2013年5月12日日曜日

Tribute to 小田晋先生

 精神科医(犯罪病理学)、筑波大学名誉教授の小田晋が亡くなった。
 私の気持ちの中ではどうでもよい人なのだが、メディアにもニュースが流れ、私のまわりでも結構つぶやかれているので、私もつぶやくことにする。

 私は彼を理解できなかったし、彼も私を理解してくれなかった。
 私にとって、彼はアスペルガー障害だ。ちゃんと彼の生育歴を調べて診断したわけでなく、あくまで私の気持ちの中での主観的診断に過ぎないのだが(注)。
 学部時代の彼の講義は内容が難しく、滑舌も悪いので何を言っているか理解できない、板書の字は小さくて読めない、試験の文字(当時はワープロではなく手書きだった)を判読できない。つまり意思の疎通が困難だった。
 当時、筑波大学の精神医学の指導体制は惨憺たるものだった。まず臨床系の精神科教室と、社会医学系の精神病理学が仲が悪く分断していた。社会医学系の教授が小田晋、助教授が稲村博で、このふたりが犬猿の仲だった。そんな事情も知らず、卒後の進路を相談に小田先生の研究室へ行き、「稲村先生につきたい」と言ったら口をきいてもらえなかった。
 大学院の授業で覚えているのはテレンバッハの「メランコリー」を輪読したことくらい。貴重なことを教えてくれていたのだろうけど、私は理解できなかったし興味の対象も違っていたので理解しようともしなかった。
 稲村先生の指導を受ければ、自動的に小田先生の指導は受けられなくなる。一応、学位論文の主査だったけど、何も指導してくれなかった。
 大学院を修了した翌年に結婚した。仲人を稲村先生に、主賓を小田先生にお願いした(最近の結婚式はそういう習慣も薄れたみたいだが)。小田先生は(主賓スピーチを避けるためとしか思えないが)1時間遅刻してきたのに、稲村先生の仲人スピーチが1時間と超長かったので、間に合ってしまった。
 稲村先生は、上に小田先生がいたために筑波大では教授にどうしてもなれず、別の大学に移っていった。研究室は解散し、私は既に卒業していたので災いは免れたが、後輩たちが路頭に迷い大変苦労した。(思えば我々は旧態依然とした狭い徒弟制度の中にいたんですねえ)。
 という具合に、小田先生に関して良い思い出はほとんどない。批判ばかりしていたけど、小田研究室の仲間に聞けば、面倒見の良い親しめる先生だったという。きっとそうだったのだと思う。
 私にとって、師弟間の愛着関係を築くことが出来なかっただけなのだ。
 お葬式にも出ませんけど、ご冥福をお祈りいたします。

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注:私の大学生・院生の時代にアスペルガー症候群という診断名は精神科医の間でさえほとんど使われなかった。今は使われすぎているが。
 私が小田晋をアスペルガーと言うような主観的判断で、今、多くの子どもたちがアスペルガーと言われている。教師や親にとって、理解できない、気持ちが通じないと感じると、この子はヘンだ➡普通ではない➡何かの病気か異常なのではないだろうか?➡アスペルガーの「相手の気持ちを読み取れない」特徴に照らし合わせて、この子もアスペに違いないと思い込んでしまう。しかし、そのように言われた子どもたちの多くはアスペルガー障害ではない。

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