2013年3月24日日曜日

不安のスパイラル

クライエントが亡くなった。

といっても、ご本人には一度もお会いしていない。
ご家族とは何度もお会いしている。
家族を介して支援できるはず、家族が元気になることで、本人も元気になるはずと信じて関わって来たのにダメでした。
支援者としての失敗感、無力感、挫折感で辛い。
心の病気は身体の病気のように病気そのものが命を奪うことはない。
しかし、自死で命を失うことがある。

私はもっとうまく支援できなかったのだろうか。不十分・不適切だったのではないだろうか。考えても仕方がないマイナスのスパイラルに入り込んでしまう。

私のスパイラルはまだ良いはずだ。
遺されたご家族は、これから壮絶な苦しみを経ることになる。
今までだって辛かったのに、それ以上に辛いことは、ご家族の崩壊の危機だ。
なんとか支援できないだろうか。
診察料は無償でも良いから来てほしい。関わりを求めて欲しい。このような危機状態で救いを求めることが如何に困難かよくわかっている。こちらから救いの手を差し伸べたい。

というのは私のエゴに過ぎない。
私がぶれてはいけない。私の気持ち(償い)のために治療の枠組みを崩してはいけないのだ。

でも、どうしてもぶれてしまう。どんどん気持ちが縮んでしまう。
訃報を受けた日に、他のクライエントへの言葉はあれで良かったのだろうか。
きっと良くなかったんじゃないか。

「ふっきりなさい!」
と私は言ってしまった。
それは間違いではないのです。
その不安を乗り越えないと、前には進めないし問題も解決しないということは十分理屈でわかっている。
それと同時に乗り越えられないことも十分わかっている。
それなのに、「ふっきりなさい!」と迫っても、クライエントさんを追い詰めるだけだ。私の言葉は不適切だったのじゃないだろうか。
もっと丁寧に不安を扱わねばならない。
不安のタネをよく吟味しなければ、不安は解放できるわけがない。

でも、どこかでふっきらねばならいのは確かなんです。
不安の淵を飛び越えるか、
不安の淵に降りてゆき、その中身を確かめるか。
どちらもとても辛いこと。どこかで意を決しなければならない。どこかで背中を押してあげなければならない。
しかし、焦ってはいけない。不用意に押すと、傷つけてしまう。
十分な信頼感と承認が得られて、はじめてそこまで達成できるのです。

私はそこまでやれただろうか? 
やれていないような気がする。弱気になっている。

2013年3月18日月曜日

【海外の動向】スーパーヴァイザー研修に参加して

2012年の秋に台北で開催された家族療法スーパーヴァイザー研修に参加した。
講師のシェリル・ストーム(Cheryl Storm)AAMFT(アメリカ夫婦家族療法学会)の認定スーパーヴァイザー(以下、ヴァイザー)であり、2011年のCIFA東京大会でも来日してワークショップを開いた。石井(2008)が紹介したアメリカの家族療法スーパーヴィジョン(以下、SV)に関する2冊の教科書のうち、シェリルらが著した教科書(Todd, 1997)は中国語と韓国語に翻訳され、アジア各地で研修を行っている。もう一冊(Lee, 2003)は和訳され当学会の参考図書となった。

 研修は2回の週末を使って5日間開催された。少数25名の参加者が5日間集中するとかなり深い学びができる。私はこの研修に参加していかにSV経験が未熟であったことに気づき、ヴァイザーとしての経験を深めることができた。学会の認定を受ける前にこの研修を受けていたら良かった。もっとも、誰でも何かの学び体験を得てレベルアップすれば、それまでが未熟だったと感じるだろう。そうは言ってもそれまでだってそれなりにやっていたのだろうし、レベルアップしたと思っていても未熟な部分は残っているはずだ。相対的な感覚という意味だ。
研修を受けて気づいたことを箇条書きに挙げてみる。目から八つのウロコが落ちた。

第一に、SVの概念が広がった。私は今までSVを狭くとらえていたようだ。「ヴァイザーと呼ばれる人と契約して継続してセッションを持つこと」というイメージを持っていたので、私そんな体験あまりないけど、、、と首をかしげてしまう。研修に参加してSVはもっと広義にとらえてよいと理解した。SVは「セラピストが臨床技術を向上させるためのすべての機会」と言いたいところだが、それだと広げ過ぎかもしれない。そこにはヴァイザーという固定した人物が必要だし、単発ではなく継続した機会でなければならない。そこまで枠を広げれば私もいろいろやってきた。病院での臨床実習、大学・大学院や医局などでの事例検討会、さらに教師や先輩とのインフォーマルな会話も含めれば、あれこれやってきた。日本ではSVという言葉は使わないが、医局とか研究室といった閉ざされた組織の中で臨床教育が行われてきた。そのプロセスをもう少し体系化したものSVなのだ。

 第二のウロコは、ヴァイザーは「長老」でなくても良いということだ。研修には新人セラピストを教育する30-40代の中堅層も多く、未熟だと自認していた私でも「長老」の部類に入ってしまう。ヴァイザーは「スーパー」が付くぐらいだから、長年の経験を積み、臨床を知り尽くしたベテランがなるものと思い込んでいた。しかし、臨床現場では若く臨床経験の浅い臨床家を育てるニーズが高い。彼らを指導するのは中堅層であるべきで、長老は中堅を指導するメンター(ヴァイザーのヴァイザー)であるべきであろう。
シェリルとランチを取りながら、日本がSV制度をやっと立ち上げた状況を話した。それにシェリルが応えてアメリカの一番の間違いは、十分なヴァイザーを確保できず、しかも地域的に偏在しているので、家族療法を学びたい人に十分な機会が与えられないことを強調していた。
当学会のSV認定の要項をみても、ヴァイザーは「家族療法の主要な複数のモデルに関する知識に精通し、それらの前提となっている理念、およびセラピー実践上での意義をスーパーヴィジョンの過程において示すこと」とあり、私も申請するとき尻込みしてしまった。現段階で認定された5名のヴァイザーたちは、みな評議員レベルの「長老」の方々だ(自分も含まれているので口幅ったいが)。もっと中堅層に機会を広げるべきではないだろうか。
学会としても認定SV制度は初めての体験である。「なんだあの学会の認定はたいしたことないね、レベル低いね」とそしりを受ける不安(自信のなさ)を抱えていると、どうしても基準レベルを上げたくなる。そうなると、ヴァイザーに認定される人が少なくなり、臨床を学ぶ機会が得にくいというジレンマに陥る。SV制度が始まった初期段階では、とりあえずヴァイザーを増やすことが先決ではないだろうか。資格を与え自覚を持ってもらってからヴァイザーの質を維持向上していくためのメンタリングのシステムを学会は整えなければいけない。

第三のウロコはSVのやり方の多様性だ。A) ライブ(ワンウエイミラーを使うか、共同治療者またはリフレクティング・チームとして一緒に入る)か、振り返り法によるか(セラピー場面を記録したビデオやテープを一緒に聴く方法、逐語記録、各セッションのサマリー、事例全体を通したサマリーを持ってくるか、事前には用意せず記憶にたよった振り返りなど)。B) 人数(個人か、二人か、3人以上のグループ)、C) 対面で話し合うか、メディア(電話、スカイプなど)を用いるかなどさまざまだ。これらの選択肢の中で、一方が他方より優れているということではない。指導するヴァイザーの好みによって「私はこのやり方です!」と規定するよりは、ヴァイジーの希望やそれぞれのSV文脈の中で其々の方法を選び取るのが良い。ヴァイザーはそれぞれのやり方のメリットとデメリットを把握し、柔軟に対応できることが必要だ。そのためには、ヴァイザーも多様なSV経験が必要になる。

 第四のウロコは、SVのための特別な理論や技法があるわけではない。臨床家は自分が得意とする理論や技法を用いてセラピーを行ってきた。セラピーとSVは異種同型性の並行プロセス(isomorphism)である。セラピーもSVも対人援助である。セラピストがクライエントとの関係に用いてきた考え方や技法を、無意識のうちにヴァイジーとの関係においても使っているはずだ。研修ではそれをワークなど通して確認することができた。

 第五のウロコは、SVの倫理とは杓子定規ではなく臨機応変にとらえるものだ。私は杓子定規が苦手で、臨機応変が好きな人間なのでこれは助かった。SVの倫理はとても重要なテーマであり、研修でも多くの時間を割いた。SVでは倫理のジレンマは避けてとおれない。倫理規定が先にあって、それにSV臨床を当てはめるという考え方ではない。倫理規定というガイドラインにうまく当てはまらない状況が出てくる。セラピーが教科書的な理論・技法を念頭に置いて、各事例の状況に応じて臨機応変に応用するのと全く同じように、SVも倫理規定を念頭に置いて、各SVの状況に合わせて一番妥当な方法を模索するプロセスなのだ。セラピーに事例検討が必要であるのと同様に、SVにも事例検討が必要だ。
SV倫理ジレンマの代表例が次のふたつのウロコである。

 第六のウロコはSVの関係性の複雑さである。SVはヴァイザー・ヴァイジー関係と、セラピスト(=ヴァイジー)・クライエント関係というふたつの関係を並行して扱うので、守秘義務、危機管理、責任の在り方が複雑になる。ヴァイザー・ヴァイジー関係にしても、他の関係性がない個人契約による場合が一番単純で整理しやすいが、実際はそうでない場合がたくさん出てくる。たとえば教育機関・相談機関などでのSVは組織内での上司・部下であったりする。ヴァイザーがヴァイジーを評価する場合には、そのことがSVにおける力関係に影響を及ぼす。評価が不要であれば共感・支持を基本にした双方向的・共働的なSVが可能だが、評価が入ってしまうとヴァイザーの言葉が重くなり、タテ関係的・一方向的な伝授スタイルをとらざるを得ない。

 第七のウロコがSVとセラピーとの棲み分けの問題だ。SVでセラピスト・クライエント関係を扱う際には、ふたとおりの焦点がある。ひとつはあくまでクライエントに焦点を当て、その理解(アセスメント)、支援方法を掘り下げる立場、もう一方はセラピスト(ヴァイジー)に焦点を当て、ヴァイジーの臨床の見方、考え方、立ち位置などを掘り下げる立場である。ヴァイジーの臨床能力を高めるために、このふたつとも重要だ。しかし後者を深めていくと、ヴァイジー自身の人生経験が浮き彫りになり、当初は見えなかったヴァイジー自身の人生の困難さが見えてくることがある。それが臨床能力に関連していれば、SVという枠組みの中で取り上げる方法と限界を検討しなければならない。単純に「SVではセラピーをしてはいけない」という一言では片づけられない課題となる。

 第八のウロコがメンタリングの重要性だ。六番目と七番目のようなウロコをうまく落とすためには、倫理規定という決め事だけではなく、じっくり検討するメンタリングというプロセスが必要であり、それを通してヴァイザーとしての臨床能力が高められる。

 まる5日間ともに過ごして、台湾の臨床家たちやシェリルとも親しくなった。我々のSV認定制度は始まったばかりだ。このような研修は確実にSV臨床の腕を上げる。再会を約束して台北を後にした。

文献
石井千賀子(2008)米国における家族療法スーパーヴァイザー教育の文献紹介。家族療法研究, 25(2): 180-183.
Lee, R., Everett C. (2003) The Integrative Family Therapy Supervisor: A primer. Routledge. 福山和女、石井千賀子訳「家族療法のスーパーヴィジョン―統合的モデル—」金剛出版, 2011
Todd, T., Storm, C. (1997)  The Complete Systemic Supervisor: Context, Philosophy, and Pragmatic, iUniverse.(中国語と韓国語に翻訳されている)



2013年3月15日金曜日

傷ついた支援者

ユングの言葉に「傷ついた支援者 (wounded healer)」というのがある。
「人生の中で傷ついた支援者が、自らの傷を自覚することで、他者の痛みを理解して、それがお互いの癒しへと成就していく。」
といった意味だ。

ある機関誌の巻頭言を頼まれた。
内容は何でも良い、先生にお任せするという。機関誌の性質上、若者の心理、ひきこもり、電話相談、自殺予防などのテーマが妥当なのだろうが、私自身が一番書きたいテーマと思いめぐらすと、このようなテーマになってしまう。
の4年間、講演や講義などさまざまな機会で語ってきたことだ。

私は4年前、心臓を持病に持つ妻を突然心筋梗塞で亡くした。
正直なところそれまでの50年間、目立った喪失体験や傷つき体験はなく幸せな人生を送ってきた。学歴も、家庭も、仕事にも恵まれ、満足した人生だった。もしかしたら自分で気づかないだけで、ホントはいろいろ傷ついてきたのかもしれない。そうだったとしても、気づかずに通り過ぎても支障ない程度の小さな傷だったはずだ。

妻を失い、大きな悲しみが突然襲ってきた。
何度も同じ夢を見た。妻が生き返り再会の喜びに泣き、夢から目覚めて現実に戻ってまた泣いた。
どうしようも気持ちを収めることができず、夜に友人たちに電話しまくった。(幸か不幸か、いのちの電話は利用しなかった。今から思えば利用しても良かったのかもしれない。)
お葬式には妻の学生時代の親友が福岡から駆けつけ弔辞を読んでくれた。若い頃は夫婦単位でよく交流した仲だった。3ヶ月ほど経ち、どうしようもない悲しみを抱えた私は、会葬御礼を兼ね福岡まで日帰りで彼女を訪ねた。太宰府を案内してもらい、並んで歩いているとふと妻と歩いているような錯覚に陥った。たくさん泣かせてもらった。
自分や小中学生の3人の子どもたちが「うつ」になり日常生活が回らなくなるなるかもしれないと不安だった。「うつ」がどれほど辛いものか、ふだん患者さんを診ているからよく知っている。不眠や食欲不信、仕事をする気力を失ったり、厭世的になったりしたら仲間に薬を処方してもらおうと思った。幸い、私にも子どもたちにもそのような症状は出現しなかった。

ふだん精神科医として心の痛みを抱え動けなくなった人たちを支援しているので、こういう時にどうしたよいのか理屈ではわかっている。人を失った痛みは、人を得ることで救われる。妻の死は友人・知人に知れ渡り、多くの人たちたちが私と子どもたちのことを気にかけて、応援してくれた。パートナーを喪失する痛みは誰にでもわかりやすいし隠すことでもない。多くの人たちが救いの手を差し伸べてくれた。

それに比べると私が精神科臨床で出合う人たちの痛みは深い。うつで仕事や学校に行けなくなるとか、子どもがひきこもっているとか、夫婦がうまくいかないといった痛みは他人に知られたくないし、偏見の目で見られがちだ。支援から孤立し、ますます問題が悪化してしまう。

私は、孤立することはなかった。

私は専門家にも相談した。普段はカウンセラーをやっている私がクライエントとなり、定期的にカウンセリングを受け、多いに救われた。それは4年経った今でも継続している。

私はこの4年間で何かが大きく変わったように思う。一体何が変わったんだろう?

第一に、私の住む世界(心の住処)が小さくなったように感じる。
以前は生き甲斐や自分が何者であるかというアイデンティティを社会という大きな枠組みの仲に位置づけていた。大学教授や医師という社会的役割を担い、授業や診療やメディアを通してより多くの人々に自分の存在が知れ、少しでも役に立つことを自分の生きる目的としていた。
それが妻の死の後は大きく変わってしまった。大きな枠組みの中の自分の立ち位置に興味を失い、家族や友人、臨床で出会う患者さんなど、より近い距離からパーソナルな親密性を求めるようになった。多分、一番親密な人を失い、近い距離の人々によって救われた体験がそうさせたのだと思う。大学教授を辞めて精神科を開業したのもそういう理由からだった。

第二に、他人の苦しみや痛みを自分の体験と照らし合わせて深く実感できるようになった。やっと「傷ついた支援者」になることができた。自分で痛みを体験していないと、他者の痛みを想像や理屈で理解するしかない。以前は「なぜだかわからないけど、心がザワザワする。」という患者さんの気持ちに共感できなかった。精神科医のくせに今までは人の痛みを上っ面しかわかっていなかったんだなとつくづく思う。

第三に、痛みを修復し乗り越える体験を得た。妻を失ったとき、自分がこれからどうなっていくのか皆目見当がつかなった。安定剤や抗うつ剤も飲まなかった。大切な人たちと関わる中で徐々に癒される体験した。
大切な人を失った体験は大切な人によって回復される。新しいパートナーを見つけることではない。自分をわかってくれる相手、気持ちを受け止めてくれる相手の存在によってどれほど救われたことか。
家族がいかに大切な存在であるかも実感した。子どもたちがいたことは養育する負荷以上に支えになった。生きがいを作ってくれた。若い頃、親から自立した後は、親との関係は自分の中では既に「済んだ」関係、あとは近い将来介護の役を引き受ける程度だと思っていた。しかし、心の危機に向き合い、老親がどれほど私を支えてくれたか、その重要性に気づいた。
 しかし、自分の痛みを乗り越えた体験は精神科医としてプラスとマイナス両方があるようにも思う。苦しみは乗り越えられるはずという前提が、未だに乗り越えられずにいる人に希望を与え乗り越える術を一緒に考える勇気を与える。その反面、乗り越えず、治らないままで留まることができない。どうしても前に引っ張ろうとする。

しかし、ここまで考えてきてふと思いついた。私はホントに悲しみを乗り越えたのだろうか。こんなことを考えたり書いたりしているのは、まだ乗り越えていないからに違いない。日常生活は滞りなく回っているし、「幸せ」や「生きがい」を感じることもできる。もしかしたら、それで十分とすれば良いのかもしれない。半分乗り越え、半分乗り越えていない状態で良いのだ。痛みや苦しみを乗り越え、解決することが目標なのではない。問題や苦悩は抱えたままでも良い。抱えながらもそれなりに日々生活を続け、時には小さな幸せを感じることができれば十分なのかもしれない。
そう思うと、だいぶ気持ちが楽になる。

2013年3月14日木曜日

三か月の壁

3ヶ月程度の不登校やひきこもりは誰にでも起こりうる普通のことです。
イヤなことがあったり、何かに挫折したり、ショックを受けたりで耐えられなくなり、一時的にひきこもります。それは自分の心を守る防衛反応でもあり、しばらくすればまた元のように元気に外に出られるようになります。だれでも、潜在的に立ち直る力を持っています。自然に何もせずとも回復する可能性があります。

しかし、三か月を過ぎ、半年も一年も経ち立ち直れない時には、立ち直れなくしている何らかの要因が隠されています。それを解明して、その要因を緩和してあげることが必要になります。また、それだけの長期間にわたり撤退していること自体が負担となり、回復しにくくなります。そのまま自然にしておいて回復する可能性は低くなります。何らかの手立てを講じないと、そのままずっと長期化する危険性が出てきます。

2013年3月9日土曜日

やる気の喪失と回復(大学受験編)

A君は小学校時代はとても勉強ができました。中学受験で失敗したので高校受験はがんばろうと、中学時代はとてもがんばり、高校はとても良い進学校に合格できました。
でも、高校ではうまくいきません。それまで熱中していたサッカー部では仲間と合わずに途中から退部して、勉強は難しくなり、秀才ぞろいの友だちからひけを取ってしまいます。がんばっても結果が出ません。
それでも高校3年生のときは受験勉強をがんばりましたが、受けた大学は全部不合格。学校の友達はみんな国立難関大学を目指すので、せいぜい早慶上智が滑り止め。それ以下の偏差値の大学なんて論外です。

浪人しても予備校はおろか、全く勉強が手につかず、深夜までネットやゲームばかり、朝も起きてきません。たまに中学時代の友だちと遊ぶくらいで、生産的なことは何もしていません。

親の勧めでカウンセリングにやってきました。当初は「話すことなんかない」とカウンセリングも嫌々でしたが、次第に気持ちを話してくれるようになりました。今何もやる気が出ないのはふたつの理由があるとA君は言います。ひとつは高校が合わなかったこと。もうひとつは、親が無理にこの高校に入れさせたことです。
A君はホントは別の高校に行きたかったのです。そちらは大学の付属校だから、のびのび好きなサッカーができるはずです。でも父親がどうせやるなら難関大学を挑戦しなさいとこっちの高校を奨めてきました。A君にとって父親はすぐ怒鳴り、自分の思ったことを絶対に曲げない人です。仕事が忙しくてあまり話すことはなかったのですが、しかたなくA君が折れました。入学してみると、やはり雰囲気になじめず、部活の仲間ともうまくいかず、成績もだんだん下がってきました。

その後も、時々カウンセリングにやってきます。それほど乗り気ではなく、親に言われて嫌々やってきます。でも、話しているうちにだんだんと気持ちの整理がついてきました。
  • 高校に入ってから自信をなくしていること、親が奨め、友達が目指すような難しい大学に受かる自信が全くないこと。
  • 自分は優柔不断で流されるタイプ。今まで如何に父親の圧力に屈してきたか
  • 中学のサッカーの友だちと交流していて、小中学生のころのサッカーがオレの自信の源だったこと
などが見えてきました。

A君と並行してご両親もカウンセリングにやってきました。無為な生活を送るA君を見ていると、このままずっと立ち直れないのではと不安になり、一緒にいる時間の多い母親は精神的にとても暗く辛くなり、父親は腹が立ちイライラしてつい妻や子どもにあたってしまいます。
なぜこんなに無気力でやる気が出ないのか、ご両親にとってまったく不可解です。
私の方から「マユこもり」のたとえで説明しました。
つまり幼虫から成虫に変化する狭間の停滞期間なのです。
子ども時代は親のエンジン(価値観・原動力)で動いています。親や先生などまわりの大人たちが設定した目標・価値に向かって動きます。
大人の心を持つとは、自分自身のエンジン(価値観)を見出さなくてはなりません。自分は何を目指すのか、どういう人になりたいのか。
このようなことで悩むのは女性より男性に多いように思います。
また、親が立派な学歴・ステータスをお持ちの場合が多いです。
親の価値観は言葉にして伝えなくても、親の存在自身が子どもの目標(目指す価値)になります。子どもは親の期待を敏感に感じ取ります。親のように立派になり、親からの承認を受けることで、自分はこれで良いのだ、一人前なのだという自信を獲得できます。

しかし、それまで親から与えらてきた価値観に代わる自分自身の価値観なんてそう簡単には見つかりません。時間がかかります。それまでは自信なんて持てません。
親から伝える価値観として、一番わかりやすい例が大学進学です。親が高学歴の場合、子どももどこの大学を目指すかという学歴が価値観となります。親の期待する学歴・大学レベルを目指す実力があれば、とりあえず自分の価値観などなくとも親の価値観を使って大学受験に向かうことができます。しかし、そのレベルに達していないとそこに進めません。停滞して、それに代わる価値(目標)を作らなければなりません。それはまだ未熟な高校生にとってかなり困難な課題です。

毎日ゲームやパソコンなど無為な生活を送り、楽をしている。ぜんぜん悩んでいないことが、親にとって何より不可解です。
A君は深く悩んでいます。でもそのことを誰かに表現するまで時間がかかりました。カウンセラーの私には少しずつ語ってくれましたが、親にはいまだに話したくありません。話せないというか、話す気にはなりません。
今のままではいけない、進路を決めて、勉強して、前に進まないといけないということは十分にわかっています。しかし、A君にとって親やまわりの友人から与えられた道は断崖絶壁のようにとても達成不可能な道です。
もしかしたら達成できるかもしれないという希望があれば、人はがんばることができます。
しかし、達成できる可能性が見えなければ、がんばることは不可能です。
私だってノーベル賞をとる目標を立てられたら、全くやる気をなくすと思います。

A君は少しずつ元気を取り戻しました。
始めはイヤイヤだったカウンセリングも、回数を重ねるにつれ自ら進んで気持ちを語るようになりました。
父親との交流も回復しました。身近にいる母親とは以前から普通に交流していましたが、父親との接点が増えました。何気ない会話が増え、子どものころは怖くてうまくはなせなかった父親とも、普通に話せるようになりました。
中学時代のサッカーの仲間とも時々交流し、気持ちの整理に役だったようです。

つい先日、A君が受験の報告にやってきました。今までは親に促されてやってきた面接も、今回初めて自分から予約をとりました。この半年間、やる気を回復して、某大学に合格したという報告です。A君にとって親が一番勧めていた難関大学ではありませんが、学校の先生や仲間にも紹介できる程度、自分でも許せる程度の大学です。
これまでは高校や勉強がうまくいかない理由づけを父親のせいにしていただけなのかなと、今までのことを振り返ります。

私から、これでカウンセリングも卒業だね。この苦しみを乗り越えた体験で、A君はとても成長したよと、たくさんの「おめでとう!」を伝えました。
初めてA君と出会ってから、ここに来るまで1年半かかりました。

2013年3月5日火曜日

うちの子は「弱い」と思い込んでいる親

うちの子は何も関心を持たない生活をしています。
やる気がないことが心配です。
特にひどいいじめや心の傷があったとは思えません。
なかなか人間関係になじめないタイプでした。だから、将来も苦労するだろうと思います。

今まで、難しい状況から避けてきました。
高校や予備校の人間関係。大学受験など。
「出来ない」自分を正当化してきました。

もしかしたら、今が正念場かもしれません。
逆境を乗り越える力をつけるか、
乗り越えず、避ける人生を選択するか。
この段階で親ができることは、乗り越える力をつけてあげることです。
避ける部分には直面化してあげてください。
なぜ避けるのか?
なぜ学校に行こうとしないのか?
その要因は?
威圧されるから?
どんな体験があったの?

「ほっておいてくれ!」
その言葉は「弱い自分」を守るための防衛線です。
そこを親は乗り越えて、突っ込んで構いません。

なぜ先生はそんなことを言えるのですか?

ご本人と会わなくても、親のお話でよくわかります。
なぜなら、親はこの子のことを「弱い子」と思ってきませんでしたか?
プッシュすると崩れてしまうから、あまりプッシュできない、、、と思ってきませんでしたか?

確かに他の子と比べるとナイーブな部分をお持ちかもしれません。
自信も持っていないでしょう。
今、その自信を獲得する途上にいます。辛い体験をつくり、それを乗り越えさせてあげて、自信を獲得できる体験を提供してあげてください。
そのためには、親が相当プッシュしても構いません。

ホントにそんなことしても構いませんか?
崩れてしまいませんか?

人はだれでも弱い部分と強い部分を持っています。
思春期は、強い部分がグンと増える時期です。
親が「この子は強さを持っているはず。耐えられるはず」という前提を持てば、そこまで辛さを突きつけることができます。
逆に、「この子は弱いので崩れてしまう」という前提を持つと、そんな危険なことはできません。
この子は今、どれほどの強さと弱さを持っているのか。
どこまでプッシュできるのか。
そのあたりをよく調べるのが親とのカウンセリング:子どもと向き合う作戦会議です。

2013年3月2日土曜日

承認を求めて

今朝のNHK連ドラ「純と愛」のセリフから。


私は〇〇で働くことで人を笑顔にしたいと思っていたし、〇〇で働くことで人が幸せになるって思っていた、、、っていうのは建前。

ほんとは淋しいだけなの。
自分に自信がなくて、だから人のためになにかをして「ありがとう」って言われたいし、人よりがんばって「すごいね!」ってほめられたいの。まわりの人が笑顔でないと不安なの。

考えてみたら小さいころからそうだった。
お父ちゃんやお母ちゃんにいつもみていて欲しかったし、「いちばん可愛いね!」ってほめられたかったし、もっともっと愛されたかった。
だからオジイにおまえはそのままで良いんだよと言われた時、死ぬほどうれしかった。

人のためなんかじゃない、全部自分のためなの。
イトシくんを好きになったのだってそう。
私はひとりぼっちはいやなの。

Aさんは仕事も子育てもとてもがんばっています。でも、Aさんをちっともわかってくれないダンナさんへの怒りの収拾がつかなくなり、カウンセリングにやってきました。話し始めると感情と涙があふれ止まりません。

私は当初、ダンナさんの問題や夫婦関係の問題を見出そうとしましたがうまく見つかりません。とても良いご夫婦です。いろいろお話ししていくうちに、ふと気づきました。

Aさんは仕事も家事も完璧にこなし、とても立派な社会人であり、妻であり、母親です。ダンナさんが優しくしてくれるのも頭ではわかっています。
でも、子ども時代の話になり、
「私は手のかからない子でほっておかれた。親に甘えることができなかった。親から拒絶された」と語ります。

しかし、Aさんにとってダンナへの怒りと子ども時代の印象は別の次元の出来事で、関連性があるとは気づいていませんでした。

連ドラの純(ジュン)は、イトシくんやオジイから承認を受け、自分が承認を得なかった子ども時代を振り返ることができ、それを乗り越えました。

イトシくんやオジイのような人が得られないとき、カウンセラーがその役を果たします。安心(承認)感の中で、Aさんは時間をかけて自分の過去と現在を繋ぐことができました。そうすると完璧にがんばらなくても大丈夫なことに気づき、気持ちがとても楽になり、ダンナへの怒りも消えてゆきました。