2015年12月18日金曜日

「不満だが、とりあえず満足できる安定」を崩す

今年、2015年を表わす漢字が「」の字になりました。
「安全保障関連法案の採否や、世界のテロや異常気象、マンションの杭打ちデータなどで人々が不安になったことなどが理由に挙げられた。」のだそうです。

」にちなんで、「安心」・「安全」その反対の「不安」について考えてみましょう。

(質問)
先生は「大丈夫だと思ったら、背中を押してやりなさい」と何度も繰り返し言いますが、やはり大丈夫でない状態もあるわけですね?
なかなか家族は大丈夫とは思えないですが、先生は何を指標に大丈夫か否かを判断されているのでしょうか?

いいえ。
私は判断していません。ご家族自身が「うん、これで良い!」と判断できる材料を提供しているだけです。
大丈夫でないとはどういう場合でしょうか?たとえば、

  • 今までせっかく居間に出てきて差しさわりのない会話を親子でできるようになったのに、言うとまた自分の部屋にひきこもり、親と話せなくなるかもしれない。
  • 親に暴力を振るうかもしれない。
  • もっと傷ついてころんでしまい、立ち直れなくなるかもしれない。
  • リストカットとか自分を傷つけてしまうかもしれない。
  • 生きがいを見失って、追い詰められ、自殺してしまうかもしれない。

これらは、みな大丈夫でない場合です。
それはだれが判断するのでしょうか?
関わっているご家族が判断します。

ふつう、ひきこもっている本人の「背中を押す」のは禁じ手とされています。
たとえば、次のような言説です。
「ゆっくり時間をかけて、温かく見守っていきましょう。」
「本人が一番苦しんでいるのだから、刺激してはいけません。」
ひきこもりは、家庭や学校社会で生じる様々なトラブルやストレスから、とりあえず身を守るために防衛する反応です。」

ソトの世界はストレスに満ちていますね。いつ傷つけられるかわかりません。そんな危険な場所にいたら身が持ちません。疲れて、一旦撤退します。それは当然のことです。

サッカーのゲームに例えてみましょう。
サッカー場は半分に分かれます。自分のゴールがある守るべき陣地は自陣、相手のゴールがあり攻めるべき陣地を敵陣と呼びます。
ひきこもりは、敵陣(社会)のストレスから身を守るためにいったん自陣に撤退した状態です。
自陣に撤退したら、なにもせずのんびりしていたらよいわけではありません。一見、のんびりはしているのだけど、大切な仕事があります。
「本当に必要なのは親が子どものあるがまま受け入れる無条件の愛。それが満たされて、子どもは安心して他者と人間関係を結び、自己肯定感をもって前向きに生きることができる。」
「子どもを承認し、見守り続けるメッセージを伝える。」
そのようにして、自陣で心のエネルギーを蓄え、社会に出ていくだけの力と自信をつけます。
自信とは、自分を肯定することです。でも、自分ひとりでは肯定して良いのか否定すべきなのかよくわかりません。家族などのまわりの人が肯定してあげて、ああ、自分はOKなんだという自信を復活することができます。
「ひきこもりは防衛反応なのだけど、いつまでも閉じこもっていてはいけない。」
「子どもの自己決定を信じてひたすら待つのは放置である。」
多くのカウンセラーは、無条件の愛を与え続ければ、子どもに自己肯定感が育ち、自然に自ら動き出すと考えます。ひきこもり始めてまだ日が浅い場合はそれでOKです。
しかし、長期化したひきこもりの場合はそういうわけにいきません。
短期間の自陣への撤退はゲームの作戦上必要なことです。作戦も立てずに焦って敵陣に乗り込むことはよくありません。
しかし、長い間、自陣に居すわると、そのこと自体がストレスになります。
観客のサポーターからも「早く攻めろ!」とブーイングがきます。

講座に参加して、子どもを動かすためには、親や家族が変わらなければいけないということを改めて思いました。しかしなぜか行動に移せないことがあります。
なぜだろうとずっと考えていたのですが、子どもがひきこもり始めてから現在までにたくさんの衝突や、葛藤をするうちに、理解したり、妥協したりを繰り返し、子どもも親も双方から影響し合って、今の状態が出来上がっていることに気づきました。
いろいろなつらい経験の上に「不満はあってもとりあえず我慢できる安定した現状」が出来上がってしまいました。だから子どもが動き出すのを望みながらも、今の安定を崩したくない思いが起こってしまうのかもしれません。
だからこそ、子どもを動かそうと思うのなら、子どもが動くのではなく、親や家族も動き出さなければいけないし、逆に言えば、親や家族が動けば、必ず子どもにも動きが伝わるのだなと思いました。

そう。自陣内で味方どうしでそっとパスを回している方が安心です。
でも、子どもがある程度力と自信をつけたら、いつか守りの姿勢から攻めの姿勢に転じて、敵陣に入っていかなければなりません。
それは一旦、バランスを崩すことになります。
危ないですね。不安ですね。

社会に乗り込むためには、今までより強いボールでパス回しをしなければなりません。

  • 朝、親が子どもを起こしても起きない。
  • 勉強しないでゲーム・ネットばかりしている。
  • 親が叱る。本人は黙ったまま何も言わず、不機嫌オーラを出す。

このような場合、今までだったら、本人の気持ちを尊重して暖かく見守り、刺激せずそれ以上は何も言いません。

もっと強いパスを与えるためには、

  • 子どもが不機嫌なオーラを出しても親はひっこまず、あえて本人との対話を続けます。

よく見られることは、こどもの「あるがまま」を受け入れ何も言わないのは良いとしても、親が不安のオーラを出し続けている場合です。言葉では何も伝えていなくても、親の不安を子どもがたっぷり受け取ります。
親は不安のパスを与えてはいけません。本人も不安になります。
安心のパスを与えます。
どうやったら安心のパスを子どもに回すことが出来るのでしょうか?

(質問)
なかなか家族は大丈夫とは思えないですが、先生は何を指標に大丈夫か否かを判断されているのでしょうか?

私は判断しません。家族が大丈夫と判断します。
強いパスを与えてもちゃんと受け取れるだろう。そういう選手同士の安心感・信頼感があれば、強いパスを選手に蹴りつけることができます。

本人が自信を得て社会に向かって出ていくためには、家族も一緒に自信を持ってパスを回しながら敵陣に攻撃を仕掛けなければなりません。

(質問)
仲間たちはどうやって「安心のパス」を回せるようになるのでしょうか。

3つのコツがあります。順に説明しましょう。

1)第一にチームプレイです。
選手一人だけでドリブルして、多くの敵がいる敵陣(社会)に乗り込むのは無謀でしょう。不安だらけです。
仲間と共に、パスを回しながら乗り込んでいきます。仲間同士が連携してちゃんとパスが通るということを確認できていれば、安心して社会に乗り込むことができます。
ひとりではダメだし、本人と親のふたりだけでもダメです。第三者が必要です。
本人に一番近い父親と母親と本人と、三人でパスを回します。
両親の間でパスが通らず(うまく話し合うことができず)、進む方向が異なっていたら、とてもふたりでパスを回せません。そんな状態では、敵陣に乗り込むのは不安です。
しかし、仲間同士でうまくパスがつながる安心感があれば、不安を乗り越えて敵陣(社会)まで前に進むことができます。

たとえば、
父親はなかなか本人にパスを伝えません。
母親が、「お父さんから子どもに伝えてよ!」と声をかけても「オレが言ってもしかたがない」とスルーしてしまいます。母親としてもそれ以上は夫に伝える気になれません。
父親は今まで仕事中心で、子どものことは妻任せ、子どもに関わってきませんでした。
経験がないので、いきなり成長した子どもにパスを回せと言われても、どうボールをキックしたらよいのかわかりません。それに、以前にボールを回したら、子どもはみごとにスルーしました。(違う方向にボールが行ってしまい、うまくつながりませんでした。)
つまり、親として子どもに向き合う自信がないのです。

妻も夫とあまり向き合って来ませんでした。
以前、向き合ってみたのですが、うまくいかなかったので、もうやめてしまいました。
この場合、まず夫婦のキャッチボールの練習から始めなければなりません。とてもやっかいです。でも子どもの問題が契機となり、夫婦が向き合うことを余儀なくされます。そこで踏ん張り、夫婦が向き合うことで、家族としてまとまり、親として成長し、家族が関わり合う自信を深めることが出来ます。

子どものためには、夫婦で向き合いたくないなんて言っている場合ではありません。妻から夫へ、夫から妻へ、うまく繋がらないリスクを冒してでも、パスを投げてみましょう。

2)ふたつ目は選手同士の距離です。
お互いに遠すぎるとパスは通りません。
近すぎてもパスになりません。ちょうど幼いちびっ子サッカーのように、選手たちみんながボールに近づきダンゴ状態に一体化してしまいます。
遠すぎてもいけない、近すぎてもいけないということは理屈ではわかるし、サイドラインから眺めればその状況がよくわかるのですが、一生懸命プレイしている選手たちは距離感を失ってしまいます。
それでも、遠すぎる距離は何となくわかるんですよ。一番難しいのは近すぎる場合です。外から見れば明らかに近すぎるのに、当事者の選手(母親の場合が多いです)は全くそのことに気づきません。コーチが指摘しても、選手は夢中なので受け入れてくれません。
場合によってはきょうだいや祖父母などの選手とパスを回すのも良いでしょう。
でも、そっち(きょうだいや祖父母)にパスが行ったらダメだ、回らなくなる、相手チームにボールを取られてしまうと思ったら、回せませんね。信頼関係の回復がまず必要です。

3)第三に、敵を味方に取り込む作戦です。
クラスの仲間からのいじめや先生からの叱責などがきっかけとなり、不登校が始まる場合、子どもにとって、同級生や先生は「敵」(ストレスの源)です。本人が彼らを味方にするのは無理でしょう。
しかし、親と子どもが近すぎず適切な距離があれば、子どもとは別の立場を取り、彼らを味方につけることも可能です。たとえば、親が先生にコンタクトしてよく話し合ってみましょう。始めは恐る恐る不安ですが、よく話し合ってみると、案外、子どものことをよくみてくれている信頼できる先生かもしれません。親が先生や学校への拒否感を和らげることが出来ると、子どもも自然と先生や学校への拒否感が和らぐものです。

不安、つまり大丈夫だとは思えない状態で、無理して敵陣に乗り込むのが一番危険です。不安を抱いて乗り込むと、必ず失敗します。予期不安が成就してしまうからです。
スキーや車の運転に例えて説明しましょう。
スピードに慣れないうちはとても怖いです。自分でコントロールできず転んでしまう恐怖です。怖くないうちは転ばないのですが、「怖い!」と感じた瞬間に転びます。だんだん慣れて上手になると、同じスピードでも怖くなくなってきます。しかし、急斜面に向かい、だんだんスピードを上げていくと、ある臨界点から「怖さ」が出現し、そうすると転びます。その臨界点がシフトしていくということが上達なわけです。
慣れてくると、早いスピードでもコントロールできる、安心できるようになる。不安なのに無理に急斜面を滑り、スピードを出すと、恐怖心から必ず転びます。
安心のうちは何とか成功するものです。でもその同じ斜面が不安に感じていると、失敗します。

ひきこもり、外との繋がりがないので不満だが、何も刺激しなければ平穏無事、家族内ではふつうに会話し、普通に暮らせているのでとりあえず満足できる。でも将来のことを考えると不安です。
ひきこもりは自陣の中でボールを回す仮の安定性です。
敵陣(社会)に乗り込み、その中で多様な人と関わりながらボールを回し、社会生活を送るのが真の安定性です。
ひきこもりを脱出して真の安定性を獲得するためには、仮の安定性をあえて崩さなければなりません。「とりあえず満足できる状況」の中から自然に切り替わることはありません。

金星探査機「あかつき」が従来の軌道から、新しい金星の軌道に乗り換えるために、危険を冒してロケットを噴射しなければなりませんでした。一旦、新しい軌道に乗ってしまえば、噴射しなくても自らの力で回り続けます。

とりあえず安定したひきこもりの軌道から、社会の中で活動する軌道に乗り換えるには、危険を冒して親のロケットを噴射しなければなりません。短時間、集中して噴射して、ロケットが新しい軌道に乗ってしまえば逆噴射は必要ありません。不満がより少ない新たな軌道を自らの力で回り続けることができます。

サッカー場(世の中)でプレイするのは選手とそのチームメイト(家族)です。
コーチ(セラピスト)自身はプレイしません。サイドラインから指示を出します。
選手たちはプレイに夢中ですから、全体の姿を見失いがちです。
コーチは、どんな時に自陣に撤退するか、そしてどんなタイミングで再度敵陣に切り込むのか、指示を出します。そのタイミングが遅くても早くてもいけません。そこはコーチの手腕です。
選手たちの気持ちが上がらず、「相手チームは強すぎるから、もう負けだ!」と意気消沈している時に、コーチは選手たちを励まし、前に向かう気持ちを甦らせます。

ここまで書いてきて、私は普通のセラピストとは少し違うのだろうと気づきました。
家族療法をやっている私は、そうでない普通のセラピストとは少し違った視点を持ちます。
普通のセラピストは、選手が大丈夫かどうか、ちゃんと判断します。敵陣に乗り込めるだけの体力や能力があるのか、病気や障害を持っているかどうかを判断します。
私はあえて判断しません。その判断をご家族に委ねます。
普通のセラピストは個人中心です。選手をカウンセリングしたり治療したり、薬を処方したりします。
私は、選手が治療を求めてやってくればもちろんそうしますが、選手本人が来なくても、チームをサポートします。

私は能天気なコーチです。
能天気というのは、選手一人一人の力を信じているということです。選手本人も家族も、みんなそれなりの力を持っています。
それは私が広尾で開業しているからということもあるようです。自由診療をやっている精神科医のところに相談にいらっしゃるって、多分、そうとう敷居が高いと思うんですよ、我ながら。その敷居をまたいでやってくる方々は、みなさんある意味ではしっかりしています。サッカーの能力は十分に持っているのですね。ただ、チームプレイに自信がないだけです。
私は以前、児童相談所や公立小中学校のコンサルテーションをやっていました。そういう現場では能天気なことは言えません。サッカーする基本的能力が十分でない選手も多くいました。その場合、ここに説明しているのとは異なった支援が必要になってきます。

私はチームプレイ中心のコーチです。
選手のひとりひとりが名選手、スーパープレイヤーである必要はありません。能力が劣っていても構いません。チームでカバーし合い、盛り上げれば、けっこう行けるものです。
私は、あまり本人個人は激励(治療)しません。チーム全体を激励して檄を飛ばします。
チームが元気と自信を回復すれば、選手本人も元気と自信を回復できます。

人との関わりの中で問題(成長のつまづき)を解決するためには、よっぽどのことをしなければならないのですね。背中を押すためには1回でうまく行かないので練習が必要であり、何度も失敗することを覚悟して積み重ねていく努力が必要だと思いました。

はい。とても当然で、大切なことに気づかれました。
名選手たちは口をそろえて言いますね。血のにじむような練習をやってきた。才能ではない、努力だと。
何度失敗しても構いません。うまくいくまで、何度でも背中を押し続けて下さい。成功するまで、押し続けて下さい。ただし、安全な押し方でお願いします。危険な押し方をしては絶対いけません。

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