2013年6月24日月曜日

学会が楽しいなんて!?ーーー学会印象記

学会が楽しいなんて!?

若い頃は辛かった。
勉強と業績づくりのために必死で参加していた。
学会の会場に近づく電車の中からドキドキが始まる。
、、、あの人も学会に行くのかな?
、、、知っている先生に出くわさないかな?
若い頃は辺縁(peripheral)だった。
自分が一番下っ端で、まわりの人は自分より上だった。
指導教員に原稿にを入れてもらい、研究会で予行をして、口頭発表する前は心臓が口から飛び出すほどだった。

よっぽど海外の学会で発表する方が楽だった。
日本からの参加は超マイノリティー。みんなと「違う」ポジションだから、お客さまとして言いたい事を言えた。
国内の学会では、「同じ」グループ内の最下位のポジションだった。

若い頃は発表の機会を得るために、たくさんの学会に入っていた。
付き合いで参加せざるをえないマイナーな学会から、専門家のアイデンティティを維持するために必要なメジャーな学会まで。
精神神経学会や心理臨床学会、アメリカのAAMFTのようなメジャーな学会は専門資格を維持するために必要だが、大会に参加しても大きすぎて面白くない。関心を引く部分だけ参加して、他は物見遊山でゆっくり過ごす。

年齢と共に、これらの多くは学会費を滞納してドロップアウトし、今でも残っているのは4つの学会かな。国内が1つに、海外が3つ。

AFTAには1年おきくらいに出かけている。去年は参加して今年は行かなかった。
アメリカでも近年はpsychotherapyが落ち目でbiologyに傾倒しているとはいえ、もともと社会の中で果たす役割が日本よりずっと大きい。
Psychotherapyの中でも家族療法のシェアは比較的大きく、遊佐先生の発表によると、
CBT 68%
MFT 49%
mindfulness therapy 41%
psychodynamic 35%
Rogerian 30%
第二位なんですね。

アメリカの夫婦・家族療法をカバーするのがAAMFTであり、これは規模が大きく超メジャー。資格認定もあり、アメリカ人の家族療法家は入らなくてはならない学会だ。
私は参加したことはない。
同じ家族療法の学会でもその対局に位置するのがAFTAだ。人数は1000人いないんじゃないかな、小規模で入会審査が厳しい。最近でこそopen policyに変更したけど、教科書やfamily processに出てくるような人たちがバンバンいて、レベルの高い学会だ。若手が研究成果を発表するという色彩は薄く、ひとつのテーマについて時間をかけてディスカッションを深める。アメリカの学会では海外、特にアジアからの参加は珍重されるので、私も時々行っている。
"Hi, Takeshi, Nice to see you again!"なんて言ってくれる人も結構できたので、私の居場所化しています。

IFTAは家族療法学会の国際版だ。
80年・90年のマスターセラピスト全盛時代には盛んだったけど、最近はちょっと落ち目か。私は英国留学時代にダブリンで開かれた第一回大会がらちょこちょこ参加して、board memberも一期やったのだけど、ここ2-3年はちょっと引き気味。お祭り的雰囲気でいろいろな人には出会えるので、仲間が行くとか何かのきっかけがあれば参加する。

CIFAは家族療法学会のアジア版。5年前に香港で第一回が開催されて以来、日本代表みたいな位置に居すわっている。

私にとっての日本家族研究・家族療法学会は、若い頃のmarginal positionから、いつのまにかdominant positionにすっぽり入ってしまった。
学会での立ち位置がよくわかるのが交流会・懇親会でのポジショニング。
昔はずっと端っこの方でパクパクご飯を食べ、真ん中には近づけませんでした。最近はようやくセンターテーブルにも近づけるようになった。しかし長老たちとタメで渡り合う度胸はないので写真・ビデオを撮ってゴマかしてました。

年1度の大会は、気分高揚状態。
特に今回はホスト側でもあり、実行委員をやって、司会、シンポジスト、コメンテーターと多重の役割をこなす。
交流会に出て、二次会に流れて、旧知や新たな出会いが多く、仲間との再開であり、仲間を作る場である。
若い頃のような研究の成果発表・業績づくりの場ではなくなった。
同じ指向性を持つ専門家たちと臨床経験を深めていく場である。
また、学会を運営し、家族療法を社会に広め、若手を育成する役割も担うことになる。

と、前置きが長くなったが、このような文脈の中での私の印象記を書く。

世代交代という話が何度も出た。
学会黎明期の80年代に40-50代だった第一世代(牧原、鈴木、下坂)の後、
その頃30代だった楢林、中村の時代が12年間続いた(第二世代)
そして、当時20代だった渡辺にバトンタッチされたわけで、これから第三世代が始まる。

年齢とかそんなにこだわらなくてもという話もあるが、generation 感覚・年功序列感覚の強い日本文化ではどうしても避けて通れない。
家族も30年がひと世代とすれば、家族ライフサイクルに敏感な我々はそろそろ第二次変化(second -order change)を引き起こすためにpositive-feedbackが必要な時期なのか。
前の世代が築いた財産をどう引継ぎ形態を維持しながら(morphostasis)、同時に新たなニーズに対応して形態を進化させていくか(morphogenesis)が問われている。

着かず離れず。
前世代がほったらかしても干渉しすぎてもいけない。
次の世代が過去に依存し過ぎても、反逆して関係性を絶ってもいけない。
そのためには次の世代が成熟し、自立する自信が必要だ。
それとこの学会の基礎概念でもある関係性だ。
独自性を互いに認めつつ、信頼し連携できる関係性が必要だ。
お互いに手を差し伸べ関係性を作っていく。

下からのアプローチもある。
10年以上前だったかジェンダーに興味があり、将来は自費で開業もしたいからと、教えを乞いに某学会長のオフィスを訪ねた。何を話したかは全然覚えてないけど、寿司屋に連れて行ってくれたことだけ覚えている。
それ以上に上からのアプローチ(誘い入れ)も大切だ。
やはり10年くらい前か、初めて演題の司会をやった。楢林先生とペアを組み、楢林先生がリードしつつ、私にも少しやらせてくれた。
またそのころ、後藤先生が新潟に呼んでワークショップをやらせてくれた。若手開発の一環だったと理解している。
これらの体験が、学会に受け入れられてるなという感覚を作ってくれた。
逆の体験もある。
某〇〇元か私の発表事例に対して「全然基本ができてない、一からやり直せ」みたいなぼろくそコメントをもらい、傷ついた。
だれしも良いところと悪いところ両方もある。
甘過ぎてはいけない。若僧側には成功体験を積めるだけの実力が必要だ。誰でも来る人を拒まずのスタンスではダメだ。
逆に厳し過ぎてもいけない。良い芽を見い出し、育てて行く姿勢が上の世代には求められる。
学会に顔を出す動機には、純粋な学問的興味と仲間から誘われる場合がある。しかし学会を身内関係の延長にしてはいけない。すでに形成されている仲間関係の枠をはずし、興味と熱意だけでやってきて孤立しがちな新たな参加者をどう組み入れていくか大切だ。

若手がドキドキしながら業績を作っていくために、短時間の口頭発表やポスター発表は大切です。
それと並行して長時間の発表をどうするか。
自主シンポという枠は、企画者が自由にできるから良いでしょう。
臨床事例を扱う長時間の口頭発表はどうなんでしょうねえ。
一般的な成果(outcome)中心でいくか、この学会特有のプロセス(process)中心でいくか、両方の考え方があります。
前者でいくと、まず発表者が事例経過を丁寧に提示して、こんな工夫をしてこんなオリジナリティがありましたと成果を独演で発表します。その後の残った時間でコメンテーターのコメントと質疑応答で締めくくるみたいな。
後者は発表者とコメンテーターの(あるいは聴衆も含めた)掛け合い漫才になります。
もともと家族療法が複数の人々の漫才プロセスなわけで、多分こういう発表の雰囲気はこの学会特有の楽しくためになるものだと思います。

「研究事例」という名称はどっちつかず、どちらにもとれてしまいます。以前あったような「公開スーパーヴィジョン」だと後者の色彩が強くなるかな。
あと、抄録をどう書くか。ちゃんと論文形式(方法・結果・考察)で書きなさいと指示されると、どうしても前者のスタイルになってしまいます。この学会らしいのは後者だけど、前者のニーズもあると思います。このあたり、うまく切り分けられると良いかなと思いました。
ちなみに、後者でいくなら司会はいなくてもよいかなと思います。

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