2014年1月8日水曜日

プライドのリセットと親の価値観

Q 息子のことでご相談させてください。2年前に進学校をぎりぎりの成績で卒業し、1浪目は予備校に通いながら受験勉強をしていました。2浪目の秋からもう間に合わない、このままだったら落ちてしまう、だったら受験しないほうがよいと言い出し、部屋にこもるようになりました。 本人は国立大学の医学部に行きたいと思っており、それがダメなら生きている意味がないと言います。学歴主義の世界で生きていた自分はもう取り返しがつかない。無からはどんなに頑張っても有にはならないと。 親から見ると、息子は完全に自分の人生をあきらめたように見えます。勉強はいっさいせず、時々「俺はどうなるんだ」、「どうなってもいいや、もう捨てた」と言います。毎日、部屋の中にいて、ほとんど出てこなくなりました。親として、どのような対応をすればよいのでしょうか。


 A 息子さんは中学までは進学校に行かれるほど成績が良かったのですね。その中で自分は成績優秀であるという高いプライド(自我像)を身につけられたのだと思います。しかし高校では思うように成績が伸びず自分が大切にしてきたプライドに叶う進路を見出すことができません。息子さんにとっての「生きる意味」とは彼のプライドに叶う進路、つまり国立大医学部に進むことなのでしょう。それが叶わなければ生きる意味を見失い、自分を捨てるしかなくなります。
 息子さんは自分のプライドをリセットすることが必要です。自分に課した期待どおりの100%の自分を諦め、60%70%の修正された自分を受け入れなければいけません。それは、本人自身が傷つき、悩み、葛藤した末に得られることです。そのプロセスに親は直接関与することができません。
 一度築いた価値観を崩し、別の価値観を獲得することはとても困難です。親ができることは、親自身の価値観を点検してみることです。価値観は家族同士相互に関連します。口に出して言わなくても、親の価値観は子どもの価値観に伝わります。親が価値観を見直すことができれば、子どもも自分の価値観に対して自由になることができます。

私自身の例をご紹介しましょう。
私には3人の子どもがいます。末の次男は中学3年生でこれから高校受験を迎えます。彼の両親も兄も姉も、公立の進学校に進学しています。彼も同様に希望していますが、成績が不十分です。成績表はオール3のレベルです。それまであまり勉強しなかった彼も2学期にはがんばりオール4に近いレベルまで成績が伸びました。私はそれをほめるのですが息子はあまり喜びません。今の段階で自分にOKを出してしまうと、後にその期待が裏切られた時に傷つくことを知っているのでしょう。
 学校の先生や友人に相談しても、何の問題もない、今のままで良いじゃないかと言います。私ももし自分の子どもでなければ何も問題とは思わないでしょう。しかし、自分の子どものこととなると心配が尽きません。息子の将来は大丈夫なのだろうか?幸せになれるのだろうか?
 幸せになれないかもしれないと心配するのは子どもを信じていないということです。親のエゴに過ぎません。
 こうやって自分の価値観を点検してみると、自分が如何に学力(頭の良さ)というひとつの指標に縛られてきたかということがよくわかります。世の中にはさまざまな価値があります。サッカーがうまかったり(運動能力)、背が高かったり(身体能力)、イケメンで女の子にもてたり(美しさ)、ピアノや絵画が上手だったり(芸術的才能)、、、、いくらでも自己を承認の指標はあるのに、それらを使わず学力のみに頼ってきました。
 私は親のようになりたいと思ってきました。いえ、当時はそんなことは思いませんが、今から若い頃を振り返れば無意識にそう思っていたに違いありません。親の価値観に叶う人間になり、親からの承認を得たかったのだと思います。自分の命を作った張本人である親から認められることで、自分が存在する価値が出てきます。
 学歴なんて生きる上で全然すべてではないはずです。偏差値が高くなくても、家族の期待に応えられなくても、人は十分に幸せになるチャンスはあります。それはあまりにも自明のことなのに、自分自身の子どものことになると思考が停止してしまいます。どうやって次男を承認したらよいのだろう。どうやったら次男は親からの承認感を得ることができるのだろう。
 私の両親も、私自身も妻も、上の子どもふたりも、みな学力という資質を頼りに自尊心を作ってきました。次男がそれに見合う資質を持ち合わせていないとしたら、彼はどうやって生きる自信を獲得していくのでしょう。自分自身も家族を見渡しても、学力以外の価値を糧に自信を得てきた人を知りません。クライエントなど家族以外の人ではたくさんいるのに、そういう人々には目が向かないのです。
 今、次男に向き合い、私は父親として何を与えたらよいのか自信がありません。このように考えること自体、親の心配し過ぎであると理屈ではわかります。親の思惑とは別に、子どもは自分で試行錯誤して価値を作っていくのでしょう。そのように信頼してあげなくてはいけません。そう思いつつも、何とか子どもが価値を見出すための環境を整えてあげたいと考えています。
 次男には無条件の承認を与えたいと願っています。根底の部分で彼を信頼したい。勉強ができなくても、暴れん坊でも、性格が悪くても、根底のところでは彼は「良いやつ」なんだ、生きる価値がある人間なんだというメッセージを送りたいのです。親にとって彼はいかにかけがえのない存在であるか。それは彼を甘やかしたり、彼の言いなりになることではありません。彼の内面の強さを信じて、彼が獲得したものや、彼の努力を評価したいのです。偏差値の高い大学に行かないかもしれない。高卒かもしれない。正社員になれないかもしれない。フリーターかもしれない。彼の人生がどんな状況であっても、私にとっての彼の価値は変わらない。幸せになってほしい。この世に生を受けたことを喜んでほしい。でも、私はそれができるか、心の底からそう思う事ができるか自信がありません。その経験がないからです。

これが私の本音です。周りから見ればごく単純なことのはずなのに、当事者の位置に座ると、客観性を失ってしまいます。

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