2013年9月16日月曜日

家族臨床-私の見立て (1):医学モデル

医学モデル

一言で言えば私の見立て、つまりクライエントを理解するための準拠枠(framework)は医学モデルから出発して関係性モデルに落ち着いた。

不可解で個別バラバラな現象を整理して概念化するためには何らかの理論的枠組みが必要だ。医学モデルは①アセスメント(診断)⇒②介入(治療)という二段論法であり、「診断の正確さ」にこだわる。痛みや体調不良といった主観的な体験は背後に隠されている生理現象という真実を解き明かすための糸口に過ぎない。科学(science)の一分野としての医学は主観的体験を突き抜けた向うにある客観的真実に迫ろうとする。

身体医学には物的証拠があるので分かりやすい。本人の主観的な訴えの詳しい状況(たとえば、ただ「痛い」というだけでなく、どのような時に、どんな状況で、どの部分が、どのように痛むかというように)、診察による客観的な身体所見、それに血圧測定、血液検査・尿検査といったデータを統合して身体のどの部分にどんな出来事が起きているのか探りを入れる。その仮説に特化した検査を行い診断を確定する。たとえば頭痛とめまいがする患者さんを診察して脳の問題にあたりをつけたらCTやMRTを撮ってa)脳内出血かb)くも膜下出血かc)硬膜外出血かを鑑別し、身体の中で本当に起きている真実を見極める。正確な診断さえつけば治療の道筋が自ずから見えてくる。実際には頭痛とめまいを引き起こす病気はたくさんある。頭ではなく心臓や肺や別の部位の問題であったり、膠原病のような全身性疾患かもしれない。限られた情報の迷路を辿るようにして如何に正確な診断に迫るかということに医者は命をかけている。NHKテレビ番組「総合診療医ドクターG」の世界だ。

一方、精神医学には物的証拠がなく、本人の主観的体験しかないので実に分かりにくい。アルコール依存症や脳血管障害による認知症といった身体を基盤とした疾患を除けば、多くの心の問題にはデータ化できる客観的エヴィデンスがない。統合失調症やうつ病などの内因性疾患の場合、寄せ集めた症候をDSMなどの操作的診断基準に照らし合わせて疾患名の仮説を立てるが、それを客観的に証明し、確定診断できない。たとえ世界共通の診断基準を使っても、訴える所見を異常とみなすか否かの判断は主観性の何物でもない。たとえば被害妄想、離人体験、失見当識といった普通の人は体験しない、精神医学の教科書に載っているような症状はまだわかりやすい。しかし、だれもが経験しうる状態を異常所見とみなすかという判断はとても難しい。

たとえば、うつ病の診断基準にある「何もやる気がしない、仕事や家事が手につかない状態(意欲の低下)」は誰でも多かれ少なかれ経験することであり、その経験を全く持たない方が異常だろう。あるいは広汎性発達障害の診断基準には「発達水準に相応した仲間関係を作ることの失敗。楽しみ、興味、成し遂げたものを他人と共有することを自発的に求めることの欠如。(対人的相互反応における質的な障害)」というのがある。この基準自体は妥当であっても、それを実際の子どもたちにどう当てはめるかは、判断する人によって全く異なる。まず、「発達水準に相応した仲間関係」をどうとらえるか大きく意見が分かれるだろう。また分かち合えるような他人がいなければ自発的に共有するわけがない。つまり本人自身の問題ばかりでなく、本人を取り巻く関係性が問題になる。

正常・異常の線引きはヤスパースのいう「了解できるか」で判断するしかない。何もやる気がしなくなるような心因(心理的要因)を語ればなるほどと腑に落ちるが、そのような背景となる情報が得られなければ腑に落ちることはない。このように了解可能性とは、どれほど内面を掘り下げて理解するかきわめて主観的な判断のはずなのに、資格を持った専門家の判断が科学的に記載された「真実」として格上げされてしまう。しかし実際の臨床では熟練した臨床家でも診断名はバラバラであり、「正しい診断」に近づくどころか、関わった臨床家の数だけ診断名が拡散してしまう現状を目の当たりにしてきた。

診断基準に当てはまりにくい人をどうにか診断して医学モデルに当てはめるためにはふたつの抜け道がある。ひとつは仮説としてのゴミ箱的診断名である。たとえば、私は学生の頃に微細脳症候群 (Minimum Brain Dysfunction; MBD)という概念を習った。知的な障害がないのに集中困難な子どもには様々な検査では見つからない微細な障害が脳にあるという想定の診断名である。注意欠陥・多動性障害(ADHD)の昔の呼び名であり、今では死語となっている。診断書によく使う「自律神経失調症」もこの部類に入るだろう。

もうひとつは既成の疾病概念を広げて診断しやすくする方法だ。たとえば従来からあったカナー自閉症の概念を広げた「自閉症スペクトラム」や、内因性うつ病(またはメランコリー型うつ病)の概念を広げた非定型うつ病、ディスチミア型うつ病、新型うつ病などの呼び名である。これらは多くの事例から類型化を試みた症候論であるが、その背後の器質的な要因は原因不明のままである。私が臨床に関わってきた約30年の間にもこの類の概念や疾患名が目まぐるしく変化してきた。私は統合失調症や双極性障害のようないわゆる病気らしい病気にはあまり関わらず(というかあまり興味がなく)、不登校、ひきこもりといった精神疾患というより家庭や学校などの問題とも、思春期危機ともとれるテーマを扱ってきたので、医学モデルは実に使いにくい。ひきこもっている本人とは会えず、親と接する機会が多かったので本人の内面以上に家族など本人を取り巻く文脈まで広げた見立ての方法論を探し求めていた。


0 件のコメント:

コメントを投稿