2013年6月12日水曜日

母親の物語(最終回)

帰りの新幹線の中だ。
四国巡礼の旅も無事に終わろうとしている。
私にしてみれば婆婆のペースに合わせたのんびりの旅。
帰路に立ち寄ったしまなみ海道からの瀬戸内海が見事だった。
母親にとっては通常よりかなり活動量が多い。疲れただろう。

昨日は本家のおじさんをお見舞いにいった。
ちょうど良かった。ガンに冒された87歳の身体は浮腫と腹水で食べものを摂取できなくなり、意識も混濁し始めている。
この2週間で急激に落ちてきたんですよ。
よくお嫁さんが尽くしている。都会であれば当然ホスピスか緩和ケア病棟の段階であろう。変わり果てた兄の姿に母親は涙を流し、お嫁さんももらい泣きする。

本家のいとこのJちゃんは叔母たちと私を歓待してくれる。
蔵を整理したらこんなのが出てきたんですよ。
埃をかぶった化粧箱には昔のお人形さんが入っているが伯母さんたちの記憶にはヒットしないようだ。
母親が尋常小学校時代にもらった「優等賞」の賞状も保存されている。
夜は家族みんなで楽しい宴会。四国ならではの新鮮な海の幸が満載だ。おじさん、伯母さんら母親のきょうだいが4人、いとこたちが嫁さんも含めて4人。にぎやかで楽しい食卓だ。おじさんもビールを少量とお鮨を3カン食べることが出来た。

このシーンはとても懐かしい古い記憶が蘇ってくる。
毎年お盆に全国に散らばった一族がじいちゃん・ばあちゃんのもとに集合し、大宴会。
小姑たちがいっきに押し寄せ、伯母さんは相当たいへんだったと思う。

Jちゃんが昔のアルバムをデジタル化して、スライドショーを上映してくれた。都会の核家族で生活する我々ばかりでなく、待ち受ける側のJちゃんにとってもとても楽しかったんだって。
そう、友だちとも違う、普段は会わないけど年1回、血のつながったいとこたちとの再会は何より楽しかった。いや、血ではないな。原家族の再会を心より楽しんでいる親・祖父母・おじおばたちの姿を見て、日常生活は共にしないけれど、大きな家族にすーっと含まれていく安心感なのだろう。

お盆が過ぎてそれぞれの生活に戻っていく娘と孫たちを祖母は必ず涙で見送ってくれた。

「元気でね。無理しないでね。また来てね。手紙ちょうだいね。。。」

小さかった私は、別れを悲しむ祖母と母親を交互に見上げ、正式なさよならの儀式はこうするものなんだと感慨深く眺めていた。

このように書いていく中で、普段の家族生活では気づかない拡大された「家族の物語」が見えてくる。自分自身の家系図を目の前に展開しているようだ。

両親の原家族は有産階級だったんだ。今はあまり意識されないが、昔の時代には有産・無産階級が区別されていたのだろう。
両者とも都市部ではない地方の田舎の大きな商家だった。学問的には全然sophisticateされていない。その中で父親と母親は勉学的に抜きん出て、当時は(特に女性にとって)一般的ではなかった高等教育を受け、大都会に新たな核家族をスタートさせた。
大都市では有産・無産はあまり関係ない。みな小さな家に住み、教育レベルが収入の差を生む。

若かった父と母は「勉強できる子が都会に出る」という成功のシナリオを携えて、群馬と愛媛から上京してきた。お金持ちではないが安定した収入を父親が提供し、安定した居場所を母親が提供し、大家族の複雑な葛藤関係もなく、ある意味きわめて安定した家庭環境の中で、私は「勉強できる子」という家族神話をそのまま受け継ぐことが出来た。

----

母親の心理が少し見えてきた。
  • あ)愛情。
  • い)心配・不安、怒り、敵意、嫉妬。
これらは正反対の感情ではあるが、共通点がある。
それは、常に対象のことを意識に載せている状態だ。
かけがえのない対象(=家族)を載せている受け皿(基盤)がどのような心理状態にあるかによって分かれてくる。
受け皿が肯定的だと良質な(あ)となる。
受け皿がストレス下にあると、相手を束縛する(い)となる。

親の不安・心配は幼い子どもを守り、育むために必須の感情だ。
しかし賞味期限を過ぎると、巣から飛び立とうとする若鳥の足かせとなる。
今は巣立ちに失敗する若者が多い。

その点、はるか昔に巣立った私にとって、もはや親の不安が足かせには成りえない。そのことを心配する必要はない。
一番下の孫も来年は高校生だ。もはや手をかける年齢でもない。
とりあえず、今回アリバイを作ったから、1回か2回分の出張はキレずにいてくれるだろう。でも、その後はまた不安・心配のスパイラルに戻るだろう。それは加齢とともに記銘力は保持されたまま心情的肯定力が低下した母親に残された愛情表現なのだ。

そのうちエネルギーが切れてきたら、補充するべくまた連れ出すしかない。今度は親孝行として。
タケシさん、何から何まで本当にお世話になりました。Yおばちゃんと一緒に皆に幸せを運んでいただいたように感じています。おばちゃんにもよろしくお伝えください。 
幸せって何なんでしょうね?
久しぶりにお目にかかったおじさんは、間もなく天国へ旅立たれます。
もう自力では歩くことも食べることもできないのに、子どもや妹たちに無理に勧められてみんなの宴会の席に着きました。傾眠傾向が強く意識もはっきりしないけど、耳は聴こえているんだよね、きっと。お嫁さんが口に運んでくれたお鮨をひときれ食べた時、一瞬だけど満面の笑顔が見えました。これが幸せなんですよ、きっと。
----
6月15日
その伯父の訃報が入ったのが4日後の昨日だった。
母) お葬式は今回失礼するわ。


6月17日
お悔やみ電報
「子ども時代に帰省した時の伯父さんは、トラックの荷台に親戚一同
を載せて海水浴に連れて行ってくれたり、腹踊りをしてくれたり、
とても優しく大好きでした。最後にお目にかかる事ができて幸せで
す。安らかにお眠りください」

0 件のコメント:

コメントを投稿