2013年5月16日木曜日

痛みが心を占拠し、いつまでもどいてくれない状態

連休中、ごく軽い車の事故を起こした。
上り坂で渋滞中、気づかずバックしてしまって後続車に追突してしまった。お互いにバンパーが少し凹んだだけだから、大したことはない。

でも、気持ちは凹んだ。
約1日ほど、そのことでアタマが一杯だった。

どうしてやっちゃったんだろう、、、
あ〜あ、反省、、、、
お金が飛んでくなぁ。意味のない出費だ、、、
カーナビなんかいじってなければよかったなぁ、、、
取り返しがつかない、、、

後悔、自責、怒り、悲しみ、喪失感、、、
マイナスの感情がずっと気持ちを占領し、どいてくれない状態だった。
この状態が心の痛み、あるいは落ち込んだ状態である。
一応、他のことも考えたりいつもの日常生活もうわべでは普通だか、心の中はそのことで占拠されている状態だ。軽い解離状態かもしれない。

あなたはどこかよそにいるみたいに私は感じられた。、、、
あなたの頭の中には何か別のものが入り込んでいた。少なくともそういう隔たりに似た感触があった。
(「色彩を持たない他崎つくると、彼の巡礼の年」p.105)

これがもっと大きくなると、抑うつ症状が出たり、仕事や学校に行くとか家事をするとか日常生活が出来なくなる。もっとひどくなると自殺念慮も出てくる。

心が凹む期間は、凹み体験の大きさによる。
軽い物損事故なら約1日で済んだ。
もっと大きな凹み、たとえば大切な家族を喪失した場合など、どんなにうまくケアされたとしても3年以上はかかる。

大震災で家や家族を失った人々は、少なくとも数年間、地域ぐるみで凹みに向き合っていかねばならない。

それでも事故とか喪失とか、済んだことであれば時間とともに回復の道を歩むことができる。
福島のように被災状態が継続していれば、心の凹みもずっと続き、回復することができない。
ひきこもりや、夫婦関係がうまくいかないとか、家族の中に問題(=凹む出来事)が続いていれば、心の凹みもずっと続く。それは、とてつもなく痛く苦しいことだ。

心の凹みは、それが回復してからでないと、どれくらい凹んでいたか、痛かったかということはわからない。回復した今と比べて、あああの頃はあんなに凹んでいたんだと客観的に振り返ることができる。
凹みの渦中にいると、自分の凹み具合さえ把握する余裕もない。

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