
しかし、カウンセリングによって、家族関係の大掃除をして、息子がひきこもりから回復しました。

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初回のカウンセリングには、母親の花子さんが、おひとりでいらっしゃいました。
はじめは息子くんの相談だったのですが、だんだんと夫婦関係のお話に発展していきました。

実は、一郎さんは10年ほど前に会社の女性と浮気をしました。
お金をつぎ込み、家計も破たんし、離婚調停まで行きましたが、結局は離婚しませんでした。
やがて、一郎さんは浮気に終止符を打ち、妻の花子さんの元に戻ってきました。

今は、落ち着きを取り戻し、ごく普通の家族生活です。
しかし、あれ以来、花子さんは一郎さんの不倫を誰にも語ったことがありません。
夫婦でも、その話題は避けてきました。
花子さんは、未だに一郎さんに対する心のわだかまりを抱えています。それはどうしようもなく、あえてそのことに触れなくても日常は平穏に過ぎます。
この10年間、花子さんのわだかまりの気持ちは棚上げして触れないようにしてきました。

息子のひきこもりが始まり、両親が協力して息子のことを相談するべきということは、頭ではよくわかっています。しかし、花子さんは気持ち的に、どうしても一郎さんと向き合い、素直な気持ちになりません。今回、花子さんが相談にやってきたことは一郎さんには話しておらず、今後、一郎さんに来てもらうことは仕事が忙しいので無理とのことです。

男の子が自立を達成するとき、父親の役割はとても大切です。
私は、次回、父親にもカウンセリングに来てもらおうかと、内心考えていたのですが、花子さんのお話を聞いて、どうもそれはとても無理そうだと考えました。
父親の協力はあえて求めず、母親と本人のカウンセリングを進めていくしかないと考えました。

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ところが驚いたことに、2回目のカウンセリングに、ご両親が揃ってやってきました。
あれっ、花子さんは一郎さんと一緒には来たくないのではと内心思ったのですが、どうしたことでしょう?

花子さんは、1回目のカウンセリングの後、初めて息子のことを一郎さんに相談することができました。一郎さんも、息子のことはどうにかしないとと思っていました。土曜日の午後に仕事の都合をつけ、夫婦揃ってカウンセリングにやってきました。

花子さんのお話を伺った私は、一郎さんは浮気をしたくらいだから、家庭を顧みない男性なのかなと想像していたのですが、実際にお話ししてみるとそんなことはありません。家族思いで、昼間も息子のひきこもりのことを考え、仕事が手につかないんだと語りました。

それを聞いた花子さんはびっくりしました。
夫は、仕事ばかりで、家族のことなんかちっとも頭にないと思っていたのに、全くそうではなかったのです。花子さんは一郎さんをカウンセリングに連れてきて良かったと思いました。

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3回目のカウンセリングでは、それまで拒否していた息子さん本人も一緒に、両親と3人がやってきました。2回目のカウンセリングの後、一郎さんが初めて息子に話しかけたのです。今までは差し障りのない話だけで、「今後、どうするんだ?」というような深刻な話は一切避けてきました。しかし、今回、妻とともにカウンセリングにやってきたことで、一郎さんも思い切って息子に話しかけてみようと決心しました。

息子からどんな反応があるだろうか、黙ってしまい、また引っ込んでしまうのではと心配していたのですが、父親の質問に案外素直に答えてくれました。そして、カウンセリングに行くことも同意してくれました。

息子くんは、カウンセリングの場で、想像以上に自分の胸の内を語ります。
中学までは成績も上位だったが、進学した進学高は頭の良い人ばかりで、自分はついていけない、自分の居場所がないと思い込むようになったこと。
高校は退学して、自分で高認(高校認定試験)を受けて、将来は大学に行きたい。
ということを、初めて親に語りました。
両親は、今まで全くわからなかった息子の気持ちがわかり、想像以上にしっかり自分の将来を考えているので、安心しました。

〜〜〜

4回目の面談では、息子くんが学校に行き始めたことが報告されました。
その前の週まで、本人は今の高校をやめて高認試験をとるつもりだったのに、父親と話し、カウンセリングに来てから、気持ちが180度、変わったようです。

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以上のように、息子くんは、あっという間にひきこもりから回復しました。
そのきっかけとなったのは、
・初めて、「これからどうするのか?」という微妙な話題を、父親と落ち着いて話し合えたこと。
・初めて、本人がカウンセリングに来れたこと。
などが挙げられます。

しかし、そのきっかけを作ったのは、母親である花子さんの心の大掃除でした。
花子さんは、今まで、夫の浮気の辛さを誰にも語ることができず、心の中で棚上げしていました。
カウンセリングの場で、その気持ちを、初めて第三者に語ることができました。
胸につかえていた気持ちが軽くなり、初めて夫婦で心の底から向き合うことができました。
しかし、10年前の不倫と離婚騒動について、夫婦で話し合ったわけではありません。そのことはカウンセラーに語っただけです。
しかし、そのことが家族関係の風通しを良くして、両親が今までできなかったことをできるようになりました。
それまでは怖くて切り出せなかった話題、つまり息子の将来という話題を、家族の間で避けずに話し合えました。
その結果、息子のひきこもり問題が一気に解決したのです。

2016年12月21日水曜日

心の玉手箱を開けよう!

人は、誰でも心の中に玉手箱を持っています。
ギリシャ神話風に言えば「パンドラの箱」です。
そこにはたくさんの気持ちが詰まっています。
しかし、それは開けてはいけません。
なぜなら、人間世界のさまざまな「災い」が詰まっているからです。

悲しみ・恨み・病気・死・盗み・裏切り・不安・争い・後悔 ・・・・

不用意に開けると、これらが勝手に飛び出してきて、収拾がつかなくなります。
とても平穏に生活できません。

箱は無理に開けなくて良いのだと思います。
人のプライバシーは尊重されます。
人に見せられる良い面は見せて、見せたくない面は隠します。
自分自身に対しても同様です。
自分で認めたくないイヤな部分、辛い・汚い部分は、自分自身の意識からも隠します。
それで良いじゃないですか。玉手箱は棺桶まで持って行くことだってできるかもしれません。

しかし、それは真に人間らしい生き方ではないと思います。
人に対して、そして何よりも自分自身に対して正直でいたい。
誰しもそう思うでしょう。

別に、そんなきれいごとでなくても良いのです。
イヤだけど心の玉手箱を開けなくてはならないときのことを考えてみましょう。

不安や恐怖、悲しみなどの辛い出来事は、感じるのを避けたいので、玉手箱の中に放り込んでしまっておきます。
量が少なければ何とかなるのですが、ごみがたくさんたまってくると、玉手箱からあふれてきます。
すると、大きな箱に取り替えます。
心のスペースを占領してしまいます。
玉手箱は基本的に、心として使えないので、それが大きくなってしまうと、心をうまく使えなくなります。とりわけ、感情が使えません。

理性は構いません。理屈で進める仕事や家事などは大丈夫です。
しかし、感性が機能不全に陥ります。
たとえば、喜びの感情を使えなくなり、喜びや楽しみを感じられなくなります。
自分の気持ちをはっきり相手に伝えられなくなります。
無理に伝えようとすると、イライラや怒りとなって伝わってしまいます。
相手の気持ちを受け取れず、怒りや無視の防衛線を張り巡らせます。
その結果、家族関係がうまく切り盛りできなくなります。

家族は気持ちの繋がりで成り立っています。
夫婦でも、親子でも、言うべきことは自信をもって相手にはっきり伝えます。
相手の気持ちが自分にとって不快であっても、そのために巻き起こる心配や恐怖に持ちこたえ、受け取ります。
そして、協力して、家族の困難を乗り越えます。

家族が平穏無事の時は、無理して玉手箱の中を覗く必要はありません。
しかし、家族が協力して乗り越えるべき課題が出てきたら、あえて、危険を冒しても、パンパンになった玉手箱を大掃除しなくてはなりません。

どのようにして玉手箱を開けることが出来るのでしょうか。
それは、自分自身との闘いです。

自分の心の片隅を照らしてみましょう。
今まで見たくない、考えたくないイヤな出来事や体験はありますか?
基本的に見たくないのですから、探そうとしてもなかなか出てきません。
でも、実は心の奥底に隠れていたりします。

それを見出したら、表現してみましょう。
自分でそれを認めます。
ひとりで日記に書いてみても良いでしょう。
「日記さん」という相手と対話します。

もっと効果が高いのは、その気持ちを一緒に受け止めてくれる人を見つけ出し、一緒に開けてみます。
辛い気持ちを丁寧に取り上げ、確認して、認め印を与えましょう。
そうすれば、その気持ちは整理されたことになります。

パンドラの箱から、さまざまな「災い」が飛び出した後、一番最後に箱の底から出てくるのは「希望」です。
人は、誰でも心の一番奥底に、希望と自信を持っています。
しかし、その上にたくさんのゴミがたまると、希望と自信を見失います。
その結果、失望と自信喪失しか得ることが出来ません。

希望を回復すれば、
何気ない毎日の生活を「楽しい」と感じるようになります。
大切な人に、大切なメッセージを自信をもって伝えることが出来ます。
人から与えられた傷を、自分の力で回復させることができます。

多くの方々が、パンパンに詰まった玉手箱を、私のクリニックに持参されます。
当人たちは、そのことに気づいていませんが、私から見ればよくわかります。
そして、丁寧に、そっと優しく箱のふたを開けて、少しずつ整理していきます。
すると、辛さから解放され、心の健康を取り戻されていきます。

どうぞ、みなさんも勇気を出して、心の玉手箱を開けてみましょう!

2016年12月14日水曜日

支援者性と当事者性は循環している

人は強さと弱さの両面を持ち合わせている。
その両方を否認せず、自分自身で受け止めることが、人間としての真の強さである。

人は誰でも支援者性と当事者性の両者を持っている。
そして、その両者は循環している。

その両者が自分自身の中で統合された時に、ありのままの人として、自信を獲得できる。


1) 支援者から入ってくる場合

なぜ、精神医学、心理学、看護学、福祉学などを専攻しようと思ったのですが?

よく大学生にこのような質問を投げかけると、次のような答えが返ってくる。

  • 人の心理に興味を持ったから。人間に興味を持ったから。
  • 悩んでいる人を助けたいと思ったから。

その思いは純粋で良いのだが、その陰には自分自身の悩みや家族の問題を理解したい、どうしたら解決できるのかを知りたいという動機が隠されている。私自身もそうだった。

良き支援者であるためには、当事者であってはいけないのか?
そんなことはない。人は誰でも当事者・支援者の両面を併せ持つ。

支援者性は自身の強さを基軸としている。
自分のパワーを他者に分け与える。その分だけのパワーを自分は持っているという前提である。

当事者性は、自身の弱さを基軸としている。
自分のパワー不足を他者から補ってもらう。
そのためには、弱さ(問題)を抱えているということを認めないとならない。
しかし弱さを開示するのはとても危険な行為である。

支援者は、自分の当事者性を完全に解決する必要はない。
人は、誰しも弱みや悩みを持っているわけで、そのこと自体が問題ではない。
問題なのは、そこから目を逸らすことである。
自身の弱みにちゃんと向き合い、そのことを客観視、客体化できていることが重要である。
弱みを否認し、鎧で隠したり、acting outして隠そうとせず、抱いている否定的感情をコントロールできていることが大切だ。

誰しも、当事者席に座るのは辛いので、避けようとする。

私の所には、よく親が子どもの問題を解決したいと相談にやってくる。
診察を受けるのは、子どもで、親ではない。
子どものお腹が痛いから、、、親はあくまで付き添いであり、子どもを支援する親の立場をとる。
ところが、家族療法となると、親も当事者となる。

家族療法の考え方をよく説明する。
親が問題だと言っているわけではない。
家族の問題点(マイナス)を取り除くのではなく、
家族の力(プラス)を引き出して問題を解決するのが家族療法です。
しかし、いずれにせよ親も当事者席に座らなければならない。
患者さんになったら、服を脱いで、診察を受ける。付き添い者は服を脱がない。
普段は服や鎧で隠し、外からは見えないようにしている自分の内面を見せないといけない。
自分がまな板(診察台)の鯉になる。
誰しも、診察台には上りたくない。服を脱いで自分の姿を晒すことは、とても勇気のいることだ。自分の恥ずかしい面、人には見せたくない、弱い面を見せなければらない。
それを避けようとするのは当然である。

人に関わる支援職に就こうとしなければ、鎧を一生まといつづけ、弱みを隠していても、十分に短い人生は全うできる。

しかし、支援者として他者の痛みに共感するためには、鎧を脱いで、自分自身の弱み(当事者性)から目を逸らさず、向き合わねばならない。
自分の弱みを認めることができたら、クライエントの弱みをそのまま認めることができる。
支援者としてとても重要な要素である、「深い共感性」を達成できる。

2) 当事者から入ってくる場合

うつ病体験や、子どものひきこもり体験など、自分自身が以前に当事者であった体験をもとに、同じことで悩む人を支援したいという人がいる。
いのちの電話などの市民支援団体に参加したり、インターネットを用いて支援を呼びかけたりする。

これは両刃の剣である。
自身の当事者性にしっかり向き合い、自分の弱さを隠さず認めることが出来ていれば、
同じ悩みを持つ人に対して、高い共感性をもとに支援することができる。
また、抱えている問題がある程度めどがつき、落ち着いていなければならない。

それが不十分で中途半端だと、支援者として機能するのは難しい。

なぜなら、支援者自身の当事者性を、無意識のうちにクライエントに投影してしまうからだ。
また、未解決の当事者性の部分にクライエントが近づくと、支援者自身が辛くなり、拒否反応を示したり、客観的に考えられなくなる。
たとえば、「父親」、「いじめ」といったテーマである。
その部分に近づくと、クライエントの気持ちに寄り添うことが困難になるばかりでなく、支援者自身の未解決の葛藤をクライエントに無意識のうちに投影してしまい、クライエントを傷つけてしまう。

自分自身の当事者性を解決するという目的で、支援者になってはいけない。

相手に上手に向き合うためには、まず自分自身に上手に向き合うことから始める。

田村毅研究室では、個人スーパーヴィジョンや、「グループ・スーパーヴィジョンの夏合宿」などで、安全に支援者自身の自己に向き合う場を提供しています。

説明会参加者からのご感想

2016年12月10日(土)に田村研究室の説明会を行い、

  • 相談・診療の具体的な手順
  • 家族療法の説明
  • ひきこもりの理解
  • 相談に通い、問題が回復した実際の事例

などをご説明いたしました。

参加者からの感想をご紹介します。

  • 参加者A) 何か月も過ぎてしまったケースでは、回復がどんどん難しくなっていくのでは、という不安が大きいです。若い十代の、一番勉強も社会性も身に付く期間が失われてしまっていることが心配です。今後、どのようにして社会参加していけばよいのか想像が出来ません

⇒将来の見通しが立たず、どうなるか想像できない。。。ということほど不安なことはありません。
親が子どもに向けるまなざしから、不安や心配の色が払しょくされる日はありません。
 どの親も、不安感を抱きます。しかし、その不安・心配の気持ちが家族の中で停滞すると、家族間でマイナスのキャッチボールが自然に起きてしまい、子どもも不安に駆られます。
 親が、どう親としての不安を払拭できるのか。そのことが子どもの元気復活にとってとても重要な課題です。

  • 参加者B) 具体的な診療方法や解決策についてよく理解できました。うちとそっくりと思うシーンもあり、少し不安が解消されました。このように直接お話を伺えるチャンスは重要と感じました。いろいろなキーワードがあり、大変ありがたいお話しでした。

⇒不安の気持ちを心の中に閉ざしていると、解消することはありません。
不安を言葉に表し、表出することが、その解消につながります。
状況は同じでも、それに対する不安感が軽減されると、新たな解決策が見えてきます。

  • 参加者C) 第一期から第四期までの「ひきこもり回復のプロセス」が理解できました。息子は長いあいだ自閉期(第2期)と試行期(第3期)を繰り返しているのだと認識できました。今後は背中を押すタイミング、チャンスを逃さないように、プラスのキャッチボールを続けていきたいと思います。

⇒いったんひきこもると、ずっとひきこもっているという風に誤解される方がいますが、「ひきこもり回復のプロセス」を理解してください。そうすれば、今、自分の家族の状況はどの位置にいるのか、基準を定めることが出来ます。そうすれば、この先の未来像をイメージすることも可能になります。

  • 参加者D) 親はどうしても自分自身の尺度で考えてしまうところがあると気づきました。今まで私は、「壁に穴が開く」なんてありえないと、そのことを考えないように避けてきました。しかし、先生が「家の壁に穴が開いて、、、」と具体例を話されたので、今まで自分で考えないようにしてきたんだということに気づきました。自分ひとりで考えてはいけないのだ、自分の方が変わらないといけないと思わされました。

⇒とても大切なことに気づかれたと思います。
説明会に参加されただけで、ここまで気づかれたということは、素晴らしいと思います。
このように、書いて説明してしまえば、当たり前のことかもしれませんが、ご自身にとっては、目から鱗、とても大きな気持ちの変化だったでしょう。良かったです。

親が子どもを社会に繋げていく+拒否られる怖さ

人は、一人ぼっちでは生きていけません。
誰かと繋がることが必要です。

思春期は、つながる相手を切り替える時期です。
生まれてから思春期の前までは、家族とつながっています。
クラスの先生や友達とも繋がっているかもしれませんが、家族がメインのつながる相手です。

子どもは家族とつながって、安全と安心を確保して、健やかに成長します。
ソトの世界は危険ですから、基本的に繋がりません。

小学校高学年から中学生にかけて、思春期が始まると、今まで守られていたウチの世界から飛び出し、自分の力でソトの世界と繋がろうとします。
社会の中に自分の居場所を見つけていきます。
学校や友人、職場の同僚や友だち、恋人や結婚相手、、、繋がる相手を確保して、自分の人生を築いていきます。

人とうまく繋がり、自分を認めてくれる人がそばに居ることは、とても大きな幸福です。

しかし、人とうまく繋がらないと、傷つきます
うまく繋がらないとは、どういうことでしょう?
ここでは、二つの例を考えてみましょう。

一つは、繋がった相手から危害を加えられ、危険な目にあう恐怖です。いじめられたり、不利益を被ったり、奪われたり。
そのような人とは繋がってはいけません。
繋がる相手を選ばなくてはなりません。

もう一つは、繋がりたい相手が繋がってくれず、拒否される怖さです。
無視されたり、裏切られたり、逃げられたり。。。
相手からNOと言われると、とても傷つきます。

この人と繋がりたいのだけど、私とうまく繋がってくれるのでしょうか?
そのことが前もってわかればいいのですが、実際にやってみないとわかりません。

こう考えると、人と繋がるって、とても危険を伴う行為です。
うまく繋がれば良いのですが、下手すると傷つきます。
それは、子どもも大人も共通です。

(1)まず、子どものことを考えましょう。

子どもから大人へと成長する中で、若者は色々な人々と出会い、うまくいったり(成功体験)、失敗したり(失敗体験)を繰り返しながら、徐々に人と繋がる自信を獲得します。そして、学校、職場、地域、家庭などに自分の居場所を見出していきます。

子どもが社会に出て、ソトの人たちと交流を始めたら、親の出る幕はありません。黙って、安心して、遠くから見守ってあげてください。子どもが勝手に失敗と成功の体験を身につけていきます。

しかし、そうなるまでには時間がかかります。
さまざまな理由から、人と繋がる失敗体験が先行してしまい、それを諦めて、繋がりから隔絶してしまっているのが社会的ひきこもりです。

そうなると、親の出番です。
親が子どもとしっかり繋がってあげてください。

なぜなら、ひきこもっている人たちに残された人との繋がりは家族だからです。友だちなど他の誰かと繋がっていれば良いのですが、そうでなければ選択の余地がありません。

親は、しっかり子どもの心をつかみましょう。
子どもに構ってあげましょう。
子どもをいじってあげましょう。

その際に大切なことは、プラスの力で繋がることです。
プラスの力とは、「肯定」、「安心」、「信頼」、「自信」などです

  • 君は前に進める力を持っている。
  • 今のように立ち止まっている必要はない。
  • 前に進みなさい。
  • ハードルを乗り越えなさい。
  • ハードルにつまづいても大丈夫。転んでも立ち上がり、次のハードルに向かいなさい。

そのように伝えてあげましょう。

えっ、そんなことして大丈夫ですか?
うちの子は、無理すると、つぶれてしまうかもしれません、、、
ハードルを飛べず、また失敗して、傷つき、致命傷を負って、立ち上がれなくなってしまうかもしれません、、、、

そういう気持ちを親が抱いている間は、子どもを押してはいけません。
なぜなら、親の気持ちがマイナス(不安、否定、自信喪失、不信)に傾いているからです。
この状態で親と子が繋がると、親の不安やイライラが子どもに伝わり、ますます動けなくなってしまいます。

(2)次に大人のことを考えてみましょう。

人と繋がる怖さは、成長する子どもばかりでなく、その子どもと向き合う親も同様に抱きます。

  • 親が言っても、子どもに拒否されるんじゃないだろうか。
  • 無視されるんじゃないだろうか。
  • せっかくリビングに出てきて、やっとここまで親子で会話できるようになったのに、そのことを言ったら、また部屋に閉じこもってしまうんじゃないだろうか。

親は、子どもとうまく繋がらないかもしれないという恐怖のために、子どもに言いたいことも、言うべきことも言えなくなってしまいます。

つまり、親は子どもと繋がることができません。
子どもがひきこもっておらず、ソトの人と繋がっていれば、別に親と繋がる必要もありません。

しかし、ひきこもり、ソトの世界と隔絶してしまうと、繋がる相手は親しかいません。
子どもが親と繋がれないと、繋がる体験を誰からも得ることができません。

そのような時は、親自身がまず「繋がる恐怖」、「失敗する不安」を乗り越えましょう。
親自身の気持ちが今、どうなっているか点検します。
マイナスの気持ち(不安、否定、自信喪失、不信)に傾いているか。
プラスの気持ち(肯定、安心、信頼、自信)に傾いているか。

親がプラスの気持ちをしっかり抱いていれば、親として子どもを愛する気持ちに自信を持ち、子どもから拒否される不安を乗り越えて、子どもに親の真心を伝えることができます。

子どもは、親と繋がることができた安心を胸に抱きながら、ソトの人たちと繋がることができるようになります。

親がマイナスの気持ちに傾いているときは、子どもと繋がる前に、親の気持ちを再調整しなければなりません。
気持ちをマイナスからプラスに持って行きます。

そんなこと、できるのでしょうか?
理屈でなんとかしようとしても、無理です。
いくら「マイナスからプラスへ、、、」と理性で理解したとしても無駄です。
気持ちは感性ですので、理性を働かせたところで別の次元の問題です。

では、どうしたらよいでしょうか?
他者からプラスのエネルギーを送ってもらいます。
プラスの気持ちを持っていて、信頼できて、ちゃんと見守ってくれる人とよく話し合い、不安な気持ちを、安心の気持ちに変換してゆきます。

、、、このように説明しても、しっくりこないかもしれません。よく理解できないかもしれません。
これは、感性のお話しなので、いくら理屈で説明しても、納得できるものではありません。
実際に、体験していただくのが一番の近道です。

田村研究室では、私が専門家として持っている安心と肯定のエネルギーを使って、クライエントの方の気持ちが前に進むように支援しています。

2016年12月7日水曜日

お正月と家族関係

クリスマスとお正月。
年末年始のホリデー・シーズンは一年中で一番おめでたく、楽しい時期です。
家族や親族が集まり、お祝いの気持ちが高まります。

しかし、家族のストレスが最も高まるのもこの時期なのです。
楽しさの陰にある家族の辛さは、なかなか言い出しにくいものです。

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あけみさん(仮名)は、動悸(心臓のドキドキが苦しい)と不眠(布団に入っても寝つきが悪い)を主訴に相談にいらっしゃいました。よくお話を伺うと、その原因は明らかです。二世帯同居しているお義母さんと会った日に限って体調が悪くなります。

お義母さんはとてもキツい人です。なるべく普段は顔を合わせないようにしているのですが、時々ささいなこと、たとえば作った煮物が余ったからというようなことで電話してきます。本当は用事だけ済ませてすぐに戻りたいのですが、必ず長居させられます。
お義母さんは普段はよく気の付く人なのですが、ひとたび機嫌が悪くなると火がついたように怒ります。あけみさんは、お義母さんの前では何も言えず、ただ話を聞いているだけです。そのような日の晩には、必ず体調が悪くなります。

こんな取るに足らない事で相談に行くのもためらったのですが、あけみさんにとって、年末年始が一番つらい時期です。
お正月のことを考えただけで胸がドキドキしてくるので、思い切って相談してみることにしました。

あけみさんの悩みは今に始まったことではなく、結婚した当初からずっと続いています。

お義母さんは若いころ、とても苦労した人です。お義父さんは家庭を顧みない人で、お姑さんと小姑さんがいる中で、ひとり頑張って夫を育てました。その結果、夫はよい大学、よい就職をして、今の地位を築きました。夫との恋愛中はとても幸せだったのですが、結婚して家に入ってからは、苦労の連続でした。
お義母さんと距離を開けることができれば何も問題ないのですが、お正月が近づくと居ても立っても居られなくなります。

初回はあけみさんひとりで相談にいらっしゃいました。
あけみさんのご主人は仕事が忙しく、なかなか話し合うゆとりがありません。誰にも話すことが出来ない悩みを十分に語ることができただけで、気持ちが軽くなりました。

あけみさんが相談にいらっしゃったことは、ご主人にも話しました。ご主人も、あけみさんの気持ちは理解しているものの、どうすることもできません。次回は、ご夫婦でいらっしゃることを私から提案して、あけみさんも帰勇気を出してご主人と相談してみることにしました。

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2週間後に、ご夫婦がそろって相談にいらっしゃいました。ご主人は忙しくて難しかったのですが、あけみさんの説得が功を奏して、面談の時間を作ることが出来ました。

ご主人自身も、実は母親のことでとても悩んでいました。毎晩、帰宅したら、母親のところに顔を出すのですが、疲れて帰ってきて、そのことが苦痛でたまりません。早く切り上げたいのですが、黙って聞いているしかありませんでした。
優しいご主人は、あけみさんの悩みも十分に理解はして、済まないと思っているのですが、何もしてあげられません。

そこで、私から提案して、ご夫婦の年末年始の過ごし方を話し合いました。

毎年、年末はあけみさんとお義母さんが一緒におせち料理を作るのですが、今年は別々に作ることにします。その代り、ご主人とあけみさんが揃って、お義母さんの住居の大掃除を手伝うことにします。

元旦は親戚が集まり会食するのですが、今回は、幸か不幸か、喪中です。元旦の午前中にご挨拶だけ軽く済ませ、午後からは夫婦みずいらずで温泉旅行に出かける計画を立てます。子どもたちを連れていくか迷いましたが、子どもは残して、夫婦だけの旅行にします。

こんなことをしたら、お義母さんは烈火のごとく怒るのは目に見えています。
果たして計画通りに事を進められるか、あけみさんには全く自信がありません。
しかし、今回は夫も理解を示してくれて、夫のきょうだいともお義母さんのことを相談してみると言ってくれました。

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年末年始を楽しく過ごす秘訣集

  • 家族が久しぶりに集まるのは楽しくもあり、負担感も増えます。その気持ちを家族で共有しましょう。
  • 多くの家庭では、お正月は女性の負担が増える時期です。そのことを、男性は十分に理解しましょう。
  • 大掃除、ご馳走の準備・手配、年始の挨拶、年賀状など、たいへんな仕事を家族で分担しましょう。
  • 年末年始の過ごし方を、家族でよく相談しましょう。各人の気持ちを大切にして。
  • 今までにはなかった、新しい過ごし方を試してみましょう。
  • 家族と共に過ごす時間と共に、ひとりの時間も大切にしましょう。


お正月は伝統行事として、家族の繋がりを確認する時期です。今まで過ごしてきた習慣を大切にします。
その一方で、今は家族のライフスタイルも多様化しています。妻と夫、親と子ども、それぞれにとって楽しい過ごし方は微妙に異なるものです。そのことを家族でよく提案し合い、今までになかった新しい過ごし方を話し合ってみましょう。

2016年11月30日水曜日

ひとりぼっちでも寂しくない生き方

人は、みな寂しいものです。
ひとりでは生きてゆけません。
誰か支えてくれる人が必要です。
ひとりぼっちの孤独は、辛くて生きていけません。

でも、人はひとりで生きていかなくてはなりません。
いくら人に囲まれていても、結局はひとりです。
孤独に耐えなければなりません。

どうしたら、人は孤独に耐えられるのでしょうか?

人がちゃんと生きていくためには、誰かとしっかり繋がっていることが大切です。
身体や生活が繋がっているだけでなく、心を繋げます

心の中で、誰かと繋がっていれば、ひとりぼっちでも寂しくありません。
親子でも、夫婦でも、恋人でも。
その人が、目の前に居なくても大丈夫です。

思春期は船出の時期です。
家族という古巣を飛び立ち、自立します。

誰かから肯定され、心の中でしっかり安心感を抱いていれば、そのつながりを糧にして、ひとりで動けます。知らない人の中に入って行く不安に耐えることもできます。

親は子どもを信頼します。
たとえ今は不十分でも、子どもの底力を信じます。きっと、できるはずだと。
巣立ったばかりの若者は、これで良いのか、みんなに受け入れられるのか、さっぱりわかりません。「それで良いよ」と言ってくれる人が必要です。
親は子どもをしっかり見守ります。
良いことをしたら、たくさんほめてあげます。
好ましくない時は、「それではダメだ!」としっかり叱りす。

その繋がりがないと、ひとりぼっちです。
ホントにこれで良いのかわかりません。自分の価値を生み出せません。
未知の世界に入り、他人と交わる不安に耐えられません。

大人も同様です。
パートナー同士がしっかり繋がっていると、ひとりは外で、もうひとりは中で、離れていても、仕事も、子育ても、安心してこなすことができます。

もし気持ちが繋がっていないと、一緒に生活していても、お互いに向き合えません。
家族に問題が起きても、協力して乗り越えることもできません。
子どもにも向き合えなくなります。

繋がる相手は、パートナーである必要はありません。
パートナーがいなくても大丈夫です。
だれか、繋がる相手を求めます。
友だちでも、先生でも、自分の親でも。

子ども時代を過ぎ、大人になっても、自分の親との繋がりはとても大切です。
親が生きていても、亡くなっていても。
そばにいても、いなくても構いません。
肯定的で、安心感に満ちた親との繋がりを心の中に保持していると、その安心感を胸に抱いて、新しい人たちと繋がることができます。

あるいは神様との繋がりも有効です。
西欧の個人主義は、神との形而上的な繋がりを基盤に成り立っています。
日本社会では神の存在はそれほど目立ちません。
「世間」が「神」の役割を果たしています。

つながる相手は人それぞれです。
とにかく「大切な他者」の存在が必要です。

それを失うと、寂しさに襲われます。
孤独はあまりにも辛いので、何とか取り繕うとします。いろいろな生き方があります。

1) 例えば感情に蓋をして、寂しさを感じないようにする生き方です。
そうすれば孤独から解放され、一応、安全に日常を過ごすことができます。
しかし、それは仮の安定であって、何かの拍子に蓋が開いて寂しさが飛び出さないかと心配します。
また、悲しみや寂しさの刺激をブロックするために、怒りの防衛線を張り巡らします。
あるいは気持ちに蓋をする副作用として、喜びや感動などの豊かな気持ちも使えなくなります。

2) 寂しさを、なにか他のもので代償する生き方です。
お酒、薬物、ギャンブルやセックスなどにのめり込むことで寂しさを紛らわせようとします。少しの程度ならまだ良いのですが、依存すると、どうしてもやり過ぎてしまいます。自分でコントロールが効かず、やめたくてもやめられなくなり、おしまいには身を滅ぼします。歌手のASKAさんの覚せい剤逮捕がその例です。

3) 仕事に過剰に没頭して、無意識に寂しさや葛藤から目をそらす生き方です。
仕事に一生懸命なのは良いことなのですが、熱心なあまり、家族と過ごす時間が減り、家族関係から疎外されてしまいます。家族に困ったことが起きても、どうしてよいかわかりません。

4) 寂しさの相手を子どもに求める生き方もあります。
本来あるべきパートナーとの繋がりが得られないと、その繋がりを子どもに求めます。
親としては、一生懸命子どもに向き合い、愛情を注いでいるつもりでも、親自身が寂しさや不安に満ちていると、その気持ちが子どもに伝わってしまいます。子どもは親から愛してもらおうと、親の気持ちに添おうと努力します。
その結果、親と子がマイナスの気持ちで繋がり、不安の綱引きが始まります。
君はまだ未熟で、無理すると危険な目にあう。心配だ。あまり出ない方が良いよと、
親自身の不安を子どもに投影します。
子どもは親の不安に縛り付けられて、外に出られなくなります。

以上の生き方は、あまり勧められるものではありません。

しかし、寂しさが容赦なく襲って来る時。
どうしたら、寂しさを抱えながら、ひとりで生きていけるのでしょうか?

正直に自分の気持ちに向き合い、蓋をせず、自分の寂しさを認めてあげます。

これはとても勇気が要ります。
一人だけではまず無理です。
自分では向き合ったつもりでも、全然できていないという場合がよくあります。

必死で寂しさに向き合う自分を、見守ってくれる誰かが必要です。
その人は、家族ではないでしょう。
家族やパートナーがしっかり見守ってくれていれば、そもそも寂しくないですから。
その人は、自分の寂しさを直接埋めてくれる愛着対象ではありません。
でも、あなたの気持ちをしっかり理解して、その寂しさを包み込んでくれます。
その人の助けを借りながら、自分の心の中の「寂しさちゃん」を大切に受け止めてあげます。
それがうまくいったとしても、寂しさが消えるわけではありません。
寂しさは、相変わらず寂しいままです。
しかし、今までは耐えられなかった寂しさが、
受け止めることができて、耐えることができる寂しさに変わります。
そうすれば、寂しさを隠したり、他のもので補わなくても大丈夫になります。

そのようにして、自分の寂しい気持ちを、優しく飼い慣らすことができます。

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クリスマスを大切な人と過ごせない時は、
仕方なくひとりで過ごすのではなく、ひとりを積極的に楽しんでみましょう。
ひとりで、好きな映画や美術館、音楽会に行ってみてはいかがでしょうか?
好きな作家の小説を、好きな場所でゆっくり読むとか。
近くの公園を散歩したり、小さなひとり旅も良いかもしれません。

え〜〜、そんなの寂し過ぎる、、、

そう思うかもしれません。

大丈夫。寂し過ぎても、病気になったり、身体を壊すことはありません。
むしろその反対に、自分の寂しさを無視してケアしてあげないと、寂しさが暴れ出して、手に負えなくなります。

そして、大切なことは、ひとりで過ごした時間を、
「ひとりで○○したんだ〜!」と、本当は繋がりたい相手に伝えてみましょう

2016年8月15日月曜日

2016年度グループ・スーパーヴィジョン 夏合宿

草津温泉にある私の別荘で、支援者たち7名と二泊三日の夏合宿をやってきました。
これが、事前にお渡しした案内です。
 支援対象を語るためには、まず、自分自身を語れなければならないということは、誰でも理屈では理解できるものの、実際にはなかなかその機会を得ることができない。自分一人でできないこともないが、スーパーヴァイザーなど信頼できる他者と共に行うことが望ましい。
 我々は支援者としてクライエントの人生体験を理解し、その心理に共感する時に、自分自身の過去・現在の生活体験と、そこに含まれた感情体験を無意識のうちに参照している。それは意識しないだけであり、実際は様々な表現方法で自己を語っているはずなのだが、多くの場合そのことに気づいていない。夏合宿では、安全な場で改めて自己を語り直すことを目的とする。それは自己と向き合い、新たな発見と認知されるであろうが、実は、普段気づかずに表現している程度にとどまり、それを超えて新しい何かがつけ加わるわけではない。
 このようなトレーニングは心理療法の各派で行われている。ロジャースなどの人間学派ではエンカウンター・グループやフォーカシングで、精神分析では教育分析で自己の転移感情に気づく。私は「関係性」をテーマにしたシステムズ・アプローチに準拠しているので、自己との向き合い方は、家族内や家族外(社会)における過去および現在の関係性と、そこに埋め込まれた自己を見出すという手法になる。
人生には当然、山あり谷あり。
山(positive)の部分は表に出して、谷(negative)の部分は隠して生きています。
通常はそれでまったく問題なく、谷にわざわざ注目せずとも人生を全うできます。しかしし、時に深い谷にはまって前に進めなくなり、様々な問題を生じます。その人たちを救い出そうとする心の支援者は、谷の部分の探索の仕方を習得していなければなりません。

そのために、まず自分の人生の谷を訪ねます。そこに近づくと悲しみ、不安、怒りといった痛みを感じるので、通常は隠して自分でも見ないようにしています。なんとなくわかってはいるのですが、あえて注目したり深く考えようとはしません。他者にも隠し、恥の部分となり、自尊心や自信を奪います。立ち入り禁止部分が大きくなると、支援者としての活動にも制限が加わり、やりにくくなります。

語らない物語は、その人だけが隠し持つ、見てはいけない、不可解で、特殊な物語です。そこに立ち入ると混乱して不安になります。
それを語るためには、まず不安の除去が必要です。相手が受け取ってくれるだろうという期待の元で、勇気を出して語ります。語りが進むと、それまで切り離しておいた感情もよみがえり、痛い思いをします。
それに耐え、感情をうまく語り得ることができれば、その部分は他者によって承認された、隠す必要のない、他者か理解しうるし、他の人にもあるかもしれない一般的な物語になります。それを与えるのが、支援者としての「愛」です。
たとえ語ったとしても、谷は谷であることには変わりがなく実在し続けるのですが、立ち入り禁止ではなく、自由に訪ねることができる谷になります。もはや隠す必要はなく、自尊心を奪うこともなくなります。
そのような自己体験を経ると、心の臨床において、他者の谷にも安全に分け入ることを支援できるようになります。

この体験は、プロの支援者でいる限り、何度も繰り返して行わなければなりません。
心の支援者とかカウンセラーではない、一般の人はやらなくても良いです。(本当はやったほうが良いのだけど、、、)
問題を抱えていたクライエントは、問題が解決すれば、もうやらなくても良いでしょう。
しかし、支援者はずっとやり続けます。
私の谷も、30代、40代、50代と、語り直す度に新たな意味が付与され、物語が変化して行きます。常にup to dateな自分の物語を持っているようにします。

今回の参加者たちは、みな自分の谷に分け入る勇気を持った人たちでした。私の役目は安全な環境を提供するだけです。周到な場さえ用意されれば、自然と深めることができます。

広尾のオフィスで展開してもいいのですが、合宿ではよりやりやすくなります。都会の喧騒から離れ、涼しい高原の屋外でやりました。静寂とプライバシーが確保され、3日連続の忙しさに区切られないゆっくりとした時間の流れの中で、語りが促されます。

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参加者からのメッセージです。

参加者A
セミナー、大変お世話になりました。
ジェノグラムを初めてキチンと描いたことで、あらためて自分の家族を見つめなおす良いきっかけになりました。
ブログも見させていただき、改めて自分の中で何が起こったのか考えています。
合宿では自分でも思いがけない言葉が飛び出し、びっくりしたと同時に、やはり戸惑っています。
人生観が変わると言うのは大げさかもしれませんが、それぐらい大きな変化が自分の中に生じた気がしています。
でも、まだうまく消化できていません。また誰かに聞いてもらいながら、深めたほうがいいのでしょうね。

参加者B
がっつり家族をテーマに据えた内容で、自分にとってはかなりエネルギーを要する内容だった。しかし思った以上に話すことが出来、とても良い経験になった。自信にも繋がる。
前に同じテーマで話したとしたら、恐らくもっと話せなかっただろうし、もっと防衛的に話していただろうな、と思う。

今まで掘り下げてきたお陰もあり、また先生を含め参加者の皆さんに支えられてのことでもある。貴重な機会だった。

2016年2月24日水曜日

ひきこもり脱出講座第二回の振り返り

ひきこもり脱出講座は連続6回の講座です。同じ参加者が6回参加するうちに、だんだんお互いに打ち解け、本当の家族の様子や本当の自分の気持ちを語ることが出来るようになります。
これは、第二回目に参加した後の参加者からのフィードバックです。

〇〇さんがとても変わられたことにびっくりしました。1回のディスカッションでこれほどまでに人は変われるものなのかと、とても感動しました。

そう。
1回目の時は、〇〇さん、「それは絶対に無理!」
と言ってましたものね。
それが、二回目の時は、何とか実行できました。
親がとてもよい感じで変化しています。

◇◇さんのお子さんが「死にたい」とか「死ね!」とかいう言葉を連発されている様子は、私もとても胸がつまされました。思わず、「お母さんの気持ちをそのままいえばいいんじゃないでしょうか!」と言いながら、涙が出てしまいました。
「親は子どもに死にたいだなんて言ってほしくない!」
「お母さんはあなたに生きていてほしい」
「学校なんて行かなくてもいいから元気で生きていてほしい!」
そう◇◇さんに言いながら、これは自分が子どもに言いたいのはこの言葉なんだと思いました。

とても良い涙でしたよ。
涙を流す方は辛いですが、とても共感した気持ちが相手の方にも伝わったと思います。
参加者の方々がお互いに共感し合い、その力をテコにして、みなさん前に進まれています。とても良いことです。

講座に参加されているみなさんとの話し合いと、田村先生からのお言葉で、私自身が少しずつ変われたように感じています。以前は「辛い、悲しい」などの気持ちが優先して、どうしたらよいのか考えることが出来なくなっていました。
しかし、今は自分や家族のことを客観的に見ることができるようになり、感情的に泣いたり落ち込んだりすることもなくなり、冷静に考えられるようになりました。
安心して「放す愛」で見守ることが出来るようになり、「子どもに何があっても、大丈夫!」という覚悟と自信もできました。
子どもにも以前のように指図しないで黙って待っていたら、子ども自身から自分の意思で行動するようになりました。親が変わることで、子どもも変化しているように感じます。

子どもに向き合う冷静さと自信を獲得されましたね。
それは、とても大切なことです。親が子どもに向き合う自信を得ると、子どももそれが伝播して、学校・友達・社会などに向かう自信を得ることが出来ます。


集団の中に入って、はじめて「自分」が見えてきて、人との差が明らかになり「自分」という存在がどういうものなのか、自分の役割や使命は何なのかと考えるようになると思いました。

2016年2月4日木曜日

子どもの心を育てる

ひきこもり脱出講座で参加者の皆さんから出た質問にお答えします。

質問)ひきこもりは心の成長の”つまづき”だとしたら、先生がおっしゃった「心を育てる」とは具体的にどうするのですか?

思春期には、子どもの心(万能的自我)から大人の心(社会的自我)に移行していくということはブログでも繰り返しお伝えしています。ふつうは意図しなくとも普通に成長するのですが、何らかの理由でそれがうまく成長できず、社会的自我が育たずに、十代後半以降になっても万能的自我から抜けきれない時、うまく社会に適応できずひきこもりになる場合が多くみられます。

では、どうしたらよいのでしょうか。親は何をできるのでしょうか?

それは、万能的自我から社会的自我への移行を支援することです。子どもは学校や社会の中での様々な人々と接することで失敗体験と成功体験を得ます。人と交わることが成長を促します。失敗して自信を失い、成功して自信を得ます。失敗しても挽回できるのだという自信が社会的自我への成長を促します。

ひきこもらず、普通に社会生活を営み、多様な人と接していれば人々と接する体験が自然に得られ、親がそれほど関わらなくても仲間や先生、地域の人々なと多種多様な人々と接する中で、子どもは自然と成長してゆきます。しかし、ひきこもってしまうと他者との関係性が遮断されてしまいます。残された人間関係は家族だけですから、家族が人間関係の体験を与えなければなりません。
その際に大切なことは、本人の中に芽生えてきた社会的自我に働きかけて下さい。子どもが強さやしっかりしている一面をキャッチし、それを承認します。

よく見られる間違いは、親が一生懸命子どもに働きかけるのですが、大人の心(社会的自我)ではなく、子どもの心(万能的自我)の側面に働きかけている場合です。弱さや甘え、依存などの子どもの心に承認を与えると、子どもの世界に安定して留まったままで、成長できません。ずっとひきこもっていることになります。

質問)先生がおっしゃった「子どもは親のエネルギーを求めている」とはどういうことでしょうか?

思春期になると勉強も人間関係も難しくなり、飛び越えなければならないハードルがたくさん出現します。ハードルを跳びこえるのはとても勇気がいります。思い切って跳んでも失敗して痛い思いをするかもしれません。でも跳ばなければ前に進めないこともわかっているから、とても迷い苦悩します。そのような時に親がプラスのエネルギーを与えます。それは、「跳んでもいいよ」と許可を与えることです。

子ども自身はとても迷います。もしかしたら、うまく跳べるかもしれない。でも失敗して痛い思いをするかもしれない、、、、いくら迷っても、その答えは出ません。跳んでみるしかないのですから。

そのように子どもが迷い、動けなくなっているときに、親は「前に進んでごらん。行ってごらん。動いてごらん。君なら出来るはずだ。痛くても構わない。」と指針を与えます。
親は、まわりから価値が与えられ、本人はその価値を試しながら取捨選択して自分自身の価値を作ることが出来ます。まわりから価値が与えられないと、自分(の価値)を作るネタが得られません。つまり大人の心へ移行できません。

親は子どもが跳ぶだけの力を持っているだろうと、子どもの潜在的な能力を信頼できれば、「やってごらん!」と跳ぶことを促します。その言葉に励まされ、子どもは思い切って跳躍を試みます。成功するか失敗するかなんて、跳んでみないとわかりません。子どもはとても不安です。その不安に対して、親が安心を与えます。

跳んだ結果、成功するかもしれません。親の力ではない、自分自身の力で跳べた成功体験が自信につながり、心がぐんと成長します。
跳んだ結果、失敗するかもしれません。自分はやっぱりダメなんだと自信を喪失します。その際に、親は「失敗しても構わない。失敗したら、もう一度挑戦すればよい。成功するまで何度でも挑戦してごらん。あなたが格闘している姿を、ここで見守っているから。」と伝えます。

決して、無理をさせてはいけません。失敗して傷ついたら少し休んで回復を待つことも必要です。焦らせてはいけません。親が焦ると子どもも焦ります。親が不安になると、子どもも不安になります。

しかし、いつまでも休んでいてはいけません。痛みがある程度回復したら、また立ち上がりましょう。親が安心すると、子どもも安心します。適当な時期を見計らい、「もう休んでエネルギーを再び蓄えられただろう。もう一度挑戦してごらん!」と親が促します。