2013年8月23日金曜日

保身に回りたくない

本当は保身に回りたくないんです。
でも保身に回っていました。

そうですよ、それは必要なことです。
人は強くなんかありません。弱い部分を持っています。
身を守らなければ、苦しさに耐えらえず崩壊してしまいます。
それを防ぐためには自分の身を守らなければなりません。

  • 人との距離を置くこと。人から遠ざかること。
  • 怒りのオーラで人を遠ざけること。
  • 学校や仕事を休むこと。
  • 人との交流を避け、ひきこもること。
  • 身体が反応して体調を崩してしまうこと。
  • 子どもを必要以上に心配して、先回りして守ってしまうこと。

すべて自分の弱さに起因しています。
弱くて良いんですよ。人はみな弱いのですから。

人は弱くなんかありません。強い部分を持っています。
一見矛盾しているけど、両方正しいのです。
人は弱さと強さと両方を持っています。
バランスの問題なんですよ。強さと弱さの両方を持っていたら良いのですが、弱さだけ見えて、強さが見えなくなると保身に回らざるをえません。
その強さを見出すことができたら、初めて保身が必要なくなります。

いえいえ、私は強くありませんから!
そうなんですか?
何を根拠にそう言えるんですか?
人は強さと弱さの両方を持っていると言いましたよね。100%強い人はいません。100%弱い人もいません。
あなたは「自分は弱いんだ」と思い込んでいるだけでしょ。それは間違いではないんです。確かに弱いです。でもそれと共に強い部分も持っているはずです。

そんなこと言われてもわからない!
あなたの強い部分は隠されて見えないだけです。それを発掘すれば、自分の強さが見えてきます。

発掘と言われても、、、どうやってそんなことをするんですか?
弱さを発掘します。
というか、弱さを発掘するという作業自体が強さを獲得することになります。
ふつう、人は自分の弱さを見たくないもの。自分自身で隠しておきます。そうすると、弱さは弱さのまま変わりません。
弱さを思い切って自分で発掘します。自分の弱さの起源を探し求めます。
その作業はひとりではできません。信頼できる他者が必要です。
弱さとは否定的な体験です。というか少なくとも自分で否定している体験です。
だから、それを見たくありません。自分でも見えないようにしておきます。人には絶対に言わないし、自分でもその部分を避けています。

人は、人との関係で傷つきます。人との関係で「弱さ」を獲得します。

  • 人から傷つけられた体験。
  • 愛してくれるはずの人が愛してくれなかった体験。
  • 承認してくれるはずの人から承認を受けなかった体験。

これらが、人の弱さです。こんな状態で自信を持てるはずがないです。

人との関係の傷は、人との関係で癒すことができます。
人から暖かいを受けます。あるいは承認と言っても良いでしょう。
でも保身をして中身が見えなければ承認できません。
まず保身を解いて中身を見せなければなりません。
小さな子どもは保身できませんから弱い自分をそのまま見せてくるので、愛と承認を与えやすいです。
大人は保身しますから、なかなか愛が届きません。
まず少しだけ保身を開いてもらい、その部分を承認して、自信を得たらもう一歩深く開いてもらい、また承認していく。すごく時間がかかりますが、一歩ずつ深めていきます。

弱い部分、つまり自分で否定している部分を見てもらい、
「たしかに弱いね。でもそれで良いんだよ。」
と承認してもらいます。
人から認められるということは肯定されることです。そうやって否定されていた部分を、肯定される部分へとオセロのようにひっくり返します。

しかしオセロのようにそう簡単には行きません。そのような交流の根底にあるのは愛です。愛にもとづく関係性の中で、人は弱さを克服し、強くなることができます。

人を弱くするのは愛の欠如(無関心)、傷つく関係、不安な他者との交流です。
人を強くするのは、愛、信頼できる関係、安心する他者の支えです。

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