2015年12月18日金曜日

「不満だが、とりあえず満足できる安定」を崩す

今年、2015年を表わす漢字が「」の字になりました。
「安全保障関連法案の採否や、世界のテロや異常気象、マンションの杭打ちデータなどで人々が不安になったことなどが理由に挙げられた。」のだそうです。

」にちなんで、「安心」・「安全」その反対の「不安」について考えてみましょう。

(質問)
先生は「大丈夫だと思ったら、背中を押してやりなさい」と何度も繰り返し言いますが、やはり大丈夫でない状態もあるわけですね?
なかなか家族は大丈夫とは思えないですが、先生は何を指標に大丈夫か否かを判断されているのでしょうか?

いいえ。
私は判断していません。ご家族自身が「うん、これで良い!」と判断できる材料を提供しているだけです。
大丈夫でないとはどういう場合でしょうか?たとえば、

  • 今までせっかく居間に出てきて差しさわりのない会話を親子でできるようになったのに、言うとまた自分の部屋にひきこもり、親と話せなくなるかもしれない。
  • 親に暴力を振るうかもしれない。
  • もっと傷ついてころんでしまい、立ち直れなくなるかもしれない。
  • リストカットとか自分を傷つけてしまうかもしれない。
  • 生きがいを見失って、追い詰められ、自殺してしまうかもしれない。

これらは、みな大丈夫でない場合です。
それはだれが判断するのでしょうか?
関わっているご家族が判断します。

ふつう、ひきこもっている本人の「背中を押す」のは禁じ手とされています。
たとえば、次のような言説です。
「ゆっくり時間をかけて、温かく見守っていきましょう。」
「本人が一番苦しんでいるのだから、刺激してはいけません。」
ひきこもりは、家庭や学校社会で生じる様々なトラブルやストレスから、とりあえず身を守るために防衛する反応です。」

ソトの世界はストレスに満ちていますね。いつ傷つけられるかわかりません。そんな危険な場所にいたら身が持ちません。疲れて、一旦撤退します。それは当然のことです。

サッカーのゲームに例えてみましょう。
サッカー場は半分に分かれます。自分のゴールがある守るべき陣地は自陣、相手のゴールがあり攻めるべき陣地を敵陣と呼びます。
ひきこもりは、敵陣(社会)のストレスから身を守るためにいったん自陣に撤退した状態です。
自陣に撤退したら、なにもせずのんびりしていたらよいわけではありません。一見、のんびりはしているのだけど、大切な仕事があります。
「本当に必要なのは親が子どものあるがまま受け入れる無条件の愛。それが満たされて、子どもは安心して他者と人間関係を結び、自己肯定感をもって前向きに生きることができる。」
「子どもを承認し、見守り続けるメッセージを伝える。」
そのようにして、自陣で心のエネルギーを蓄え、社会に出ていくだけの力と自信をつけます。
自信とは、自分を肯定することです。でも、自分ひとりでは肯定して良いのか否定すべきなのかよくわかりません。家族などのまわりの人が肯定してあげて、ああ、自分はOKなんだという自信を復活することができます。
「ひきこもりは防衛反応なのだけど、いつまでも閉じこもっていてはいけない。」
「子どもの自己決定を信じてひたすら待つのは放置である。」
多くのカウンセラーは、無条件の愛を与え続ければ、子どもに自己肯定感が育ち、自然に自ら動き出すと考えます。ひきこもり始めてまだ日が浅い場合はそれでOKです。
しかし、長期化したひきこもりの場合はそういうわけにいきません。
短期間の自陣への撤退はゲームの作戦上必要なことです。作戦も立てずに焦って敵陣に乗り込むことはよくありません。
しかし、長い間、自陣に居すわると、そのこと自体がストレスになります。
観客のサポーターからも「早く攻めろ!」とブーイングがきます。

講座に参加して、子どもを動かすためには、親や家族が変わらなければいけないということを改めて思いました。しかしなぜか行動に移せないことがあります。
なぜだろうとずっと考えていたのですが、子どもがひきこもり始めてから現在までにたくさんの衝突や、葛藤をするうちに、理解したり、妥協したりを繰り返し、子どもも親も双方から影響し合って、今の状態が出来上がっていることに気づきました。
いろいろなつらい経験の上に「不満はあってもとりあえず我慢できる安定した現状」が出来上がってしまいました。だから子どもが動き出すのを望みながらも、今の安定を崩したくない思いが起こってしまうのかもしれません。
だからこそ、子どもを動かそうと思うのなら、子どもが動くのではなく、親や家族も動き出さなければいけないし、逆に言えば、親や家族が動けば、必ず子どもにも動きが伝わるのだなと思いました。

そう。自陣内で味方どうしでそっとパスを回している方が安心です。
でも、子どもがある程度力と自信をつけたら、いつか守りの姿勢から攻めの姿勢に転じて、敵陣に入っていかなければなりません。
それは一旦、バランスを崩すことになります。
危ないですね。不安ですね。

社会に乗り込むためには、今までより強いボールでパス回しをしなければなりません。

  • 朝、親が子どもを起こしても起きない。
  • 勉強しないでゲーム・ネットばかりしている。
  • 親が叱る。本人は黙ったまま何も言わず、不機嫌オーラを出す。

このような場合、今までだったら、本人の気持ちを尊重して暖かく見守り、刺激せずそれ以上は何も言いません。

もっと強いパスを与えるためには、

  • 子どもが不機嫌なオーラを出しても親はひっこまず、あえて本人との対話を続けます。

よく見られることは、こどもの「あるがまま」を受け入れ何も言わないのは良いとしても、親が不安のオーラを出し続けている場合です。言葉では何も伝えていなくても、親の不安を子どもがたっぷり受け取ります。
親は不安のパスを与えてはいけません。本人も不安になります。
安心のパスを与えます。
どうやったら安心のパスを子どもに回すことが出来るのでしょうか?

(質問)
なかなか家族は大丈夫とは思えないですが、先生は何を指標に大丈夫か否かを判断されているのでしょうか?

私は判断しません。家族が大丈夫と判断します。
強いパスを与えてもちゃんと受け取れるだろう。そういう選手同士の安心感・信頼感があれば、強いパスを選手に蹴りつけることができます。

本人が自信を得て社会に向かって出ていくためには、家族も一緒に自信を持ってパスを回しながら敵陣に攻撃を仕掛けなければなりません。

(質問)
仲間たちはどうやって「安心のパス」を回せるようになるのでしょうか。

3つのコツがあります。順に説明しましょう。

1)第一にチームプレイです。
選手一人だけでドリブルして、多くの敵がいる敵陣(社会)に乗り込むのは無謀でしょう。不安だらけです。
仲間と共に、パスを回しながら乗り込んでいきます。仲間同士が連携してちゃんとパスが通るということを確認できていれば、安心して社会に乗り込むことができます。
ひとりではダメだし、本人と親のふたりだけでもダメです。第三者が必要です。
本人に一番近い父親と母親と本人と、三人でパスを回します。
両親の間でパスが通らず(うまく話し合うことができず)、進む方向が異なっていたら、とてもふたりでパスを回せません。そんな状態では、敵陣に乗り込むのは不安です。
しかし、仲間同士でうまくパスがつながる安心感があれば、不安を乗り越えて敵陣(社会)まで前に進むことができます。

たとえば、
父親はなかなか本人にパスを伝えません。
母親が、「お父さんから子どもに伝えてよ!」と声をかけても「オレが言ってもしかたがない」とスルーしてしまいます。母親としてもそれ以上は夫に伝える気になれません。
父親は今まで仕事中心で、子どものことは妻任せ、子どもに関わってきませんでした。
経験がないので、いきなり成長した子どもにパスを回せと言われても、どうボールをキックしたらよいのかわかりません。それに、以前にボールを回したら、子どもはみごとにスルーしました。(違う方向にボールが行ってしまい、うまくつながりませんでした。)
つまり、親として子どもに向き合う自信がないのです。

妻も夫とあまり向き合って来ませんでした。
以前、向き合ってみたのですが、うまくいかなかったので、もうやめてしまいました。
この場合、まず夫婦のキャッチボールの練習から始めなければなりません。とてもやっかいです。でも子どもの問題が契機となり、夫婦が向き合うことを余儀なくされます。そこで踏ん張り、夫婦が向き合うことで、家族としてまとまり、親として成長し、家族が関わり合う自信を深めることが出来ます。

子どものためには、夫婦で向き合いたくないなんて言っている場合ではありません。妻から夫へ、夫から妻へ、うまく繋がらないリスクを冒してでも、パスを投げてみましょう。

2)ふたつ目は選手同士の距離です。
お互いに遠すぎるとパスは通りません。
近すぎてもパスになりません。ちょうど幼いちびっ子サッカーのように、選手たちみんながボールに近づきダンゴ状態に一体化してしまいます。
遠すぎてもいけない、近すぎてもいけないということは理屈ではわかるし、サイドラインから眺めればその状況がよくわかるのですが、一生懸命プレイしている選手たちは距離感を失ってしまいます。
それでも、遠すぎる距離は何となくわかるんですよ。一番難しいのは近すぎる場合です。外から見れば明らかに近すぎるのに、当事者の選手(母親の場合が多いです)は全くそのことに気づきません。コーチが指摘しても、選手は夢中なので受け入れてくれません。
場合によってはきょうだいや祖父母などの選手とパスを回すのも良いでしょう。
でも、そっち(きょうだいや祖父母)にパスが行ったらダメだ、回らなくなる、相手チームにボールを取られてしまうと思ったら、回せませんね。信頼関係の回復がまず必要です。

3)第三に、敵を味方に取り込む作戦です。
クラスの仲間からのいじめや先生からの叱責などがきっかけとなり、不登校が始まる場合、子どもにとって、同級生や先生は「敵」(ストレスの源)です。本人が彼らを味方にするのは無理でしょう。
しかし、親と子どもが近すぎず適切な距離があれば、子どもとは別の立場を取り、彼らを味方につけることも可能です。たとえば、親が先生にコンタクトしてよく話し合ってみましょう。始めは恐る恐る不安ですが、よく話し合ってみると、案外、子どものことをよくみてくれている信頼できる先生かもしれません。親が先生や学校への拒否感を和らげることが出来ると、子どもも自然と先生や学校への拒否感が和らぐものです。

不安、つまり大丈夫だとは思えない状態で、無理して敵陣に乗り込むのが一番危険です。不安を抱いて乗り込むと、必ず失敗します。予期不安が成就してしまうからです。
スキーや車の運転に例えて説明しましょう。
スピードに慣れないうちはとても怖いです。自分でコントロールできず転んでしまう恐怖です。怖くないうちは転ばないのですが、「怖い!」と感じた瞬間に転びます。だんだん慣れて上手になると、同じスピードでも怖くなくなってきます。しかし、急斜面に向かい、だんだんスピードを上げていくと、ある臨界点から「怖さ」が出現し、そうすると転びます。その臨界点がシフトしていくということが上達なわけです。
慣れてくると、早いスピードでもコントロールできる、安心できるようになる。不安なのに無理に急斜面を滑り、スピードを出すと、恐怖心から必ず転びます。
安心のうちは何とか成功するものです。でもその同じ斜面が不安に感じていると、失敗します。

ひきこもり、外との繋がりがないので不満だが、何も刺激しなければ平穏無事、家族内ではふつうに会話し、普通に暮らせているのでとりあえず満足できる。でも将来のことを考えると不安です。
ひきこもりは自陣の中でボールを回す仮の安定性です。
敵陣(社会)に乗り込み、その中で多様な人と関わりながらボールを回し、社会生活を送るのが真の安定性です。
ひきこもりを脱出して真の安定性を獲得するためには、仮の安定性をあえて崩さなければなりません。「とりあえず満足できる状況」の中から自然に切り替わることはありません。

金星探査機「あかつき」が従来の軌道から、新しい金星の軌道に乗り換えるために、危険を冒してロケットを噴射しなければなりませんでした。一旦、新しい軌道に乗ってしまえば、噴射しなくても自らの力で回り続けます。

とりあえず安定したひきこもりの軌道から、社会の中で活動する軌道に乗り換えるには、危険を冒して親のロケットを噴射しなければなりません。短時間、集中して噴射して、ロケットが新しい軌道に乗ってしまえば逆噴射は必要ありません。不満がより少ない新たな軌道を自らの力で回り続けることができます。

サッカー場(世の中)でプレイするのは選手とそのチームメイト(家族)です。
コーチ(セラピスト)自身はプレイしません。サイドラインから指示を出します。
選手たちはプレイに夢中ですから、全体の姿を見失いがちです。
コーチは、どんな時に自陣に撤退するか、そしてどんなタイミングで再度敵陣に切り込むのか、指示を出します。そのタイミングが遅くても早くてもいけません。そこはコーチの手腕です。
選手たちの気持ちが上がらず、「相手チームは強すぎるから、もう負けだ!」と意気消沈している時に、コーチは選手たちを励まし、前に向かう気持ちを甦らせます。

ここまで書いてきて、私は普通のセラピストとは少し違うのだろうと気づきました。
家族療法をやっている私は、そうでない普通のセラピストとは少し違った視点を持ちます。
普通のセラピストは、選手が大丈夫かどうか、ちゃんと判断します。敵陣に乗り込めるだけの体力や能力があるのか、病気や障害を持っているかどうかを判断します。
私はあえて判断しません。その判断をご家族に委ねます。
普通のセラピストは個人中心です。選手をカウンセリングしたり治療したり、薬を処方したりします。
私は、選手が治療を求めてやってくればもちろんそうしますが、選手本人が来なくても、チームをサポートします。

私は能天気なコーチです。
能天気というのは、選手一人一人の力を信じているということです。選手本人も家族も、みんなそれなりの力を持っています。
それは私が広尾で開業しているからということもあるようです。自由診療をやっている精神科医のところに相談にいらっしゃるって、多分、そうとう敷居が高いと思うんですよ、我ながら。その敷居をまたいでやってくる方々は、みなさんある意味ではしっかりしています。サッカーの能力は十分に持っているのですね。ただ、チームプレイに自信がないだけです。
私は以前、児童相談所や公立小中学校のコンサルテーションをやっていました。そういう現場では能天気なことは言えません。サッカーする基本的能力が十分でない選手も多くいました。その場合、ここに説明しているのとは異なった支援が必要になってきます。

私はチームプレイ中心のコーチです。
選手のひとりひとりが名選手、スーパープレイヤーである必要はありません。能力が劣っていても構いません。チームでカバーし合い、盛り上げれば、けっこう行けるものです。
私は、あまり本人個人は激励(治療)しません。チーム全体を激励して檄を飛ばします。
チームが元気と自信を回復すれば、選手本人も元気と自信を回復できます。

人との関わりの中で問題(成長のつまづき)を解決するためには、よっぽどのことをしなければならないのですね。背中を押すためには1回でうまく行かないので練習が必要であり、何度も失敗することを覚悟して積み重ねていく努力が必要だと思いました。

はい。とても当然で、大切なことに気づかれました。
名選手たちは口をそろえて言いますね。血のにじむような練習をやってきた。才能ではない、努力だと。
何度失敗しても構いません。うまくいくまで、何度でも背中を押し続けて下さい。成功するまで、押し続けて下さい。ただし、安全な押し方でお願いします。危険な押し方をしては絶対いけません。

2015年12月9日水曜日

ひきこもり脱出講座の参加者より

つづけて、「ひきこもり脱出講座」の参加者からの感想です。

ひきこもりの問題は、ひきこもっている子ども自身の問題と、夫婦間の問題の2つがあることを感じています。私の夫は人さまの前で自分の家族のことを話すことに抵抗があるようで、夫婦間で話せば済むことでありこの講座への参加も前向きではありませんでした。しかし、実際には家庭内での夫婦間の話し合いは簡単ではなく、言い争いになることもしばしばです。夫婦(両親)の足並みが揃わなければ、ひきこもっている子どもにも良い影響があるはずがありません。講座に参加して、我々夫婦の意思統一が出来ていないことがわかった一方で、子どもの問題点を共有する一つの方策であることもわかりました。
 まず、両親の足並みが揃っていないんだということを、おふたりが認めるところからスタートします。それが認められれば、そこを変えることもできます。そこに気づかなければ、変えることもできません。
親が変わることで、子どもが良くなる可能性が高まるなら、たとえそれが、夫への批判であっても、「心にためている不満を口に出す」ことも必要だと思いました。
そうですね。子どもが良くなるためにできることは、なんでもトライしてみましょう。この際、躊躇している場合ではありません。
子どもの年齢も高校生から40歳位で、各ご家庭状況は当然様々で、自分の家庭とは異なりますが、悩んでいらっしゃることの共通点は多く、直接生のお話を聞けたことが参考になりました。
各家庭の事情はそれぞれユニークで異なりますが、親の気持ち、子どもへの視線は共通している部分があります。そのことをお互いに知ることでホッとできます。うちだけじゃあないんだということがわかって。
参加したことで、新たな前向きになれる発見も出てきます。問題点も見つかります。何もしなければ、何も始まらず、始めることに遅いということはないと思います。
  • そうですね。手遅れということは決してありません。「手遅れ」と思い込んでしまえば、本当に「手遅れ」になります。
田村先生は、
「どうしてそう思われたのですか?今あなたはこうおっしゃいましたよね?」
「それでいいと思いますよ。」
「どうしてですか?もっとやられてもいいと思いますよ。」
と私を動かすような言葉をおっしゃって下さいます。
「(不安や疑問に立ち止まるより、)試してごらん、やってごらん」
先生の一貫した姿勢は、私にやる気を起こさせて下さいました。三週間毎の軌道修正がやる気の継続につながりました。

初めてこういった親の集まりに参加しました。皆さんは、違った体験、似た体験、知識があり、私は、自分の位置を知ることが出来、安心して話せ、聞いて下さり、共感でき、ほめてもらいました。私は参加するのに少し勇気が要りました。同様に、子どもが外に行くのも飛びきりの勇気が要るだろうと思いました。私が勇気を出して第三者の力を借りれば、子どもも第三者に借りに行くのかなと感じました。理屈で分かっていても越えられない壁を乗り越えるのは、自分のフィールドを広げるようです。違った気持ちや知識を得ることで、前向きになり、勇気と元気を貰い、壁を乗り越えていくのだなと思いました。

誰かの支えになろうとする人こそ、一番支えを必要としています。ひとりだけでがんばろうとしないで、良いサポーターを探しましょう。
講座では、私がサポーターとなりますが、それと共に、参加者同士がお互いのサポーターになるのが素晴らしい点です。

2015年12月5日土曜日

ひきこもり脱出講座

前回のひきこもり脱出講座に参加した方々からの感想をそのままご紹介します。

この講座に参加すると、もっと親の考えや希望を言って良いという気持ちにさせてくれますが、まだ子どもと向き合ってそのような話をできない自分にもどかしさを感じつつも、自分は子どもに何を言いたいのか考えることの重要性を感じています。
親が子どもに向き合うということは、当たり前のことですが、実際はなかなか難しいものです。具体的に、どのようにしたら「向き合う」ことになるのかを講座でご紹介しました。
毎回みなさんから家族の様子を聞かせて頂きありがとうございました。当事者研究の発表を聞くような感じでとてもためになり、そして癒されました。親として子どもに働きかけてメッセージを伝えたいと思っても、ちゃんとできませんでした。親子に立ちふさがるいろいろな壁が会って、その壁も親がそう思っているということが分かりました。誠実に明るく落ち着いて、プラスのメッセージを分かりやすく伝える努力が必要だと思いました。
そうですね、プラスのメッセージをどう伝えるかが重要です。親としてはそうしているつもりでも、実際はマイナスのメッセージになっていたりします。プラスとマイナスとはどういうことなのかをお伝えしました。
はじめはどうしていいかわからず、暗い気持ちでいました。しかし、毎回みなさんのお話を聞いていると、同じような悩みを抱えていることがわかり、気持ちがとても楽になりました。みなさんも頑張っているので、私も頑張ろうと思いました。今は、とても前向きに考えられるようになり、私自身の気持ちが明るくなりました。
とても大切なことに気づかれました。親が前向きになりましょう。そうすれば、子どもも前向きになることが出来ます。
親の「先取り心配性」は、子どものひきこもりのひとつの要因になっていることに気づきました。親は子どもを信じて、そして自分自身をも信じて、子離れしなくてはと思いました。
ひきこもっている子どもはのんびり構えているように見えても、内心とても心配になっています。まず親が「心配」から解放されることが大切ですね。親が子離れしてください。そうすれば、子どもも家族から離れて社会に入ってゆけます。
今、子どもが落ち込んでいるので、親は子どもに振り回されないように、自分の生活と思考の空間を保ちつつ、親として子どもに期待できることを明らかにしながら関わっていきたいと思います。この講座に参加すると、ほっとします
ホッとする感覚を大切にしてください。いったんホッと出来ると、今までいかにホッとしていなかったかということがありありとわかるでしょう。
一言で言えば、子どもが変化して自立に向けて動いていくには、親の側が変わることが重要だという当たり前のようだが肝心なことが見えてきました。子どもが社会性を持って自立するには、親と子でコミュニケーションをうまくとること、しかも子どもが内実に持っている力と可能性を信頼して、そっと、あるいは時には力を入れて背中を押すこと。その場合に言葉の力が問われると痛感しました。
そう、うまい「子どもの背中の押し具合」が肝心です。下手に押してはいけません。しかし、押さないで子どもの自発性だけに待っているというのもよくありません。ひきこもりが長期化してくると、自分自身の力だけでは外に出れなくなります。本人が自信を獲得できるよう、背中を押してあげて下さい。
子どもが自分から動くのを、親が受動的に待っているのではなく、親の側が大きな方向性について親の思い、考えを率直に伝えることが大切だと思いました。とかく本人の自主性・内発性を「信頼」するあまり、不必要に親が遠慮することが多いのですが。親自身が自信を回復することが大切ですね。
本人の自主性は尊重します。しかし、親は遠慮してはいけません。親は良い意味での期待を子どもに与え、子どもはそれを成就することによって自信を得ます。まず親が自信を回復してください。そうすれば、子どもも自信を回復できます。
毎回、何らかの気づきや発見があったことが有り難いと思います。一年ほど前は、ひきこもりの子どもを抱えているという重さにつぶされそうで辛い毎日でした。現在は親に余裕が出てきて、本来の親になれそうな気がしています。あまりオタオタせず、落ち着いて子どもに接していこうと思います。
ひきこもりは、本人も辛いのですが、親もひどく辛いものです。重さを跳ね除け、元気を回復してください。
この講座でたくさんの家庭の様子を伺い、それをどうしたらよいか皆で考えることができて良かったです。自分の家庭で起きていることも聞いてもらえ、先生からのアドバイスも有り難かったです。凝り固まっていたところを、温かくほぐしてもらい、また気づかなかった点を厳しく指摘してもらえて良かったです。今、親として子どもに何を伝えたいのか、真剣に考えて子どもに伝えていこうと思います。
私からのアドバイスもありますが、参加者のみなさん同士でアドバイスし合っているのは良かったです。ひきこもりの親という当事者同士の繋がりは、日常の中ではなかなか得られません。講座という機会をぜひ活用して下さい。
毎日が目に見えるように改善はされていないが、最近は何となく希望の持てるような日が続いています。これまで先の見えない日々の連続でしたが、精神的に気持ちの安らぎを得られるようになりました。
そのような雰囲気でみなさんひきこもりから回復されます。突然、劇的に晴れるのではなく、なんとなく気が付かないうちに先が見えるようになってきたなぁ、、、という具合ですね。
次回の参加者へのメッセージも頂きました。

新たに参加される方もいろいろな悩みを持っていらっしゃると思いますが、子どもに言いたいことが伝えられないという悩みは共通だと思います。勇気を持って伝えられるようになるのは、親の心の元気さだと思います。みなさんのお話を聞いて、元気になってください。

2015年11月13日金曜日

二種類の家族モデル

佐藤 花子さん(妻:仮名)
私はどんなに夫の家族から否定されていたことか。
私がまるで部外者のように扱います。私の存在が否定されました。

夫は、そんな時でも私を助けてくれませんでした。
いくらお義母さん・お義父さんにあなたから言ってほしいと頼んでも、「仕方がないんだ」と一言で片づけ、取り合ってくれません。逆に、「もうそのことは言うな!」と逆切れされます。
私は夫から守られているという感覚が全くありません。
子どものこと両親が協力するべき、、、とよく言われますけど、そんな夫に心を開くことは正直に言えば無理です。

佐藤 太郎さん(夫:仮名)
妻と私は、生まれ育った環境があまりにも違うんですよ。
私の実家は地方の、とてものんびりした田舎です。
代々農業を営んでいたけど、戦後、農地を売って商売を始めました。素朴で、ざっくばらんな、何でも言い合える大家族です。

妻は都会のサラリーマン家族に育ちました。教育ママと多忙なサラリーマンから、かなり厳しく勉強させられたようです。妻の兄は親の期待どおりの大学に進み、立派な会社に就職しました。しかし、妻の弟の方は残念ながら、、、、。あっ、このことは妻には内緒にしていて下さい。この話になると、妻の機嫌が悪くなります。

うちに嫁いだ後も不満が多くて、、、
ウチの実家のことを、内心馬鹿にしているんです。妻はわがままなんですね、基本的に。
うちは、小さい時から大きな家族で育ち、もまれてきました。
妻の家族は都会育ちで祖父母も同居していなかったから、うちの家族の習慣を理解できないんです。
自分勝手で、ほとほと手を焼いています。あっ、このことも妻には言わないでください。

ご夫婦で深く話し合うと、どうしても口論になってしまうのですね。

どの夫婦でも育った環境が違いますから、価値観をすり合わせが難しいのは当然です。
おふたりは何年間結婚されていますか?

いまからでも遅くはありません。よく話し合い、たくさん口論をして、価値観をすり合わせてください。
「良い意味での口論」が大切です。多少は傷つけあっても構いませんから(ただし、大きくは傷つけないでください)、お互いの価値観をよく話し合いましょう。

その際に、ひとつ大切なことを説明します。
「家族」の捉え方には二種類あります。

ひとつは、伝統的な拡大家族観です。
家族の枠組みは祖先から子孫まで綿々と続くという考え方で、自分の親も子も同等に尊重します。

ふたつめは、近代的な核家族観です。
結婚したら実家から離れて、親としての自分たちと子どもたちで新しい核家族を作るという考え方です。この場合、自分の老親とは距離を置き、核家族を一番大切にします。老親との絆を保とうとするのは「親離れできていない人」と否定的に見なされます。

戦後、欧米からの入ってきたこの考え方が、今では主流になりつつありますが、依然として伝統的な拡大家族観も生きています。

家族に正解はありません。
伝統的な拡大家族観と、近代的な核家族観の一方がダメで、もう一方が正しいというものではありません。

佐藤さんの場合は、ご主人が拡大家族観をお持ちで、奥さまが核家族観をお持ちです。
そのような家族が多いです。なぜかというと、昔は男性優位社会で女性のさまざまな犠牲の上に社会や家族成り立っていました。現代の男女平等の考え方は核家族観を支持します。
男性が拡大家族観を志向し、女性が核家族観をより志向するのももっともなことです。それを急に変える必要はないと思います。

ただし、重要なことは、相互の価値観と気持ちを尊重することです。
佐藤さんの場合は、奥さまがご主人の家族から痛つけられた苦しみを、ご主人が十分に理解し、奥さまのお気持ちをわかって、奥さまを支えてあげることが大切です。

それとともに、ご主人が親世代の価値観を尊重したいというお気持ちを、奥さまがよく理解し、わかってあげて下さい。

そうすれば、ご夫婦がよく理解し合い、核家族も、拡大家族も尊重することができます。
このように理屈で説明するのは簡単ですが、実際、おふたりですり合わせるのはかなり難しいと思います。
しかし、子どものことでご両親が本当に協力するためには避けて通れない道なので、よくよく「良い口論」をしてください。

2015年11月11日水曜日

「ひきこもり講演会」参加者からの感想を紹介します


先日の講演会に参加された方々からの感想が届きました。

  • わかりやすいお話で参考になりました。
  • 先生のメッセージがとてもシンプルでわかりやすく、具体的な話を聞けたことがよかったです。ひきこもりの高校生と母をサポートしています。とても難しく歯がゆく感じたりしますが、今日の話を受けて母にも話したいと思います
  • 親の気持ちの持ち方がわかりました。
  • 親しみやすい先生のわかりやすいお話でした。続編お願いします。
  • 時間をもう少し長く取って欲しかった。

  • ご参加ありがとうございます。
    今回はわりと小さなホールだったので、みなさんの表情から反応の様子もよくわかりました。私としても良い時間をみなさんと共有することができました。
  • 誰にも聞けないお話を分かりやすく説明されてありがとうございました。次回は大人になってしまった子どもで社会参加出来ない悩みについてお願いします。

  • そのようなニーズが最近とても高くなっています。子どもが20代の後半、あるいは30代・40代なのだが、、、というお話をよく伺います。また別の機会に詳しくお話ししたいと思います。
  • 用紙で質問させて頂けるのは大変有難く思いました。

  • はい、これが私のいつもの講演スタイルなんです。前半に私から「ひきこもり」についてのお話をして、休憩時間に無記名で質問を用紙に書いていただきます。後半の時間はそれを読み上げながら、具体的にお話を進めてゆきます。
    通常の講演会では、演者の話がほとんどで、参加者からの質問は最後の付け足しで短い時間しかありませんね。私はみなさんの具体的なニーズに合わせてお話をしたいので、いつもこのような形で進めています。
    手を上げて質問するまでの勇気は出ませんが、参加者の皆さんは多くのことを知りたがっています。用紙に記入していただくと、いつもたくさんの質問が出ます。今後この場でも、質問のいくつかを紹介したいと思います。
  • 大変為になるお話で希望が持てました。
  • 家族に出来る事があるという希望を頂けました。
  • 勉強会に出ても具体的に子どもに対する声掛け対応がわからず、意味のないものと考え始めていたのですが、今日はまさに今の私の脱出の手掛かりが見つかったような気がしました。

  • 家族が「希望を持つ」ということがとても重要です。
    ひきこもりが長引くと、家族も疲弊して「希望」を失ってしまいます。
    どうにか良くなるかもしれない、、、という「希望」がないと、快復しません。
    逆に言えば、家族が「希望」を持つことが出来ると、それが子どもにも伝わります。
    どうやったら家族が希望を持てるのだろうか、、、その話をさせていただきました。
  • 守る愛→放つ愛に転換することが必要と分かり、勉強になりました。安全に傷つけることがどうしたらいいか、まだ自分の中で消化できていませんが、自分なりに考えたいと思います。
  • 安全に傷つけることが出来る家族の力を知りたい。
  • 安全に傷つけることの促し方。とっても難しいなと思いました。今後少しずつ気を付けていけたらいいなと思いました。

  • 「守る愛と放す愛」、そして子どもを「安全に傷つける」ということが今日のお話のカギ概念です。頭では理解しても、具体的にどのように家族が振る舞ったらよいのかわからない、、、という質問をよく頂きます。
    それを見出すのが個別のカウンセリングとなります。それぞれの家庭で、ご事情はみな違うので、家族に合った「安全な傷つけ方」「放す愛」の実践をお薦めしています。

  • 傷つけないようにすることは自然にやってしまうことだが、先生の話を実践することが難しく感じた。

  • そうですね。「傷つける」というのは普通やってはいけないことです。
    つまり「安全に傷つける」というのは、世間一般に言われている常識に反するわけです。
    「安全に、、、」というのはどういうことなのかが難しいので、このあたりは、もう少し私からも丁寧にご説明しないといけませんね。

  • ひきこもり後に統合失調症を発症しました。病気を考えると本日の講演をそのまま手引きにしてよいのか困ります。

  • 病気の場合は多少の配慮が必要ですが、基本的には今日お話ししたことで構いません。それは、統合失調症といった病気の種類よりも、今、病気の症状や影響がどれほど出ているかによって異なってきます。「〇〇病だから〇〇してはいけない、、、」といった定型的な対応はむしろ危険です。

  • 当事者を支える親支援の様子を聞きたかった。

  • 講演でもお話ししましたが、こちらで定期的に開催している「ひきこもり脱出講座」がまさにその親支援となります。支援者の方もどうぞご参加ください。

    2015年9月2日水曜日

    ひきこもりとアルバイト

    ひきこもっていた子どもが外出できるようになりましたが、人が怖くてアルバイトまでには至りません。これはまだ社会的ひきこもりですか? 

    今まで外に出ることが出来なかった人が外出するようになったのはとても良い変化です。
    もはや物理的にはひきこもっていはいないわけですが、心理的にまだひきこもっています。

    社会的ひきこもりは、現象として社会に出ていかないことを指しますが、心理的には、人と交わることの不安感です。人からどう見られているのかという不安、人と会話して交流する人間関係の不安などが強いと、外に出てもアルバイトはできません。
    人が社会の中で問題なく生活するためにはどうしても人と交わることが必要になります。それを、できるようになることが回復の一番大切なポイントです。

    2015年4月29日水曜日

    お母さんは僕のことをわかっていない!

    「お母さんは僕のことをわかっていない!!」

    この言葉が子どもから出たら、子どもを成長させる良いチャンスです。

    お母さんは「そう。わかっていないんだ!」
    と伝えてあげて下さい。

     o o o O O O o o o

    中学生のA君は、学校に行けない状態が半年ほど続いています。母親は何とか学校に行ってもらおうとA君に話しかけます。

    子)皆に全くついていけない状態で登校することは、あまりにも辛いんだ。これから先のことは考える余裕がないんだ。そういう自分の苦しさを理解してもらいたい。

    親)その気持ちはわかるよ。でも、出来ることだけでいいから参加してごらん!

    子)それを言われるということは、さっき僕が言ったことをわかってもらえてないことになる。

    その言葉を聞いて、母親は息子に無理強いは出来ないと考え、それ以上A君に何も言えませんでした。

     o o o O O O o o o

    親は、子どもをわかってあげようとします。
    親は子どもに愛情を注ぎ、子どものことすべてを理解します。それはとても大切なことです。特に子どもが幼い頃は、親の愛情が不可欠で、豊かな心を持った子どもに育っていきます。親は子どもの一番の共感者・味方でなければなりません。

    しかし、思春期以降に同じことをやってはいけません。
    子どもは親の保護を抜け出し、まわりが理解してくれないソトの世界に自立してゆきます。
    しかし、そう一筋縄ではいきません。スッと自らどんどん自立していく子もいれば、なかなか自立できない子もいます。ソトの世界は不安です。ウチの世界に留まりたいと思ったりします。

    お母さん、僕のことを100%わかってください。

    そういう言い方はしないでしょうが、心の中はそういう気持ちです。

    思春期以降、親は子どものことを100%わかろうとしてはいけません。(まあ、そんなことできませんけど)。でも、中には一生懸命100%わかろうと努力している親もいます。それをしてはいけません。
    親が子どもをわからない部分をだんだんと増やしていってあげて下さい。
    9割しかわからないよ。8割しかわからないよ。7割しかわからないよ。
    そうすれば、子どもは親がわからない部分を、自分の力でなんとかしなければなりません。それが自立です。
    1割自立して、2割自立して、3割自立して、、、
    親が徐々に手を放してゆけば、子どもは自分自身の手を使えるようになります。

    しかし、実際にはA君のようなケースが多く見られます。
    子どもが「お母さん、ちゃんと僕のことをわかって」と求めると、親は子どもに負けてしまいます。

    なぜ負けてしまうのでしょう?
    いくつかの要因があります。

    親の愛情が大きすぎる場合。
    特に「守る愛」が強すぎて、「放す愛」が少ない場合です。親は全力を注いで子どもを守ろうとします。だから子どもの言葉を裏切ることができません。

    親の心配が強すぎる場合。
    この子は失敗するのでは、ダメになってしまうのでは、、、という不安が先行してしまうと、子どもに「ノー」と言えません。親の不安が子どもにも乗り移り、子ども自身も前に進むことができなくなってしまいます。

    専門家も親の不安に加担しています。

    「子どもを共感して受け入れましょう」という神話
    人は他者から全面的に受け入れられ、承認を受けて、自信を得ることができます。それは心理学の基本なので、カウンセラーはこのことを強調します。もちろん子どもをしっかり理解することは大切なのですが、子どもを押し出す勇気も必要です。

    病気や障害という診断
    つまり普通の人に比べて弱さを持っているという前提を作ってしまいます。そうすれば、無理したら潰れるから、あまり無理しないようにと、結果的に「守る愛」を親に伝えることになってしまいます。

    たとえ、どんな病気や障害を抱えていても、人は弱さと強さの両面を持っています。
    強さしか持っていない人はいない、ということは理解しやすいのですが、
    弱さしか持っていない人はいない、ということが自分の子どもになると、なかなか理解できません。
    子どもの弱い部分はしっかり守ってあげましょう。
    子どもの強い部分には、しっかり前に押し出してあげましょう。無理をさせてあげましょう。

    親は、子どもの弱さの背後に隠された、強さの部分をしっかり見出してあげなくてはなりません。

    2015年4月28日火曜日

    両親ふたりで講座に参加する意味

    ご両親がふたりで「ひきこもり脱出講座」に参加した方のご意見です。

    二人で参加することで親同士がお互いを知る良い機会となり、感謝しております。ただ、同時に考え方の違いに驚くことも多く、この違いをどのように捉えたらよいか難しいと感じています。

    両親の考え方は違って当然です。違って構いません。もし仮に全く同じなら、親はふたりもいらないでしょう。違いは、それをお互いに組み合わせる中で、より良い考えが生まれます。
    しかし、お互いの考えが相反して拮抗してしまうと、前に進めなくなってしまいます。そのギャップを埋められないからです。

    どうすれば、両親の考え方のギャップを埋め合わせることができるのでしょうか。
    そのためにできることは、その違いを耕すことです。当初はABの意見が全く違っているように見えても、よく話し合っているうちに、どこか共通点が見出せたりします。あるいは話し合っているうちに意見が変っていくこともあります。その作業を夫婦間で行ってください。

    でも、その作業はなかなか大変で痛みを伴います。夫婦ふたりだけだと、そこまで深めるだけの時間も気力も持てません。
    そのような場合、どうぞご両親ふたりで参加してください。ふたりだけだと喧嘩になったり、どうしても遠慮して言いにくいことでも、グループの力を借りれば、両者の意見とも支えられ、安全に夫婦間の相違を耕すことができます。

    それがグループの力です。

    親自身の壁と向き合う

    ひきこもり脱出講座の参加者からのコメントを紹介します。

    子どもにきちんと向き合えないのは、(1) 親自身の不安や、(2) 自分の子どもの頃の親との壁と向き合うこと、(3) 夫婦がお互いに遠慮なく向き合うことができていなかったのだとわかりました。しかし、どこからどうやって手を付けていいのか迷います。

    壁の比喩(メタファー)で考えてみましょう。

    (1) 親が子どもにきちんと向き合えない、、、
    つまり親と子どもの間に壁があるのですね。本当は子どもに〇〇と伝えたい、伝えなくてはいけないとはわかっています。でも、うまく伝えられるだろうか、うまく伝わるだろうか、そもそも伝えても大丈夫なのだろうか、伝えたらプラスの結果にはならず、マイナスの結果が引き起こされてしまわないだろうか、、、、これすべてが親自身の不安ですね。

    進展のない話がとても大切ですね。その中に同じように壁や不安を持っている自分が見えてきます。先を見通せない時に行動が止まってしまいます。うまくいくかどうか、上手にできるかどうか、という結果に注目していると、とても不安になります。しかし、現状をよく理解するためにはまず自分が何に対して不安を感じているかを第三者に言葉に出して説明したり、文字にして明確にすることが必要だと思いました。そして、不安から抜け出すためには、今なにができるかを考え、いろいろ行動を起こして不安を振り切る勇気と、失敗を受け止める覚悟を持つことだと思いました。

    そうです。
    ふだん、我々は自分自身の「不安な気持ち」に気づきません。「今、私は不安なんだなぁ!」なんて、普通考えないでしょう。それは、不安の渦中にいるために「灯台下暗し」、自分の気持ちなんか気づきません。でも、グループで自分の気持ちを話すと、上記のようなことが起きます。そうやって、自分自身の不安な気持ちに気づくことができます。気づいてしまえば、もうこっちのものです。

    不安を取り去る必要はありません。不安は人が生きていくためにとても大切な気持ちです。たとえば、(そんなことありえませんが)「不安」という感情が欠如してしまった人を想定してみましょう。その人が高速道路で運転したらとても危険です。どこまでスピードを出しても不安を感じないなんて。つまり、我々は危険を察知して避けるために「不安」という気持ちを持っています。人が生きていくうえで大小さまざまの危険に出くわします。それを避けるために不安の感情は重要な役割を果たします。

    だから、不安の気持ちを取り去るというわけではありません。自分で自分の不安に気づくと、その不安感をコントロールできるようになります。不安を乗り越えることもできます。子どもが成長するためには、ハードルを飛び越える不安を乗り越えなくてはなりません。不安の気持ちが強すぎるとハードルを飛べなくなってしまいます。不安は多すぎても少なすぎてもいけません。そうやって親の不安をコントロールすれば、子どもにきちんと向き合えるようになります。

    (2) 自分の子どもの頃の親との壁
    親が子どもにどう接するか。そんなこと、ひとつひとつ意識して考えていません。さまざまな場目に応じて、自然に親として動いているわけですが、実は自分の親が自分にどう接してきたかという記憶が根底にあります。気づいていなくても、自然に自分の親との体験を、自分の子どもに伝えています。
    その記憶にシコリ、つまりイヤな記憶や、傷を抱えていると、その反動から子どもに伝えるべきことをうまく伝えられなくなってしまいます。
    では、どうしたらよいのか。昔の記憶を消せばよいのでしょうか。いえ、その反対に記憶を呼び起こします。小さな出来事の記憶は自然に消えますが、大きな記憶は消えません。自ら意図的に消したいと思っても、逆に記憶に定着して残ってしまいます。
    自分の親との壁の記憶を呼び起こして人に話してみましょう。それは、とても痛いことかもしれません。しかし、肩こりをほぐすように、その痛さを通り越せば、昔の記憶から解放されます。そうすれば、自分の親との記憶に左右されることなく、自由に自分の子どもに向き合うことができるようになります。

    (3)夫婦がお互いに遠慮なく向き合えない壁
    遠慮なく向き合ったらどうなるでしょう?
    相手を傷つけてしまうかもしれない。
    相手が怒って、自分が傷ついてしまうかもしれない。
    もうこのことに関わってくれなくなるかもしれない。
    それを避けるためには、パートナーに遠慮します。遠慮したほうが安全ですから。
    そうすると、なぜか子どもにも遠慮してしまいます。遠慮した方が安全ですから。
    すると、子どももまわりの世界に対して遠慮してしまいます。遠慮した方が安全ですから。そうやって、ひきこもります。
    そのために、遠慮の連鎖を断ち切りましょう。
    まず、できることは?
    夫婦間の遠慮のパターンを崩して、一歩前に進んでみてはいかがでしょうか。

    2015年4月11日土曜日

    原因探しから未来志向へ

    質問。
    私が混乱しているので教えてほしいです。今までひきこもり、発達障害、アスペルガーは親の責任ではないと本に書いてあるが、ひきこもりは親の責任なのですか。
    私は人から
    「甘やかして育てたからだ」
    「がんじがらめに子どもに指示している」
    と言われ責められてきました。精神疾患は遺伝があるから親の責任ではないかもしれません。ひきこもりは親の接し方で防げるものなのかわからなくなってきました。

    ひきこもりに限らず精神的な問題で生活に支障をきたしている人を理解するためには、なぜそうなっているのか原因を明らかにしなければなりません。
    まず、病気や障害があるかないかと考えます。

    発達障害、アスペルガー障害、うつ病などの病名を付けるということは、それは背後に病気や障害があって、それは遺伝などの医学・生物学的な原因があるという説明になります。

    一方、「ひきこもり」という言葉自体は一つの病気を示す概念ではなく、「家に長期間ひきこもっていますよ」という状態像を示すものであって、その原因が何かということは問うていません。
    しかし、それでは困ります。なぜひきこもっているのか理解もできないし、問題解決の対策を立てられません。なんとか原因がわかるように見立てないといけません。そこで、様々な試みを講じます。

    専門的な知識がない普通の人は、自分でも納得できる身近な原因を持ってきます。たとえば、一番わかりやすいのが
    「甘やかして育てたからだ」
    「がんじがらめに子どもに指示している」
    など親の責任に仕立てることです。

    一方、専門的な知識を持っているお医者さんやカウンセラーは、〇〇病や◇◇障害という概念を当てはめます。しかし、その概念は絶対的なものではありません。
    診断名は、専門家が立てたひとつの仮説にしかすぎません。

    精神科領域の診断はあくまで仮説であり、診断する医者の主観にしが過ぎません。そこが内科・外科など精神科以外の体の病気の診断と決定的に異なることです。身体医学ではCTなどの画像診断や血液検査など客観的で科学的なデータを証拠として診断を確定しますが、精神医学ではそのような証拠がありません。症状から判断するしかありません。それは、医学モデルを適用するための便宜的な仮説にすぎず、本質は誰にもわかりません。病気であるかないかの線引きはとてもあいまいなのです。

    たとえば、専門家が用いる広汎性発達障害の診断基準一部をご紹介しましょう。
    • 目と目で見つめ合う、顔の表情、体の姿勢、身振りなど非言語メッセージの著明な障害。
    • 精神年齢に相応した友人関係を作れない。
    • 自分の楽しみ、興味や達成感を他人と分かち合おうとしない。

    これらの判定は、判断する人の主観に任されています。検査データはありません。
    思春期・青年期の人は、いや大人であっても、友人関係をちゃんと作れているかどうか疑問です。「精神年齢に相応している」かどうかも全くあいまいな基準です。それが正常範囲内か、正常域を超えているか、あるいはどの程度までを精神年齢に相応しているかという判断もその人の経験と主観です。

    伝統的なカウンセリング手法である精神分析療法は過去志向でした。今現在起きている心の問題は幼少時の親子関係や昔の否定的な人生体験など過去の出来事が原因と考えます。それを突き止めて、自分自身がそれをしっかり認識することで問題を乗り越えます。

    原因探しは意味がないと言われましたが、問題を解決するには原因を突き止め、その原因を取り除くことが問題解決の方法を会社の中でやってきました。

    そのとおりなんです。
    我々は、「原因を明確にする」という近代社会に生きています。そこでは誰もが共通して理解できる客観性が大切です。企業も、国家も、司法も立法も、すべて原因を突き止めることによって、対策を講じます。
    ところが、人の心の中身はその人自身の主観的な世界です。意識・感情といったものを明確に定義したり客観的に記述することはできません。会社組織という客観的世界と、心や家族関係という主観的世界の成り立ちは根本的に異なります。客観的な思考方法に慣れた人は、主観的な感情の世界を扱うことに苦労します。典型的な例が、社会の中で活躍する男性にとって、会社のトラブルはいくらでも解決できるけど、家族のトラブルはまったく理解できずお手上げという場合です。それを乗り越えるには、この二つの世界の成り立ちの違いを「理解」しなければなりません。

    精神科の診断は医者によって変わるし、時間の経過とともに十分変わりえます。あまり深刻に受け止めないで下さい。
    こんなことを言うと、医者仲間から批判されるでしょう。お医者やカウンセラーの先生自身は深刻に受け止めます。しかし、本人や家族はそれを永久不動の真実としての診断ではなく、もう少し自由に柔軟に受け止めます。つまり、この先生と共に問題を解決していくためには、その診断(=仮説)を有用なんだという具合に受け止めると良いです。

    ひきこもりの背後に発達障害などの病気・障害が隠れているか否かということを鵜呑みにせず、し「〇〇病・◇◇障害と診断された」現実を客観的に吟味します。診断名を持つことが、本人やまわりの人たちにどんな功罪を生むのか考えてみましょう。

    まずプラス面からです。

    何が起きているのか理解できます。
    「こういう理由だから、ひきこもっているんだ」と説明する言語が生まれるので、今まで「なぜなんだろう???、、、」とわからなかったことが、「なるほど、そういうことなのね」と腑に落とすことができます。

    解決策が生まれます。
    〇〇病・◇◇障害とわかれば、それに合った治療法や対策が見つかります。必ずしも治癒、つまり問題がすべて解決しないかもしれません。しかし、本人の特性を見出し、それを踏まえて今後どのようにしたら、本人もまわりの人も楽に生きてゆけるかがわかります。

    到達目標を下げることができます。
    単なる「怠けやサボり」だったら、怠けずにちゃんと他の人と同じように行動することが求められます。〇〇病・◇◇障害とわかれば、普通の人とは違うのだから、(人間、みな個性があって違うとは思うのですが)本人の特性に合った生き方、ライフスタイルを選択できます。多くの場合、それまで掲げていた目標を下げることができます。

    自分の責任から免責されます。
    「ひきこもりは親の責任」と言われなくなります。それまで親の接し方に問題があったのではないかという悩みや自責から解放されます。
    本人にとっては、「努力が足りない、怠けだ、甘えている」と言われなくなります。
    担任の先生にとっても、自分のクラスに落ち着きがなく授業に集中できない子や、学校に来なくなる子が出ると、先生の指導力が足りないからと仲間の先生や保護者から見られがちですが、診断がつけばそれもなくなります。あるいは、家族に問題があるのではと、親に責任を押し付けなくて済みます。
    お医者さんにとっても助かります。診断名がつかないと、治療することができません。そもそも、医者は「病気を治療する」ことが仕事ですから、病気でない人に対して仕事をできません。病名がつかなければ、医療保険も使えませんし、薬を処方することもできません。

    次にマイナス面です。

    ショックを受けます。
    病気・障害というレッテルを貼られることは、この子は普通の健康な子どもではないんだという事実を受け入れなくてはなりません。心の病気は治るようになってきましたが、まだまだ「心の病気は治らない」という偏見が社会には根強く残っています。実際、うつ病など長期化することもよくあります。一生、病気・障害と付き合わねばならないんだという諦めと覚悟が必要です。これを「障害受容」と言います。受け入れるまで苦しんだり、なかなか受け入れられない人もいますが、覚悟を決めて受け入れることができれば、その後は楽になります。

    「放す愛」から「守る愛」に傾きます。
    病気・障害を持っているということは、弱さを抱えていることを意味します。普通の健康な人のように冒険はできません。まわりの人は、その弱さを認め、カバーしてあげなければなりません。そのために、親の愛はどうしても「放す愛」が少なくなり、「守る愛」が中心になります。

    子どもが幼いころ、多動、偏食、言葉が遅いという理由で臨床心理士から「自閉的傾向あり」と言われました。でもその後に診てもらった専門のお医者さんからは「異常なし」と言われました。
    結局、今となってみれば、子どもは人の気持ちがわかる優しい青年へ成長しました。しかし、幼い時に自閉傾向と言われてから、親の私は不安を抱えてしまいました。「子どもに問題が起きないように、、、」と常に子どもの行動を見張っていたように思います。

    子どもの成長を見守る親は、常に不安との闘いです。子供が成長する中で大小さまざまな危機や危険に遭遇します。子どもが危機にさらされるそうになったら親は子どもを守り、子どもがそれを乗り越えられたら親はひと安心します。親は不安と安堵を繰り返しながら子どもを見守ります。不安が多ければ守りの態勢に入り、安心感を得ることができれば子どもの冒険を許し、飛躍するチャンスを与えることができます。

    子どもに病気・障害という名前が付けられると、親の不安にも名前が付けられ、親の不安が固定化してしまいます。問題がない時でも次に来る問題に備え、常に警戒態勢を敷いていなければなりません。それは親にとって負担となるばかりでなく、子どもはハードルを乗り越える危険に挑戦できなくなってしまいます。

    何ができないのか?
    病気や障害が根底にあれば、無理してはいけません

    何ができるのか?
    成長の階段を登るためには、今まで怖くてできなかったことをひとつずつつぶして、できるように進歩していくプロセスです。そのためには、多少とも無理をしなければなりません。

    何が無理で、何が可能なのか。それを慎重に見極めます。

    過去志向から未来志向へ。

    以上のような診断名がもたらす功罪の効果を踏まえた上で、本人と家族は未来に向き合います。
    今後、本人が何をできるか、そのためにまわりの家族は何ができるかということに焦点を当てます。
    一番大切なことは、その人に一番合った「治療法」を本人とまわりの人が創造していくことです。
    つまり今現在の本人の状態を把握して、何ができて、何ができないのか、そして、家族や学校など周りの人はどのようにして関わったらよいのかということをよく相談してみんなで共有します。

    診断名は専門家が持つひとつの仮説に過ぎません。薬を処方したりドクターストップをかけるための根拠に診断名が使われるものではありません。この人はこういう弱さを抱えており、何ができなくて、何ができるのかを見極めるための仮説を立てるために使います。

    仮説を持つのは専門家だけではありません。本人や家族も、それぞれ仮説を持っています。なぜ、ひきこもっているのか全く理解できないというご家族が多いのですが、よく話し合ってみると、多分こういうことが関係しているのではないだろうかというおぼろげな仮説を持っている場合が多くみられます。本人、家族、専門家、それぞれが持つ仮説は異なる場合が多いので、それらをよく話し合い、すり合わせて、本人がこれから出来ること・出来ないことを見極めていきます。

    親が何をできるのでしょうか?
    それを見出すためには、今までどうしてきたか、どのように子どもや家族と関わって来たかということを解明しなくてはなりません。その意味では過去もしっかり見つめます、しかし、それはあくまで解決策を見出すための手段であり、悪者さがしをするものではありません。

    十分に振り返って、十分に反省して下さい。反省といっても、しょぼんと気落ちする材料にするのではなく、そこから解決策を見出すための材料にします。
    もし今までの関わり方が良くなかったと振り返ることができたら、これからは今までとは違った関わり方をできるはずです。それを具体的に解き明かせば、新しい親の関わり方が見えてきます。

    もし、「お母さんが甘やかした」ということでしたら、多分そういう要素もどこかにあったのでしょう。親の育て方・接し方がベストではなかったのでしょう。だからと言って親が悪者にされる必要はありません。

    No parent is perfect.(完璧な親なんていません)

    親は不適切で良いのです。みんな多かれ少なかれ不適切さを持っています。そのことをまわりから責められる必要はありません。自分で責める必要もありません。

    でも、そのことをよく深めます。「お母さんが甘やかしたから、、、」という仮説は誰が持っているのでしょうか?お父さんからそう見えるのでしょうか。お母さん自身がそう思っているのでしょうか。それとも、祖父母や学校の先生などにそう言われているのでしょうか。
    なぜそのように見えるのでしょうか。どういうところを指して「甘やかし」と判断しているのでしょうか。そういう場合、どうするべきと考えているのでしょうか。もし今までやりすぎていたのなら、どう手を引くことができるのでしょうか。ということをしっかり話し合って見極めます。そして、どうこれから具体的に何をどう改善できるのかを吟味すれば、今までやってこなかった新しい親の関わりを創る事ができます。

    このようにして、これからどう子どもに関わることができるのかという可能性が見えてきます。このことは病気や障害があってもなくても全く同じです。

    まとめますと、病気・障害の有無にかかわらず、
    • 本人を十分に理解すること。
    • 本人とまわりの複数の人たちが持つ仮説を相互に分かち合うこと。その中には第三者や専門家も含めます。
    • 親や周りの人が元気を失わず、諦めずに、これからできることを考えます。
    • 今、本人ができること、家族ができることをよく考え、無理のない適切な目標を立てます。


    家族は、ただ見ているだけ、本人が自発的に気づくのを待つだけではダメです。
    結局、困難を乗り越えて次の階段に進むのは、本人自身の力です。自分の力で困難の壁に立ち向かい乗り越えなければならず、まわりが手を貸すことはできません。


    しかし、家族は本人が力を発揮できる環境を積極的に作ります。そのために、家族は知恵を出し合って、よくよく話し合わねばなりません。
    諦めてはいけません。

    2015年3月7日土曜日

    家族療法スーパーヴァイザー養成講座

    定員に達しましたので、申し込みを締め切らせていただきました。
    次年度も開催予定です。ここでご案内いたします。

    目的
    システムズ・アプローチにもとづくスーパーヴィジョンの理論を学び、実際のスーパーヴィジョン経験をとおしてその技法を学びます。
    対象者
    臨床経験5年以上の専門職(医師、看護師、臨床心理士、社会福祉士、精神保健福祉士、教師など)で、後進の指導に当たる立場の方。
    日程 (全6回)
    (1) 5月16日、(2) 6月20日、(3) 7月18日、(4) 9月26日、(5) 10月17日、(6) 11月21日
    いずれも土曜日の午後8:30-10:00(1.5時間)
    日程は変更する場合があります。
    前半はスーパーヴィジョンの理論と技法を講義中心に行い、後半は各参加者のスーパーヴィジョンのスーパーヴィジョン(メンタリング)を行います。
    場所:田村毅研究室(東京都港区)

    定員:3-6名

    講師:田村 毅(精神科医、日本家族研究・家族療法学会認定スーパーヴァイザー)

    教科書:Lee & Everett著「家族療法のスーパーヴィジョン-統合的モデル— 」金剛出版, 2011

    受講料:30,000円(税別)

    申込み・お問い合わせ
    下記をご記入の上、電子メールでお申込みください。
    お名前(ふりがな):
    性別・年齢:
    所属・役職:
    臨床経験年数:
    連絡先電子メール:
    連絡先電話番号:
    備考:(講座に対するご希望など)

    家族療法グループ・スーパーヴィジョン

    4月よりグループ・スーパービジョンを開始いたします。
    どうぞ、ご参加ください。

    目的
    参加者が提示する家族ケースをもとに、家族システムの見立てと効果的な支援策についてグループで検討します。また具体的なケースをとおして家族療法の理論と技法について学びます。
    対象者

    • 正参加者:専門家としての守秘義務を遵守し、継続的に関わるケース(臨床事例)をお持ちの専門職(医師、看護師、臨床心理士、社会福祉士、精神保健福祉士、教師など)
    • 準参加者:上記の専門職を目指す大学院学生など、自らの事例は提示しない方

    日程

    • 2015年4月25日、5月16日、6月20日、7月18日、9月26日、10月17日、11月21日、12月19日
    • 2016年1月16日、2月20日、3月12日
    • 全11回。いずれも土曜日の午後6-8時(2時間)
    • 日程は変更する場合があります。
    • 年間を通じてのご参加を原則としますが、1回のみの参加も可能です。

    場所:田村毅研究室(東京都港区)

    講師:田村 毅(精神科医、日本家族研究・家族療法学会認定スーパーヴァイザー)

    教科書:日本家族研究・家族療法学会編「家族療法テキストブック」(金剛出版)

    受講料(税別)

    • 正参加者:各回5,000円(全11回一括40,000円)
    • 準参加者:各回4,000円(全11回一括32,000円)

    (年度途中より一括お支払いただく場合は、残りの回数合計の2割引といたします)

    定員:正参加者:6名、(準参加者:若干名)

    申込み
    下記をご記入の上、電子メールでお申込みください。
    お名前(ふりがな):
    性別・年齢:
    所属・役職:
    連絡先電子メール:
    連絡先電話番号:
    備考:(講座に対するご希望など)

    2015年3月1日日曜日

    高齢のご両親についてのご相談

    【つぶやき】からのご相談です。

    70代の両親について相談先を探しています。母はもともと発達障害があったと思われ、依存心が強く、自己中心的で被害妄想があり、私(長女40代)も子供の頃から気持ちを理解してもらえたことがあまりありません。私が父と仲良くすることを嫌悪し阻止するので、思うように父と関われませんでした。

    父と私は母をカウンセリングに連れて行きたくこれまで何度も努力しましたが、母が激高することを心配する親類の協力を得られず、父が奮起して一人でカウンセリングに行ってみたことがありましたが「本人を連れて来なければ話にならない」との対応で父は懲りてしまいました。

    トラブルの多い母には家族も親類も腫物に障るようその場凌ぎの対応でここまできましたが、最近父がステージ4の癌と判り闘病が始まりました。当初は献身的に向き合っていた母ですが、過剰に頑張ってしまうためストレスで被害妄想が酷くなり、父への暴言が始まり看護できそうにない状態で、さすがに父も家を出たいと言っております。

    このようなケースですが、田村先生でしたらどのように対応していただけますか?

    -------

    お返事が遅くなり、失礼いたしました。
    お母さまの対応と、お父さまの闘病とが重なり、とてもストレスの高い状況とお察しいたします。
    ふたつの方法が考えられます。

    1)本人を連れて来ないで解決を図る。
    娘さんであるあなたが、もし可能であればお父さまもご一緒に、いらしていただき、どのようにお母さまと関わることができるか相談します。

    もともと性格に問題のあるお母さまと家族との関係性が、長い間に悪循環のスパイラルに陥っている可能性があります。その当事者ですと見えないのですが、専門家が客観的な立場から家族のやりとりを伺い、悪循環を外すためのツボを見つけ出します。そのツボは、多分、今まで実行することのなかった想定外の関わり方になると思います。それが、具体的にどのような関わり方かということは、これだけの情報からはわかりません。もう少しお話を丁寧に伺う中で見えてきます。

    2)お母さんの問題ではなく、別の問題にすり替える。
    たとえば、「お父さんの看病の問題」として、お母さまを連れていらっしゃるという方法です。
    お母さまの意識の中ではご自身が問題であるとは全く認識せず、まわりの人が問題であると認識していらっしゃるでしょう。その「困り感」に沿った形で相談に入ります。たとえば、お母さんにとって、「夫が自分の言うことを聞かない、夫がすぐ怒る、夫が妻を無視する・冷たくする」などの困り感をお持ちでしたら、そのような「困った夫の問題」をどうしたらよいかという視点から相談に誘います。自分のことでは相談する気持ちがなくても、「問題の夫」という構造であれば相談にいらっしゃるかもしれません。

    もし相談にいらっしゃっても、「実は、あなたが問題ですね」という流れには持って行きません。あくまで「夫の問題」を相談していく中で、お母さま自身が抱える葛藤や感情を表出されて、他者に支えられているという感覚を抱くことができれば、気持ちが落ち着きます。

    ----
    以上、ふたつの方法をご紹介しました。
    いずれの方法でも、お母さまの性格自体を変えることはおそらく無理でしょう。しかし、このようにして、家族関係の悪循環を緩和することは可能です。それは、お母さまご自身ばかりでなく、癌と闘うお父さまにとっても、とても重要なことは言うまでもありません。

    2015年2月10日火曜日

    「先々心配性」と二種類の親の愛

    「ひきこもり脱出講座」の参加者のお話です。

    皆さんの話を聴いていて、私は「先々心配性」だと思いました。
    子どものことについて、先回りして心配して、何かを言ってしまいます。

    とても大切なことに気づかれましたね。
    「心配性」と言われると、なんだか良くないことのように思われますが、親が子どもを心配することは当たり前。とても大切なことです。
    逆のことを考えてみましょう。もし、親が子どものことを心配しなかったら、どうなるでしょう?子どもは危険にさらされますね。親は子どもを危険から守らなければなりません。子どもの先々のことを心配してしっかり守ってあげることが、親の愛情です。

    しかし、もう少し深く考えてみましょう。親の愛情って何でしょうか?
    私は親の愛情には二種類あると考えます。それをよく理解して、バランスよくこの二種類の愛情を子どもに与えれば、子どもはうまく育ちます。

    二種類の愛とは、守る愛と放す愛です。順番に説明しましょう。

    1) 守る愛
    子どものことを心配して、予想される危険をあらかじめ予知して子どもの身の安全を守ります。
    この世の中は危険に満ちています。安心していると痛い目に遭います。子どもはまだ自分を守ることができないので、親がしっかり保護してあげなければなりません。
    この愛情は、子どもがまだ小さい時に特に重要です。子どもは、守られているんだという安全感を得て、この世の中は基本的に大丈夫なんだ、自分はこの世の中に生まれてきて良かったんだ、自分を守ってくれる親はありがたい、つまりいろんな人がいるけど基本的には自分の味方でいてくれて、自分がどんな悪いことをしても良いことをしても、変わらず絶対的な愛情を注いでくれるんだという、人格の核となる自信を得ます。人は自分のことをわかってくれるはずだ、守ってくれるはずだという安心の期待を得ることで、この世の中に安心して留まることができます。

    2) 放す愛
    もう一つが放す愛、これは様々な点で守る愛と180度異なります。正反対なんですね。
    子どもは自分で身を守ることができるだろうと、子どもの潜在能力を信頼します。もしかしたら危険なことが起きるかもしれないと予期しても、親が子どもをも守らず、子ども自身がどうにか難局を切り抜けることを遠くから見守っています。
    この世の中は危険に満ちています。何かに挑戦しても失敗がつきものです。しかし子どもが転んで痛い目にあっても(失敗しても)、自分で機嫌を直して立ち上がり、また歩いてゆけるだろうと信じています。親は心配だとしても、子どもに任せて、あれこれ手を出しません。
    この愛情は、子どもから大人へ自立する時に特に重要です。親が手を出さず、自分に任せているんだ、つまり親は自分のことを信じてくれているんだという安心感を得て、自分でどうにか困難を切り抜けてみよう、がんばってみようというやる気が芽生えます。親は助けてくれないんだという諦めが、親に頼らず自分でどうにかしなくてはならないという気持ちに切り替わります。
    でも、きっとそううまくはいかないでしょう。何度か失敗します。もう親に助けてもらいたい気持ちです。それでも、親が助け舟を出さずに子ども自身に任せているということは、よっぽど自分でできると思っているんでしょうか。そのような親の肯定的な期待感を受けて、子どもは辛いけどまた挑戦します。何度か失敗しているうちに、いつか成功する時が来ます。そのことを親はしっかり見ていてくれます。自分の力で難局を切り抜けることができたのだという体験が、辛くても自分でどうにかできるという自信につながり、親やまわりの人に頼らずとも自分でどうにかする自立心が芽生えます。保護者に守られ世界だけでなく、危険なことが起きるかもしれない世の中に飛び出しても、なんとか自分でやっていけるという自信を得て、社会の中に安心して留まることができます。

    ただ、注意しないといけないのは、「放任」とは異なるということです。放任は子どものことに関心を払わず、忘れてしまっています。それではいけません。子どもが今どんな様子か、遠くから見守っています。近くで見守り手を出しません。子どもが転んだり失敗する様子をちゃんと把握しますが、救いの手を差し伸べず、黙って見ています。よっぽどひどい状態になれば手助けすることもあるでしょう。どれくらいひどくなるまで手を出さないのかが放す愛の難しいところです。

    子どもが幼い頃は守る愛がメインです。子どもはまだ自分を守る力を持っていませんから。
    しかし、子どもが成長して、自分で自分を守ろう、自立しようとする思春期以降は、放す愛がメインになります。
    だからといって、放す愛だけで守る愛が必要ないということではありません。子どもが小さい時も、大きくなった時も、この両者は必要です。ただし、大切なことはその配分です。子どもが自立しようとしている時期に、守る愛の配分が大きすぎて、放す愛が少ないと、子どもは自立できません。

    このように理屈で整理すれば簡単に聞こえますが、親がこの二つの愛を使い分けるのは実はとても難しいのです。

    子どもに、親として言いたいことを言えないんです。
    子どもに遠慮するなんておかしいのに、なぜか遠慮してしまいます。
    親が言ってしまうと、子どもの状態がもっと悪くなるんじゃないだろうか、ひどくなるんじゃないかと心配します。
    せっかくここまで話せるようになってきたのに、親が言うと、また自分の部屋にひきこもり、親子で話せなくなってしまうのではないかと心配します。
    以前、子どもから「うるさい!」と言われたから、それ以上言えません。
    子どもから拒否されたから、それ以上言えません。
    子どもに言われて、親ががんじがらめになっています。

    「親として言いたいことを言う」のは放す愛です。そんなことを言ったら子どもは傷つきますから。
    「親が言うと、ひどくなるんじゃないか」というのは守る愛です。危険性を予知していますから。
    両方が重なっています。これではどうしたらよいかわかりませんね。だからがんじがらめになってしまいます。

    ひきこもりの子どもに、「親の気持ちを伝える」のはタブーだと言われてきました。
    親の気持ちは何も言ってはいけない。「これからどうするの?」などと将来のことや、本人の不安を煽るようなことを言って、刺激してはいけません。

    その通りです。ただし、それは守る愛がメインの場合です。
    守る愛の基本姿勢は不安感です。危険を早期発見しなくてはいけないので。親が不安だと、子どもも不安になります。
    放す愛を与える場合は、どんどん親の気持ちを伝えます。「これからどうするの?」と将来のことを言って刺激します。放す愛の基本姿勢は楽天的(安心)です。この子は今は転んでいるけど、自分で立ち上がり歩き出す力を持っているに違いないとなぜか根拠なく安心しています。「立ち止まらなくて良い。前に進んでごらん。失敗しても構わない、また立ち上がれば良いのだから」その言外には「だって君、そうできるだけの生きる力を本当は持っているんでしょ?」という安心感を子どもに伝えていることになります。子どもは言わなくても親の気持ちが伝わります。親の楽天的な安心感が子どもにも伝わります。だから、親が「これからどうするの?」と将来のことを言っても、本人は不安になりません。なぜなら、親が不安になっていないからです。

    つまり、放す愛で子どもに接するためには、親の基本姿勢を悲観論(不安)から楽観論(安心)に切り替えなければなりません。子どもが小さい時は守る愛(不安)中心でやってきましたから、子どもが大きくなってもなかなか切り替えられません。しかし、きっかけが与えられ、親が一旦切り替えることができれば、親も楽になるし、子どもも楽になります。

    従来は、
    守る愛=母親の担当(母性性)
    放す愛=父親の担当(父性性)
    と言われてましたが、今はほとんど関係ありません。
    性役割分業が明確だった一昔前にはこの色分けにも根拠がありましたが、今は違います。
    ひとり親でも構いません。ひとりの親が、子どもの状況に応じて、このふたつの愛を使い分けます。守る愛が多すぎても、逆に放す愛が多すぎてもいけません。

    ひとり親でも十分に可能なのですが、実際にはかなり難しいです。親自身がしっかりとした基盤を持ち、ぶれずにどちらの愛を使い分けるか状況に応じて判断しなくてはならないからです。
    そのために、親自身もまた、誰かによってしっかりと支えられていなくてはなりません。
    パートナーによってお互いに支えあいます。そういう意味ではふたり親は確かに有利です。
    あるいは、家族以外の親族や友だち、あるいは第三者の専門家でも構いません。要はひとりだけでがんばろうとしないこと。だれかと共に、試行錯誤しながら二つの愛を大胆に使い分けます。