2013年6月8日土曜日

母親の物語(1)

父の物語は書けた。母の物語は未だ書けていない。いつまでも済んだ物語にならないからだ。
妻の物語も、済ませるまでは書けなかった。というか、済ませるために書いた。
この物語も同様なのだろう。

私にとって父親のことは比較的語りやすかった。
過去を振り返り、分離してきたプロセスを言語化し、確認することで、改めて意図的に関係を構築できる。基本的に分離した人だからだ。

母親のことは語りにくい。
振り返ればまだ十分に分離できず、ずっと母親の渦中にいることがバレてしまう恐怖がある。
ドロ沼的な母性愛から必死に脱しようとするプロセスの一部としての母親記述になってしまう。

無意識の中でそんな風に思っていたのだろう。

二世帯住宅を共有する母親には、日常の家事をお願いしている。

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2012年12月
シンガポール出張から帰り、次の国内旅行の予定を伝えると、母親はキレた。

ちょっとあんた旅行ばかり行って、家を放り過ぎ!
子どもも大きくなったとはいえまだ頼りにならないし、家のこともちゃんとやりなさい。
おばあちゃんが今死んだらたいへんなことになるのよ。
洗濯ものだって、流しの食器だって、部屋の掃除だってぜんぜんできていない。
孫のことが心配、タケシのことが心配、夫の健康が心配。。。

感情の世界。
客観性が成り立たない。理屈が通らない感情の勢いで包み込んでくる。
もしこの文章を読んでも理解されず、気持ちで迫ってくる不安。感情に巻き込まれてしまう恐怖。
だから記述できなかった。

母親は心配するのよ。

何を心配するわけ?

息子である私へは、仕事がうまくいくか、健康かどうか。
娘へは、健康か、嫁ぎ先でうまくやれているのか。
夫へは、健康のこと。いつもは偉そうなことを言うが、ちょと体調が悪くなると、とたんにダメになってしまうから。
あと、孫たちへの心配。ちょっとでも帰りが遅くなると心配を始める。

母親の心配が及ぶ範囲はこれで完結。それ以上に広く及ぶことはない。狭い世界。
えっ、嫁いだ娘にも心配するの?
ということは、これはもう母親と息子である私の二者関係の属性ではなく、母親に備わった属性なんだ。ということに気づいた。
それなら相対化できそうな気がしてきた。

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Genderの視点。
女性は関連性の中で自己を維持する。
自分自身のニーズではなく、親密な他者(家族)のために生き、そのニーズを満たす犠牲的スタンス。
しかも、Powerless positionにいる。母親がなんと言っても、結局私は旅行に行ってしまう。母親は他者を決定するパワーを持たない。相手に従わざるを得ない。
男性だったら「怒り」により影響を及ぼすことができる。母親の怒りはそこまでのパワーを持ちえない。怒りつつも相手に配慮して、結局はタケシのやりやすいようにと配慮するしかない。Angerではない、Naggingになってしまう。
経済的なパワー、社会的なパワーを持たないsubordinate position。それが心理的なパワーを削いでしまっている。

育児不安。過保護・過干渉。
これらは母親の問題性の表現だ。
しかし、突き詰めて考えれば、これが(少なくとも近代の)母親にとってのdefaultな状態なのかもしれない。
相手のことを考え、相手の気持ちをわかりたい、相手のことに関心がある。
関連性に指向した関係性の持ち方だ。
愛情のひとつの表現型だ。乳幼児期・学童期までは良いが、思春期以降はnegativeなチカラとなってしまう。だが、negativeだからこそ関わりを続けることが出来る。もしPositiveであれば、関わる必要がなくなるから。自立していってしまう。自立してバラバラになってしまう。
心配性であること、不安を持つことは関係性の維持に必要なのだ。

自立とは、関係性を断つことだ。心配を払拭して、もう関わらなくてもいいのだ。無視して良いのだ。そうやって、人々は切り離されていく。

根拠のない不安。
身の危険を守れない幼い子どもを危険から守るために不安は重要な役割を果たした。
50代の専門職の息子が大学教授をやめて開業した。うまくいくかどうか心配したところで、それを守る術はなにもない。でも、とにかく心配する。理屈では心配しても意味がないのだが、感情では心配やめない。際限なく心配する。

今までは、感情的に近接する母親を遠ざけることに必死だった。
不安という名の愛情のドロ沼に引きずり込まれるのが怖かった。

でも、少し開き直って考えてみよう。
不安=negativeなカタチの愛情表現
という具合にその感情を客体化すれば、恐れる必要がなくなるのではないだろうか。

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2013年1月
母親の不安が足かせになり、旅行に出ることができないと、ある人に相談した。
Aさんからは、母親に旅行をオファーしたらという逆転の発想。
Bさんからは、逆に母親以外の家族が犬も含めて旅行に出かけ、のんびりひとりにさせてあげたらというさらに逆転の発想。

母の誕生日に、思い切ってオファーした。

四国に里帰りするか?
私がエスコートするから。

母親はしばらく沈黙した後、急に泣き出した。
如何に家族のこと:夫のこと、息子のこと、孫たちのことが心配で、気持ちが晴れないか!
だから、とても旅行なんて考えられない。
今は寒いし、温かくなったら考えておくよ。

その後、話が止まらなくなった。
孫たちから始まり、娘や姪たち。
義理の息子と、義理の娘と、その親たち。
自分のきょうだい、さらには自分の父親の昔話。
母親のまわりの人々のことを語り始め、こういう人で、こういうところがダメで、、、
小一時間ほどしゃべっていた。
私と父親はそばで黙って聞いている。不安がどんどん解放されていく。
父曰く、「時々こういうの、やってくれな。」

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2013年4月3日
A子おばさん、無沙汰しております。お変わりないでしょうか?
実は母のことでご相談があります。身体は相変わらず元気なのですが、すっかり気持ちが弱くなりました。父や私それに孫たちの面倒をよく見てくれて大変ありがたいのですが、心配性が強まり気が休まりません。それを尻目にあちこち外出する私や子どもたちへ不満をよくもらします。そこで1月の誕生日に「暖かくなったら四国へ行こう」と提案したのですが。もともと旅行好きではなく、耳が遠いのも手伝って「故郷は遠く思うもの」と、なかなか首を縦に振りません。私としてはいつものねぎらいも込め3−4日休みを取り新幹線とレンタカーでエスコートして、留守中は妹が来て父の面倒をみるからと言ってもダメです。
もし叔母さんからのお誘いがあると、母の気持ちも動くのではと期待しています。ぶしつけなお願いで恐縮ですが、ご一考いただければ幸いです。

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5月25日
すっかりご無沙汰しております。お変わりございませんか?
実は、来月に母を四国に連れて行こうと計画しております。
80歳を迎えた母はアタマの方は一応大丈夫なのですが、気持ちと聴力がかなり弱ってきました。
父や子どもたちの食事や洗濯など家事をやってくれ助かってはいるのですが、何でも心配・心配が先に立ちマイナスにとらえてしまいます。
気分転換に私から帰郷を勧めるのですが、留守宅を心配してなかなかウンと言ってくれませんでした。A子おばさんとS子さんにもお願いして説得していただき、やっと行く気持ちになってくれました。親孝行といえば聞こえは良いのですが、母が不安を少し解放してくれないと、私も海外・国内出張などに出れないという事情もあります。
具体的には、6月9日(日)に出発して、京都でK子おばさんと合流し、福山からレンタカーで伯方島へ。
10日(月)と11日(火)はA子おばさんとK子おばさんにも付き合っていただき国民休暇村泊。
12日(水)に帰京する予定です。
その間、ご都合がつけば、ぜひSおじさんにもお目にかかることができればと思います。
突然の計画で済みません。お目にかかることができればとてもうれしく思います。

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6月4日
来週の旅行の話をしていた時の会話。

タケシのやっている家族療法ってよくわからんけど、要するに家族みんなで協力してやりましょうっていうことなんでしょ?
うちがモデルだな。

とメガネをはずして笑顔。
母親の笑顔を見たのは久しぶりだった。

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