2013年9月7日土曜日

心配係と承認係

A君のエンジンはかかりはじめたものの、まだまだ本調子ではありませんね。ちょっと走ったかと思ったら、エンストして止まってしまったり。
この時期、親の役割はふたつあります。

  • 心配係:A君のエンジンがストップした時に、「それじゃあダメだよ」とダメ出しをして心配してあげる係です。
  • 承認係:A君の良いところを、「そうその調子。それで良いよ!}と肯定してあげる係です。

お母さんは、心配係は得意のようですね。

はい。
ちゃんとご飯を食べて栄養を取っているかとか、健康は大丈夫だろうかとか、あとはスポンサーとしてお金のことなど常に心配しています。

給食係と保健係と大蔵省ですね。
それはとても大切なことです。しっかり心配してあげてください。そうしないと、A君はまだまだダメですから。
でも、承認係はあまり得意でないようですね。

承認というのはどんなことをすれば伝わるのでしょうか?
表現が薄く、気持ちが伝わらないことに悩んできました。
思えば、両親から誉められた経験がほとんどありません。妹が弱かったので母は妹につきっきりでしたし、夫婦仲があまり良くなく、お姑さんもいたので、母親はほとんど余裕がなかったのだと思います。姉である私は何でも一通りこなすことができたので、ほとんどほっておかれました。その後も母親からは承認されないまま亡くなってしまいました。父は仕事が忙しくて、家庭にはほとんど関わらない人でした。

確かに、「承認」というのは気持ちの問題ですから、ハウツー的に「よくがんばったね。それで良いよ。」と言ってみたところで、妙にしっくりこなくてわざとらしくなってしまったりします。
他者を承認するためには、自分が承認を受けた体験がとても大切です。
承認を受けた人は、あえて意識しなくとも自然に人に承認を与えることができます。
承認を受けた記憶がない人は、いくら意識してもぎこちなくなってしまい、人に承認を与えることをとても苦手に感じてしまいます。

なぜ私が苦手なのかよくわかります。
私が親から褒められて嬉しかったと感じたことは一度だけ、大学に合格したときだけです。

承認を受けた記憶が出てきましたね。それはとても良いことです。どんな具合だったのですが、よく教えてください。

合格を知らせたら父が「おめでとう」と言って、私と握手しました。

その時、どんな気持ちがしましたか?

実は第一志望の大学ではなかったんです。とりあえず受かったけどホントにこれで良いのだろうかよくわからなかったのですが、父と握手して、自分がやってきたことは間違いではなかったのだという確信を持てました。

そう。その感覚が大切なんです。お母さんはとても大切な記憶をよみがえらせることができましたね。
A君は今、まさにそれを必要としています。人よりだいぶ遅れてしまい、とりあえず今、エンジンをかけてみたものの、ホントにこれで良いのだろうか、今さら走り出してももう手遅れなのではないだろうか、もうオレの人生は台無しになってしまったのかもしれないと戸惑っています。
「遅れても構わない、今のカタチで前に進めば良いのだよ、それで大丈夫だよ」と承認してくれる人を求めています。
大丈夫。お母さんは承認された体験をお持ちだから、A君の承認係をしっかり務めることができますよ。

はい。自信ないけどがんばってみます。

、、、こうやって承認係は苦手ですというお母さん自身を私が承認して、お母さんがA君を承認できるように支援しました。承認の連鎖ですね。

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