2012年11月26日月曜日

温泉旅行と親孝行


連休最終日の特急「草津号」は思いのほか混んでいる。
自由席でも座れないことはないだろうが、指定席にしておいて良かった。前の座席には若いカップルが一組いるが、周りを見回しても他は初老の、あるいは老年のカップルや仲間連れがほとんどだ。多くは観光客。四万・草津温泉へ行くのだろう。
上野駅から2時間。十分日帰りもできるようになったが、せっかくの骨休めなんだから一泊しよう。
文庫本も持ってきて京浜東北線では読んでいたのだけど、やはり読むより書きたくなった。今回の旅行はデジタルはやめた。たった1泊だし。早くコーヒーをこぼしてボコボコになったモレスキンを使い終えて新しく出たEvernote仕様のモレスキンを買いたいからラミーのサファリでせっせと書いている。後でPCに入力するから二度手間なのだけど。
新幹線に比べると、在来線は揺れる。あまり集中していると乗り物酔いしそうで気分が悪くなる。
四万温泉の鍾寿館は父親の実家だ。温泉旅館が実家というのはかなり得している。父親にしてみれば里帰りだろうけど、私はおじいちゃんから小遣いをもらい大きなお風呂に入ってご馳走にありつける。

鍾寿館は戦前からの老舗旅館だ。もともと温泉旅行を享受できるのは一部の富裕層のみに限られていた。戦後、農地改革により農民が解放され、農閑期に湯治する習慣ができた。米や野菜を持参して自炊しながら長逗留する。他のお客さんとの相部屋を嫌がるほどプライバシー感覚はないし、むしろその方がおかずをシェアできて楽しいのだろう。当時は混浴もふつうだった。
高度成長期に入り、会社の慰安団体旅行という習慣ができた。大勢で貸し切りバスに乗り込み、大広間で大宴会。私の子どもの頃は、親戚一同が集まり、「きょうだい会」と称してよく宴会が開かれていた。7人のきょうだいと連れ合いが集まれば、その子どもたちは相当な数になる。上から下までいろいろな年齢層のいとこたちと遊んで一緒にお風呂に入ったり。力の差からいじめられることがあっても、集団性の中での楽しみだった。
そのような団体旅行は個人旅行にとって代わった。元の大広間に間仕切りができ、中・小の個室に分けられた。昔のトイレ無しの六畳間は、今の時代の客室には狭すぎる。畳対応の椅子・テーブルを入れて個別の食事会場になった。

父親は年に一度は帰省する。去年は娘も連れて親・子・孫の三代旅行だった。今年は親子の二人旅。おばあちゃんは出不精だし孫の世話が気になるから留守番に回る。母親と娘の旅行ならおしゃべりに花が咲くのだろうが、父親と息子のふたり旅なんて話すこともない。駅弁を食べて、孫の話をちょっとしたら、あとはだんまり。居眠りするか、こうやって仕事のふりをしてブログを書いている。それでも気まずさはなく、ゆったりした時間が流れる。父親ひとりで行けば良いのだが、あえて息子もついてきた。
実家旅館に着いても毎回やることはほぼ決まっている。次男坊の父と当主の兄との会話だって昭和ひとけた同志、30分も話せばネタが尽きてしまう。お墓参りにも行く。なぜ律儀にお墓参りする意味が、今までは理解できなかった。3年前、妻を亡くしてからその意味がわかるようになった。
父親が山間の集落--温泉がなければ、ホントに山奥の小さな集落だ--に過ごしたのは小学生までだ。小学校を卒業したら前橋の旧制中学に出て、高校は埼玉、大学は東京へ。四万に戻ることはなかった。巣立ちの年齢は普通18-20歳頃とすれば、父の巣立ちはずいぶんと早かった。土地を買い、家族も仕事も東京に拠点を移してからも、故郷への憧憬は強く残っているのだろう。たとえ80歳を過ぎても、いや、むしろ年齢と共に強まるのかもしれない。

親孝行という言葉は好きではない。儒教的規範としての親孝行は年功序列、家制度を保持するための前世代的価値観であり、現代の核家族の機能維持の妨げになる。あるいは、親孝行は高齢者の安全と生活を維持するために必要な家族の結びつきなのだろうか。
そうではなく、親孝行はもっと純粋に心情的なものであって欲しい。
親子の愛情って何なのでしょうか?
相互に関わりたい、関心を向けるという欲求。思いやり。その人のことを考えようとすること。そしてこれが一番大切なのだが、肯定感を与えること。
子が親の関心を受け、親の愛情を受けたという実感を抱けてこそ、子が親への関心を向けることができる。親孝行って、するべき規範でもノルマでもなく、自然にやりたくなる心情的なものだ。

もし私が家族の危機にも、仕事のストレスにもブレない安定感を備えているとしたら、父親との関係性に由来する部分が大きいと思う。
自分が生まれてきた由来、自分という存在の根拠である親をしっかり肯定でき、しっかり結びついているという確信は、不確実で不安な世の中にあっても、揺れずにいられる根拠を与えてくれる。
こういうことは、ふつう気づかない。自分自身の体験を、他の体験と比べてはじめて見えてくる。ふつう、他の人の体験なんて触れる機会はない。せいぜい映画や小説で触れるくらいだろう。

ふつうの精神科医は患者さんの中に潜む病気ばかりみているが、心理セラピストであり家族療法家である私は、人の心に潜む家族体験をよく見てしまう。時にはご本人自身も見えていない部分まで見えてしまう。いや、本人だからこそ見えにくいのかもしれない。見るのが痛い、見えてしまうのが怖い体験もたくさんある。
そこまで掘り下げるなんて失礼な。プライバシーの侵害じゃない!!
そうなんですよ。
身体医学のお医者さんは身体をハダカにして、さらにメスで身体の中まで侵入してきます。心のお医者さんは心をハダカにして、心の中に入り込んできます。ある意味、とても恐ろしいことですよ。それが治療のために、心の病気や悩みを治すために必要なことならば、嫌がるご本人の抵抗を乗り越えて入り込んでゆきます。

私と父親との関係は、特に悪くもなく、特に良くもなく、ごくふつうの父子です。しかし、それが自分の心の安定さの基盤になっているという気づきは、そうでない人々の心に触れることによって対比的に理解することができます。
時々、クライエントの話に涙することがあります。それは、クライエントの体験に共感するからであり、そのもととなっている自分自身の体験を再現するからです。

もし心情的に親孝行できないとしたら。
自分が親から愛されず、受け入れられた体験を持たないとしたら。
親を愛し、親を受け入れることが出来なくなります。
人生の始めに、無力な子どもを無条件に受け入れ肯定してくれた親。その人生の終わりに、無力となった親を無条件に受け入れ、肯定します。もし肯定された記憶がないのに、親孝行という規範だけで親孝行したとしても、老親を肯定することは不可能です。
親を受け入れず、否定することは、自分自身の起源、つまり自分自身をも受け入れず、否定することになります。それがどんなに辛く、苦しいことか。
たとえ物質的に恵まれ、社会的に認められ人々から称賛を浴びたとしても、心の根底では本当の安心と心のよりどころを得ることができません。そのことが、さまざまなカタチとなって表れ、精神科医のところにやってきます。

もっとも生きる基盤なんて盤石でなくとも、揺らいでいても、何とか生きていくことができます。学力・体力・知力・経済力などさまざまな力(=鎧)を獲得し、バランスを保ち、辻褄を合わせて生きてゆきます。
しかし、何かのきっかけでバランスが崩れると、きっかけとなった出来事の衝撃の強さ以上に大きく崩れる場合があります。そうなると、口火が切れた部分の応急補修では済まされず、それまでなんとか抱え込んでもやってこれた膿みの部分まで深める治療が必要になります。

、、、というようなことを電車の車内と、温泉宿でつらつら考えていました。

私の向かいには、父親がいます。

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