2012年11月1日木曜日

弱腰サービスとクレーマー

飛行機の機材変更とかで出発が1時間遅れた。
まあ良くあることだししかたないなと思いつつ出発ロビーで待っていたら遅延のお詫びに千円の飲食券をくれた。ラッキー!
どこで使えるんですか?
あちらとこちらのショップでお使いになれます。

あっちに行ってみると、お店の人は「使えません!」
航空会社のカウンターに戻って「使えないってよ!」
済みません。今、確認します!
あちこち電話して、お店にも掛け合っている。
誠に申し訳ございません。あちらはダメのようです。こちらのお店にご一緒に行って、今確認して参ります。
と若いANAの兄ちゃんが走って行った。
別のオッサン客は「今頃こんなものもらっても仕方がないんだよ〜。くれるならゲートに入る前にもっと早く渡してくれなきゃダメだよ!
はい、どうも申し訳ございません。
よっぽどオッサンに何か言いたくなったけど、そこは抑えた。
 おかげでミックスナッツのおつまみを千円分買えたのは良かったのだけど、内心そこまでしなくても良いのになあ。まあライバル会社とのサービス競争もあるんでしょうけど。
アメリカの国内線では突然飛行機がキャンセルになり、半日空港で待たされても何もくれなかったよ!!
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半年ほど前の講演会。
事前に担当者から、「打ち合わせをするから1時間前に来てくれ」と言われた。レジメも既に送ってあるし、打ち合わせは15分もあれば足りると思うんだけど、、、と思いつつ1時間前に行くと、やはり打ち合わせは10分で終わってしまう。
これでもう結構です。まだ時間までありますから一旦解散して、10分前になったらまたお戻りください。
と言うヘラヘラ担当者の気弱な眼差しがどうしても見えてしまう。すると、思わずムカつきを表現してしまった。
あなたね〜〜。。。
一時間も前に来させておいて、一旦解散って、それは大変失礼なことわかってる!!
担当者はわかったのだかわかってないのか、へらへらのまま一礼して向こうへ行ってしまった。
となりの講師は何も言わない。私も何も言わなかった。
 何かなあ、こんな風に言わなくても良かったのだけど、、、
言ってから、何となく後味の悪い自己嫌悪モード。
 そういえば、だいぶ前にも同じように1時間も早く集合させられて、同じようにヒマだったけど、そのときは強面のしっかり担当者だったので、ムカつきも表さず、というか自分自身の中でムカつく気持ちも隠蔽されて、何も感じずポケッと待っていたこともあった。

 優しく、丁寧に、下から目線で謙譲サービスしてくれるのは尊重してくれる心地よさを抱く反面、過剰な弱腰サービスはお客さんをおだて上げ、高慢ちきな心情を増長させる。お客のクレームが始まってしまうと、途中から姿勢の高さをレベルアップする訳にもいかず、悪循環のスパイラルに嵌ってしまう。

 同じような現象が、思春期臨床でもよく見られる。
 子どもを愛する親が過剰にサービスすると、子どもは満足するものの、万能的自我(わがまま)が炸裂して自分の思いどおりに振る舞うことを周りの人に求める。うまくいかなかった原因を周りの責任に押し付け、自分で責任をとろうとしない。つまりホントは十分満足しているのに、あえて満足していないことをまわりにアピールする。すると親はサービスがまだ足りないから満足していないものと思い込み、さらにサービスを加える。こうやって悪循環が回り出しサービスがどんどん過剰になり、子どもは満足していないことをさらにアピールするはめになり、退行が進み、今まで出来ていたことも出来なくなってしまう。

 こういう場合、どうしたらよいのだろうか?
 弱腰な過剰サービスが発端の場合、それを適切なしっかりサービスに変えれば良い。飛行機が遅れてもサービス券など配らなくても良い。様々な事情で遅れるのは仕方がないのは十分に理解できる。そのあたりの事情をしっかり理解できるように説明してもらえれば良い。
 講演の1時間前に呼ぶのも、◯◯のアクシデントに備えて早く来てもらっている。支障がなければ早く済むが、過去に◯◯の問題が起きたので、念のためこのようにお願いしている、、、という具合に明確に説明してくれれば良い。
 それでもダメで納得しない場合、「責任者を呼べ!!」となる。
しっかり責任を取れる人に対応者が代わると、一旦クレームもリセットできる。責任をとるとは、お客に譲歩して際限なくサービス券を上乗せすることではない。あなたのことを理解しましたという意味である程度の譲歩も必要だろうが、どこかで限界を設定しなければならない。NOを言い渡すときは譲歩しない会社の決まりだから、我が家の方針だから、、、理由は何でも良いからきっぱりNOと言い渡す。

 その前に、最も大切なことは自分が過剰サービスをしていることに気づかないといけない。いくら人から「あなたのサービスは過剰よ」と言われても、「いや、適切だ」と言い張る。その逆に、うまくいかないのはサービス不足と勘違いしてさらにサービスを追加してしまう。客観的にみれば逆の方向なのだけど、本人は一生懸命だから気づかない。
 というか、内心は気づいている。サービス券を追加するのではなくしっかり「もうダメよ」と言うべきということはわかっているのだけど、「でも私、言えないのです。」
はい、そのお気持ちよくわかります。
しかし、そこが大切なんです。ご自身で「私は言えない」と決め込んでしまっている人が言える元気を獲得できるようにするのがセラピストの役目です。
 でも、無理に言わせようとしても無理です。出来ないことを無理にやらせるのは拷問みたいなもの。無理難題をふっかけられるいじめみたいなものだから、そんなところにはもう二度と行きたくありません。
 「私は言えない」背後には、それなりの深い理由があります。それを解き明かし、整理すれば、「言えない人」から「言える人」にグレードアップできます。
 いろいろな理由が考えられます。

 過去にひどい客がいて、しっかり言ったことが裏目に出てひどい目にあった経験を持つ場合です。
 ひどい客って誰でしょう?
 たとえば、子どもにしっかり向き合おうとすると、親自身の子ども時代に父親が母親にひどいことを言ったり暴力を振るった思い出がよみがえりフリーズしてしまう場合。
 あるいは、自分のきょうだいと親がひどいバトルを繰り返し、ひどいことになっちゃった場合。
 あるいは、夫がひどいことを言ったりやったりしていて、立ち直れないくらい傷ついている場合など。
 そういう過去の体験があると、また同じことが起きるのではと自動思考してしまい、自分の子どもにもっとしっかり伝えようとしても自動ブレーキがかかり言えなくなってしまいます。
 そういう場合、どうしたらよいのでしょう?
 安全感・安心感を回復することです。
 世の中、そんなひどい人ばかりではないという安心感です。しかし、自分でもトラウマと意識していない隠れたトラウマはかなり根深いものです。一見ふつうの人でも、ちょっと突っ込んで刺激したらとんでもないことが起きてしまう不安がどうしても残ります。
 その場合、当該のひどい人の記憶と、他の一般の人々との連結を外します。連結されたままだと、あの人がそうだったから、この人もそうなるかもしれないと予期不安が連結してしまいます。そうではないことを自分自身の思考の中で実証しなければなりません。あの人は、ふつうの人とは違う特殊な事情があったからひどかったんだ、普通の人とは連結されていないのだということを改めて理解します。
 しかしその作業はかなり困難です。理屈で説明するのは簡単ですが、だいたいその人や出来事を思い出すこと自体がトラウマの再現で、もっとも遠ざけておきたい事象です。ひとりでは無理で、セラピストなど、安全に手伝ってくれる人が必要です。なぜあの人はそんなにひどかったのだろう?よくよく考えると、その人の個別の事情が見えてきます。あの人には、「自分が不幸だ」と思い込ませるに十分な事情があったのかもしれません。
 でも、こんな作業は大変だし、やっても意味がないのではと思いますよね。過去を取り返すことなんてできるはずないし、第一、あの人はもうこの世にいません、、、。
 いえ、それで良いんです。過去は過去で構わない。それを現在によみがえらせるわけではありません。その逆で、過去は過去だったんだ、現在とは違うのだと、はっきり境界線を引き、忘れられない過去を丁寧に葬ってあげることです。

 こんな風にイヤな過去をほじくり出すことは、とても不快です。だからこそ、誰にも言わず、自分自身も心の片隅に隠して封印しています。
しかし、それでは解決しません。自分自身に隠さなくてはいけないということは、どこかで現在と繋がっているからなんです。もしその過去が現在と切り離されているとしたら、隠す必要がなくなりますから。
 そのようなネガティヴな過去の体験が、今を強く生きる自信を、必要なときに必要なことをはっきり「言える」力を鈍らせています。ホントは強く生きて良い人なのに。

 「言えない人」のもうひとつの理由は、単純に、そういう経験をしてこなかったから。
 子ども時代からずっとサービス券をたくさん与えられ、過剰サービスが当たり前の世界で育ってきた場合です。自分がそうやって育ってきたのだから、そのことを問題視する発想は持ち合わせません。
 そう、つまづかなければ過剰サービスはぜんぜん問題ありません。つまりずっと一軍でプレイすることができれば。しかし、過剰サービスの問題点はケガをして戦力外通告を言い渡されて一時的にせよ二軍に落ちたときです。二軍落ちの経験のない親は、二軍に落ちた子どもをどう支えたら良いのか見当がつきません。
 「しっかり言う」ことが、今までやったことのない、新しい体験となります。そういう場合はしっかり練習することで、新しいやり方を会得できます。それまでの旧式のやり方にこだわらず、新しいやり方に慣れることが出来れば目から鱗が落ちます。
 そして家族の問題も解決します。
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以上、空港のちょっとした出来事からイマジネーションが飛行機とともに飛び立ち、機内でメモしたことです。まだまとまっていないけど、公開してしまいます。後悔したりして(失礼)。

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