2013年11月25日月曜日

子どもの問題と夫婦の成長

A子さんとE夫さんが子どもの相談にやってきました。

息子の問題は「心の病気」と思ってきました。今まで病院の先生からもそう言われてきました。
しかし、両親は今ひとつ腑に落ちません。子どもはしっかりしている側面もあります。でも、その反面、とても未熟で成長し切れていない部分があります。病気ではなく性格の問題なのだろうか。よくわかりません。

子どもの問題とは関係ないのですが、家族の中に越えがたい壁があります。
こうやって、夫婦で揃って相談に来たのは初めてです。

一見とても仲の良さそうなご夫婦なのですが、話していても何となく不自然な雰囲気です。
それもそのはず、家では子どものことなど家の中の大切なことを夫婦が一緒に考えて話し合いません。「ご飯どうする?」「今日は遅くなるよ」といった表面的な日常のやりとりしか会話がなく、それ以上深い会話ができません。
夫婦お互いに向き合うことを避けてきました。
夫婦の間には越えがたい壁があります。

  • 双方の実家のこと、、、
  • まだ子どもが生まれる前からの葛藤、、、
  • 子どもの育て方の違い、、、

それらはどうしようもなく長年、家族の中に横たわってきました。
そのことを話そうとすればケンカになってしまいます。だから触れないように、語らないように避けるしかありません。子どもの問題についても、本当は夫婦でじっくり話し合いたかったのですが、残念ながらできませんでした。

いい歳をして成長しきれていない子どもに対して、親として本当はこう伝えたい。伝えなければいけない、、、
という思いはあるのですが、なぜかちゃんと伝えられません。
もしかしたら、誰に対しても「本音を伝える」ということをしてこなかったからかもしれません。
何となく怖さを感じてしまいます。どう子どもに向き合ったらよいのか、親としての自分にウソをついているようで、なんとも申し訳なく思います。

このように話していると、どうも夫婦の問題と子どもの問題は関連していることに気づきました。
いや、そのことは前からわかってはいたのですが、それを私自身認めるのが辛くて避けてきました。
子どもの問題を乗り越えるためには、やはりこれまでの夫婦の壁に向き合わないといけないのかと思うとやりきれない気持ちです。

1回相談しただけでずいぶんと目からうろこが落ちた気持ちです。
この後どうしようか。家に持ち帰って少し考えてみることにしました。

第三者を交えて相談しているときは夫婦が向き合わねばと思ったのですが、家に帰り日常に戻るとその気持ちはどうしても薄れてしまいます。そうしなければいけないとは思うのですが、やはり無理です。もう何年もそのことはわかってはいたのですが、どうにもなりません。
もう疲れました。今さら第三者を交て話し合っても無駄です。

その一方で、子どもの問題はどうにかしないといけません。とりあえず息子のことを相談するために、E夫だけひとりで相談に行くことにしました。

父親として子どもにどう関わっていいのかよくわかりません。今までやってきたことは間違いだったんだろうかと自信がありません。
でも、それが大きく間違っていないと先生に言われました。ほっとしました。
子どものことは少し安心できたのですが、やはり根底にある夫婦の問題はどうしようもありません。前回、妻の前では話せなかったのですが、、、

と、はじめは子どものことを相談していましたが、途中から夫婦の話になりました。
それは大切なことです。
妻の前では言えないけど、と前置きしてE夫さんの本当の気持ちが出てきます。
E夫さんは父親として真剣に子どものことや家族のことを考え、悩んでいます。今まで仕事が忙しくて、十分に家族に関われなかったことも反省しています。
しかしE夫さんの本音を妻に直接は伝えられないでしょう。A子さんが考える子育ての方針と大きく違います。E夫さんの気持ちを受け止めれば、A子さんの気持ちを否定することになってしまいます。A子さんにとって、E夫さんの気持ちをそのまま受け止めることは至難の業です。怒るか、無視するしかないでしょう。
しかし私は第三者として十分にE夫さんの気持ちを受け止めることができます。

A子さんも別の機会にひとりでやってきました。
子どものことや家族のことをたくさん話してくれました。しかし初回に両親と相談にやってきたときの話と全然ちがいます。夫の前では話せなかったことをたくさん話してくれました。それがA子さんの本当の気持ちだったのです。

確かに、
妻から見れば夫は全然家族のことを顧みず避けている、
夫から見れば妻は子供を甘やかしてばかり、
と見えるでしょう。
ふたりの話はぜんぜん噛み合いません。

しかし、一歩退いて眺めれば全体像が見えてきます。
ひとつの家族の話を、ふたつの異なる角度から見ています。
見え方はかなり違うけど、その根本は同じです。
A子さんとE夫さんの根本に共通しているのは、家族の大切さです。自分にとって夫婦や子どもはかけがえのない大切な存在です。自分の存在の拠りどころです。
近づきたい。大切にしたい。
その気持ちはとても自然な愛情なのですが、実際の生活になると、お互いの愛情が見えなくなってしまいます。とても、もったいない話です。

何度か別々に相談してきた後に、両親ふたりで再び相談に行くことにしました。

それはとても大変な決心だったと思います。よくそこまで漕ぎつけました。
今回に比べれば、一番初めの相談は楽だったのです。なぜなら、子どもの問題について相談するからです。子どものためにならば、夫婦が協力できます。
しかし、今回は夫婦の問題にも触れなければならないということは内心よくわかっています。そこに触れることはとても勇気が必要です。
今回は、その勇気をもってふたりがやってきました。

ふたりで真剣に向き合い家族のことを話し合おうとすると、どうしてもうまくいきません。
どうしても怒りの気持ちが出てきてケンカになってしまいます。
それは避けたい。
そのためには、そこに触れないようにするしかありません。
そうすると、相手にとっては無視された、拒否されたと受け取られてしまいます。
大切な相手から無視・拒否されるほど辛いことはありません。
結局、ケンカになるか、無視されるかになってしまい、どちらにせよ傷ついてしまいます。

セラピストはふたりの間に行司として入り、安全にふたりの本当の気持ちを伝え合えるように支援します。

人は誰でも弱さを持っています。それは、
自分の劣っているところ、汚いところ、恥ずかしいところ、自分でもイヤだなと思っているところ、
悲しいところ、怖ろしいところ、二度と経験したくないところ、、、
などなどです。
自分のその部分には鉄条網を張り巡らし、立ち入り禁止区域に指定します。
自分でも触れません。考えたり思い出してはいけません。その思いは心の中で切り捨て、その存在を無視してきました。
まして人が近づいては絶対にいけません。
なぜなら、そこに立ち入るとせっかく築いてきた自分という枠組みが崩れ去り、自分はダメな存在、悪い存在、劣っている存在としておとしめられてしまいます。自分の存在価値がなくなってしまいます。

だれでもそのような立ち入り禁止区域を持っています。
何もない平穏な時は全然それで構わないのですが、非常事態がやってきて、家族が深く向き合って協力しなければならない時に困ってしまいます。

人の本質は弱さです。
弱くて、ダメで、どうしようもなくても、全然かまいません。それが本来の姿なのですから。
だからこそ、一生懸命良いものになろうと努力します。そうやって体力や学力や地位やお金や、さまざまな鎧を身につけます。
鎧を身にまとうことに慣れると、いつのまにかそれが本来の自分であると錯覚して、自分は強いんだと思い込むようになります。強いから有能だから周りの人が受け入れてくれているのだと勘違いします。
本来の自分はとても弱い存在です。そのことを自分が認め、相手も認めることで、本当の自分と相手が結びつくことができます。

でもこれは大きな危険を伴います。今まで経験してきたことと正反対かもしれません。
我々は努力して良い部分を見せて、自分が強いものとして扱われることによって相手に受け入れられてきました。入学試験も、就職も、仕事も、商売も、結婚も、すべて有能さや美しさを武器にして自分を支えてきました。その流れからすると、自分の弱さを見せてしまったら相手から見捨てられるかもしれません。自分の価値がなくなってしまうかもしれません。大きな不安を抱きます。それを乗り越えるのはかなり大変な作業です。

でも、よく考えてみれば自分の弱さを認めることは強いことですよね。深い人間性に立脚して、自分自身に向き合ってやっと達成できることです。

私はそんなことできません!
いや、できますよ。できないと思い込んでいるだけです。
だれでもそこまで降りることはできるのですが、怖いから、壊れるのが不安だから躊躇するだけです。だれでも出来るはずなんです。

強さをとおしてではなく、弱さをとおして相手と向き合うことができるようになると、もはや怒りの武器が不要になります。お互いの弱さを認め合い、信頼して目の前の問題に取り組むことができます。

A子さんとE夫さんは、なにもそんなことを深く考えていたわけではありません。
何度も話し合い、言い争いになったり、もうダメだ諦めるしかないと思ったことも何度もありました。でも、なんとか話し合いを続けていくうちに、相手のことが少しずつ理解できるようになりました。
以前のように無視されたり怒りが爆発することも少なくなり、子どもの問題について率直に意見を交換できるようになりました。

そのことが影響したのかどうかはよくわかりませんが、子どもの状態が少しずつ良くなってきました。
まだまだ心配はあるのですが、今のところどうにかやれているようです。前より少し成長して大人に成長したような気がします。
はっきり「もう大丈夫」とは言い切れないのですが、なんとかやってゆけそうな見通しが見えてきました。

とても良かったです。

2013年11月15日金曜日

大切な場所

Facebookで小学生時代の友達から40年ぶりに連絡が来た!
名前を見ても思い出せない。ホコリをかぶった卒業アルバムをひっくり返して、ああ、この子ね。思い出した。

彼女曰く:
田村くんは優秀だったからよく覚えています。

えっ、そうなの?
私って小学校で優秀とまわりから見られていたの?
知らなかった。
中学では成績の学年順位が出たけど、小学校ではそんなのもなかったからわからないじゃない!?
あえて言えば学芸会で主役を演じたり、学級委員をやったり、通信簿に「5」が多かったことは覚えているけど、それが「優秀」と呼ぶべきものかわからなかった。
一番初めに気づいたのは、中1の1学期の中間試験だった。
「成績が学年で3番です」
って、そういうことなの?塾にも行ったことなかったからよくわからない。
中学以降に社会の序列が見えてくる。

でも、嬉しい。
そうか。私が知らなくても、私のことを認めてくれている人がいたんだ!
それはとても気持ちが良く、嬉しいことだ。

誰でも人からの承認を求める。

あなたのことを知っているよ。
あなたのことを見ているよ。

その欲求は際限がない。
Twitterで多くのfollowersがいると安心する。
Facebookで多くの「いいね!」をもらうと嬉しい。
ネットの中のはかない関係の中でも承認を求めようとする。
では現実の中ではどうなんだろう、はかなくないのだろうか?

既に、私はたくさんの人から認められてきた、、、と思う。
仕事をその手段に使っている。
授業で多くの学生たちと接し、
クライエントと深く接する。
講演会で多くの人に話を聞いてもらう。
人から感謝される。
テレビにも出て、疎遠だった親戚や友人から「見たよ!」と連絡をもらう。

その快感をもっと味わいたくなる。
精神科医としてもっと有名になりたい。
本を書いてたくさんの人に読んでもらって、自分のことを知ってもらいたい。
有能な精神科医になって、多くの人に認められたい。
そういう欲求はまだ残っている。
より多くの人に認められれば、よりたくさん自分を肯定できる、、、と思い込んでいる。

あなたは大切なんだ。居て欲しいんだ。
と言ってくれる人がいて、自分がこの世に存在する根拠が生まれる。

その相手を誰に求めるかが重要だ。
量でいくか、質でいくか。
質が大切に決まっているのに。

一番身近で大切な人から
あなたは大切なんだ。居て欲しいんだ。
と言ってもらえ、その人に、
あなたは大切なんだ。居て欲しいんだ。
と言えることがこの世に生きる根拠につながる。

しかし、それがあまりにも日常化して気づかなくなったり、逆にそれが得られなくなったとき、フラフラと外の世界に承認を求めようとする。
Facebookも、本を書いて名を成すのも、仕事に生きがいを求めるのも、それはそれで良いだろう。
でも、一番大切なことは、結局、家族に戻ってくることなのだ。そのことを忘れないようにしたい。

しかし実際には、
戻りたくても戻れなくなったり、
気がついたら戻り方を忘れてしまったり、
家族の大切さを忘れてしまった人たちに、
臨床ではよく出会います。

そして父になる

カンヌ映画祭の話題作「そして父になる」を観た。
ネタバレしないように気をつけながら紹介すると、、、

病院で子どもを取り違えられた二組の夫婦の葛藤の物語た。
それなら、「父になる」と「母になる」の両方があってもよさそうだけど、そういう意味ではない。
4人の親のうち3人は既に「親」になっている。
ひとりだけ、「父親」になっていなかった男性が、家族の葛藤を通して「親」になっていく姿を描いている。

そして、どうやって父になったのかを要因分析すると、

1)家族と向き合わねばならない試練が与えられた。
 もしこの事件がなければ、彼は敢えて「父親」にならなくても家族はどうにかやってこれただろう。葛藤があったからこそ真剣に向き合う必然性が生まれた。
危機crisis=険danger+会chance
家族の危機は、家族が崩壊する危険性を含むとともに、家族の力を発揮するよい機会(チャンス)でもある。どうしたらよいかわからない、しかしどうにかしなければならないというギリギリの状況の中で彼は苦悩し、試行錯誤して家族と向き合った。

2)価値観・人生観の転換
 オトコとして、社会人としての自分を作りあげ、成功を支えるために彼自身が育んできた価値観を転換せざるを得なくなった。積み上げてきた自分をいったん崩すことは大きな勇気が必要だ。初めて経験する大きな挫折体験が、彼を人間として成長させた。

3)夫婦の対話をやめなかった。
 夫婦を長くやっているとだんだんオリが溜まってくる。挫折がなければオリが溜まっていてもなんとかなる。しかし、試練を乗り越えるためには夫婦が協力しなければならない。高いレベルの協力体制を組むためには、溜まったオリを整理しなくてはならなくなった。お互いに我慢していた不満が一気に高まり爆発する。今までは敢えて語らなかった本音をお互いに思い切って伝え合う。それはお互いにとってかなりきつい。そこを何とか踏みとどまり葛藤を乗り越えることができると、夫婦の新たな問題解決能力が生まれる。

4)自分の親を訪ねる。
 どの親もマニュアルを頼りに子育ては出来ない。親から与えられた体験が身体に浸みつき、無意識のうちに自動的に子どもに対応している。子どもにどう向き合ったらよいのかわからなくなった時は、あえて自分の過去を再訪することで自分の癖が見えてくる。

5)子どもから愛をもらった。
 彼は親としてどう関わったらよいのか、向き合ったらよいのか自信が持てなかった。ふとしたきっかけにより子どもからそれで良いのだよと承認を受け、父親としての自信を獲得する。夫婦と同じように、親子でも相互に愛を伝え合う。親が子どもに愛を伝え、子どもが親に愛を伝える。その相互作用の中で親子関係が再構築された。

日本映画にありがちなB級作品ではなく、危機を乗り越えようとする家族の心理がうまく描かれた見ごたえのある作品だ。

2013年11月11日月曜日

しまなみ海道サイクリングⅡ

昨年8月のしまなみ海道サイクリングがあまりにも良かったので、今回2回目のサイクリングに出かけた。
11月2日
仕事を終え、新幹線と在来線で尾道まで。福本渡船で向島に渡り、河野温泉泊。

11月3日
6:02 向島出発
https://maps.google.com/maps?q=34.402287+133.196176&z=14

7:04
因島側からの生口橋。向島を出発して初めてのコンビニで腹ごしらえ。
https://maps.google.com/maps?q=34.319624+133.145270&z=14



9:38 大島。来島海峡大橋手前の道の駅「いきいき館」
サイクリングクーポンを持っていると、名物ゆずソフトが50円引きになる。
これまで天気はどうにかもっていたが、あいにく小雨が降り出した。

10:40 JR今治駅に到着。尾道から4時間40分で走破。
BD-1を折りたたんで電車で松山へ。
午後は松山で仕事。(相談員研修)

11月4日
朝いちで道後温泉でひと風呂浴びる。
写っているのは知らない人です(笑)。
午前中は仕事。
午後1時ころ松山を発ち、海沿いの国道196号(今治街道)を走り今治へ。途中休憩をはさんで約4時間かかった。海沿いの道で気持ちが良いのだけど、向かい風が強く、車の交通量も結構多いので、しまなみ海道ほど快適ではない。
宿泊した今治国際ホテルでは部屋に自転車を持ち込み可。海外(ヨーロッパ)では可のホテルもあったが、国内のホテルではソトの駐輪場か良くてもフロント預かりになる。しかも、スポーツ自転車用のスタンドまで貸してくれて大感激。さすがしまなみ海道のおひざ元だ。部屋はゆったり、温泉もあり、かなりお薦めのホテルです。

夜は近くの居酒屋へ。この刺身盛り合わせが1人前で500円だからびっくり!大満足でした。


11月5日
9:15 今治国際ホテル発。

昨夜のマッサージで身体は軽い。


10:05  大島外周道路より来島海峡大橋。
2回目なので、大島と生口島は指定された道ではなくバリエーションルートを試した。

吉海を経由する大島西岸からの来島大橋は美し過ぎる!
道はずっと海沿いで気持ちが良いのだが、後半の田浦峠の登りが今回で一番の難所だった。

大島側から見た伯方島と伯方・大島大橋。ここからの海と島と橋の風景がしまなみ海道中で一番好きだ。
瀬戸内海に波はほとんどない。その代わり早い潮流で渦巻く様子が身近に見える。

12:05 生口島の南端。
指定されたルートは西側の瀬戸田を経由するが、東岸を通る。大島のような難所もなく、瀬戸田経由よりもこっちの方が良い道だ。

14:04 向島。尾道への渡船乗り場に到着。
帰路は約5時間かかった。

この福本渡船に乗り(自転車持ち込みで70円。去年より値下がりした?)、尾道でラーメンを食べて、帰路につく。夜は浜松で途中下車して2時間の講演の仕事を済ませ、自宅に着いたのは夜の11時過ぎ。吾ながら、よく体力がもった旅でした。
いやあ、楽しかった!

2013年11月8日金曜日

親は子どもに葛藤を乗り越える力を与える

親ができることは何ですか?

葛藤に耐える力を身に着けてあげることです。
人はふつう葛藤を避けます。

思春期に自立することは危険がいっぱいです。
仲間からいじめられるかもしれない。
裏切られるかもしれない。
無視されるかもしれない。ハブられるかもしれない。
うまくやってゆけないかもしれない。
KYと言われてしまうかもしれない。引かれてしまうかもしれない。

思春期の子どもは、前に進むことに不安を抱き、躊躇して、NOと言います。
そこで、子どものNoに、親がYesと言ってあげられるか。
いかに親がYESを伝えることができるかが、親の力を発揮する場面です。

そのためには、親子の葛藤を乗り越えなければなりません。

Aさん曰く:
父親は子どもとうまく接することができないんです。
以前、子どもに強く言ったら、反抗して大騒ぎになってしまいました。
父親も仕事で疲れています。もう子どもに関わる元気がありません。

Bさん曰く:
父親は家であまり意見を言いません。
意見があるかどうかもわかりません。
それに、父親が何か言ってケンカになったら困りますから。

Eさん曰く:
子どもが傷つかないか、いつも親がピリピリしています。
親は差しさわりのない話題しか触れられず、楽しい話題がありません。

人と向き合い、傷つくことを恐れるのは子どもばかりではありません。
親も恐れます。
子どもとの口論は怖いものです。
良くないことが起きるのではないか。
この子はあまり強くない子だから、つぶれてしまうのでは、やる気をなくしてしまうのでは、やけになってしまうのでは、、、と心配します。
相手に気を遣い、遠慮します。
自己主張して相手とぶつかることを回避します。

Cさん曰く:
口論は良くないです。お互いに傷つくだけで、何も生まれません。

いいえそれは違います。
人とのぶつかり合いを避けようとする習慣がひきこもりを生みます。

親は人とぶつかり対立して傷つけあっても大丈夫なんだという体験を子どもに伝えてください。
家族でも、友だちでも、親しく付き合うためには葛藤を経験しなければなりません。
葛藤を通り越したその先に親密性があります。
葛藤を避けていたら、本当の関係性(親密性)を得ることはできません。そこまて体験しないと、関係を深められません。

ひきこもり、家庭外で人とぶつかる機会が得られない場合は、家庭の中で感情のぶつかり合いを体験させます。
激しくぶつかってもOKなんだ、構わないんだ。ぶつかった後に修復できるんだという成功体験です。

特に父親とぶつかる体験が大切です。
多くの家庭では、母親がウチの番人、父親がソトの世界の番人です。
父親との対立を経験し、傷つき、回復する成功体験を得ると、ぐっとソトの世界に出やすくなります。
父親とぶつかっても大丈夫なんだという自信です。

Dさん曰く:
でも先生、子どもとぶつかると、ひきこもってしまい、全く口をきかず、関係が途絶えてしまいます。
今ようやく落ち着いて、日常会話ができるようになってきたので、この雰囲気を壊したくありません。

その不安はよくわかります。
人は親密な他者から拒絶される痛みに耐えられません。
子ども、は親から拒絶されることを恐れます。
親は、子どもから拒絶されることを恐れます。

それではダメです。
恐れていてはダメです。
拒絶されようとも、子どもが大声を出そうとも、親は子どもに関わり続けなければなりません。
それができるのは親だけです。

親の力を子どもに与えてください。

しかし、それは難しいものです。
まず、親がご自身のこれまでの体験を振り返ってください。
相手とぶつかり傷つき、乗り越えられなかった失敗体験(トラウマ)が残っていると、そんなこと怖くてできません。
相手とぶつかり傷つき、乗り越えて親密性を獲得した成功体験があると、難なく自然に実行できます。

Fさん曰く:
息子は自分がひきこもりだと思っていません。
本人の性格を考えると、親が相談に来ていることを話せる状況ではありません。

それではダメです。
まず、親はそう考える前提を崩しましょう。