2012年7月3日火曜日

男性性とは?


「支援者向け研究会」「夫婦エンパワーメント~」「思春期子育て~」など何本か定例のセミナーをやっているが、「男のメンタルトレーニング」が一番みなさんの注目をひき、いろいろなところでよく質問される。それも男性からばかりでなく、女性からの関心が高い。
それにも関わらず、今のところ一番参加者が少ない。

男性性とは?
女性性と比較するとよく理解できる。男女を問わず、人はだれでも強さと弱さを持ち合わせている。そのどちらを指向するか男女で異なる。

女性のキーワード=「弱さ」
男性より体格も腕力も弱いという事実から、関係性の中の弱さ、そして家庭や社会という仕組みの中の弱さ、subordinate position を余儀なくされた。
弱くても良い。弱者であることの利得がある。弱いゆえに人を必要とする。他者との関係性を築くことが女性の得意技だ。泣いたり、弱音を吐いたり、だれかに相談したり。弱さは、思わず守ってあげなくちゃ。かわいさにつながり、強い男性を引き寄せる。
セラピーは自分の弱さをさらけ出し、言葉を使い(おしゃべり)、感情を用い(泣いたり、わめいたり)、他者に依存して庇護してもらう。サイコセラピーは女性性に親和的である。
女性性に注目したセラピー(Feminist therapy)とは弱者である女性の立場に注目し、弱者に押し留めている社会構造を告発し、女性たちをエンパワーして弱さから強さへの変革を支援する。
女性へのセラピーのキーワードは言葉、関係性、感情表出、カタルシスなど。

男性のキーワード=「強さ」
強いことが男性のアイデンティティである。
なぜ強さに固執するのか⇒強くないと生きていけない。種が滅んでしまう。種を守り、生きながらえるためには外敵から守る強さが必要。
弱い男はno good。生きている価値がない。
どういうのが弱いの?
弱音を吐く。感情を表す(泣くとか)。自分が弱いということをまわりの人に知らせちゃう人。

男の鎧
ホントに強くて、何も迷うことなく普通にしていても強い人もいるでしょう。半分くらいの人はそれで良いのかもしれない。でも、あと半分くらいの人はそういうわけにはいかない。強さもあるけど、弱さも持ち合わせている。
すると、鎧を着る。ホントの内面のナイーブさをカバーアップするために、「俺は強いんだぞ!」と証明できる盾をせっせと作る。
それが見せかけの「強さ」=能力、学力、学歴、体力、腕力、精神力、経済力、コミュニケーション能力、語学力、説得力、計算能力、思考能力、努力(がんばる力)、包容力、判断力、などなど
しかしその下にナイーブな内面を持つ。

だから、鎧を着れば良いじゃない!
だれでも弱いところもあるんだから、鎧を着て、人生80年もてばいいじゃない。そこまで突き詰めて考えなくても。
鎧がなくても強い人はOK。
鎧を着て、強く見せられている人もOK。
鎧をつけてもまだ弱さがあふれてくる時が問題だ。その場合、鎧をメンテナンスしなければならない。

人間の光と影
光とは肯定的な体験。たとえば喜び、前に向く力、意欲、希望、自信、肯定する力、どうだかわからない不安な状況でも思い切って前に進む勇気(海への飛び込みみたいな)

影とは何か?
それを自分で理解していれば、この先を読む必要もないかもしれない。
自分で理解できないからこそ、それが「影」なのである。
隠している。人には絶対に見せない。自分自身も見ない、つまり意識下に抑圧している。
影とは否定的な感情体験 (negative experience)、自信を奪う体験、過去や現在の体験からくる悲しみ、怒り、そして未来への不安や恐れ。
悲しみ、不安、恐れ、怒りとは?
「悲しみ」とは大切なものを失った状態
「恐れ」とは大切なものを失うことに対する明確な予測
「不安」とは大切なものを失うかもしれないあいまいな予期
「怒り」だけはちょっと種類が異なる。悲しみ・不安・恐れなどを覆い隠すための防衛反応。
悲しみ・不安・恐れは一般に「弱い感情、女々しい感情」として男性には許されなかった。
唯一、世間的に(男性のコードとして)許されているのが攻撃性。
男性の(女性も)怒りの影には悲しみ・恐れ・不安が必ずある。それをカバーアップするために怒っている。
怒り、攻撃性とは激しくエネルギーが発露して相手を威圧する。まわりからみるとそれは一見強そうに見えるけど、本当は弱さの防衛である。

鎧のことは人にも言わないし、自分自身でも語らない、考えない、言わない、表象に上げない。その部分が見えてくると、心情的に痛い、苦しい。そして自分がダメな人間になってしまう。生きる意味を失う。まわりからダメな人間と思われるのが怖い。せっかく作ってきた自分というカタチを壊すつもりなのか!!
長い間人生をやっていると、光と共に影の部分がたまってくる。それを鎧の下に隠してどうにか取り繕いつじつまを合わせている。
人生の影に合わせて鎧もどんどん厚くしていかねばならない。すると人生がガチガチになり、思うとおりに動けなくなる。次のような具体的な弊害が現れる。

うつ:
影の気持ちを扱うことは辛すぎて日常生活がうまくまわらなくなるから、それを押さえ込もうとする。否定的な部分だけを特異的におさえることが出来れば良いのだが、健全な部分まで巻き込んで押さえ込まれてしまう。ちょうどがんの治療と似ている。がん細胞だけを特異的に叩くことができればよいのだが、そううまくはいかず、健康な細胞も叩いてしまう。それがガン治療の副作用。感情を押さえ込むメカニズムも同様だ。影の部分を必死に押さえ込もうとすると、表の部分まで押さえ込まれてしまう。つまり、日常生活をきりもりするために必要な意欲、やる気、食欲、性欲、睡眠欲などまで巻沿いを食う。そのために、やる気がなくなり、食欲や性欲が減退して、仕事や勉強、家事などするべきことができなくなってしまう。

攻撃性:
ささいなことで怒ったり、怒りっぽくなったり。しまいには自分でもコントロールできなくなって他人に怒りをまき散らす。そのために、周りの人、家族とか同僚、仲間に攻撃性が向けられ、人間関係が崩壊してしまう。

性的逸脱:
セクハラ、異常性欲など。その根底には孤独がある。寂しさをカバーするために許容されない形で達成しようとするのが逸脱行為。Sexualityとは究極の親密性。人間の存在の深い孤独を癒してくれる。性的な親密性は、健康な大人には必要不可欠だ。特に男性にとって。子ども時代は親が無条件の愛によってカバーしてくれる。子どもから成長して大人になるためには、親ではない第三者との間に親密性を築くことが重要だ。安全で許容された親密性(sexual partner)が得られない時、逸脱した偽りの親密性を無軌道に得ようとする。

アルコール・薬物依存:
アルコールは感情を麻痺させる効果がある。辛いことを忘れさせる。ヨロイの下の弱さ・否定的な感情がどんどん大きくなり、ヨロイではカバーできなくなると、それを封印するためにアルコールや薬物が使われる。それは社交を楽しむための酒ではなく、心の痛みを麻痺させるための酒や薬だ。
人はリラックスするために酒を使う。酒を入れて、ふだんの緊張や体面を取り除き、本音を語る。一生懸命にがんばっているヨロイを麻痺させる。饒舌になり、普段抑圧している自分の感情を解き放すことが出来る。軽い量であればふだんの抑制がはずれ社交的になり、普段のストレスを軽減する作用がある。しかし、アルコールはヨロイばかりでなく、ヨロイの下の影の部分も麻痺させる。嫌なこと、忘れたいことがあると、深酒をして忘れようとする。つまり、ヨロイという弱さの防御壁を強化する作用となる。そして、依存症を引き起こし、人間関係を破滅に追い込み、仕事ができなくなって社会生活と家庭生活が滅びる。

仕事中毒:
仕事は生産性に繋がるから、一見良いことのように見える。高度経済成長時代はまさに好ましい姿であった。しかし、心理学的に見ればそれも逸脱の一種。仕事に熱中することにより、仕事以外に大切なはずの部分から目をそらすことが出来る。たとえば家庭生活に困難さや痛みを抱えているとき、仕事をしているという名目で、家族から逃げる。そのために、生産性のためではなく、逃げるために過剰に仕事に没頭する。

夫婦葛藤:
パートナーシップは最も親密な関係性であり、お互いにたくさんのことを求め合う。影の部分を相手に投影する、お互いにそれをやってしまうと、どうしようもなくなる。

親子関係:
母親の場合、自分の痛みを最も近い存在である子どもに投影すると密着して傷つけあう。男性は子どもとそれほど近くはない。親・自分・子どもという三世代の世代間連鎖で考えた方がわかりやすい。自分の親との未解決の葛藤、特に怒りが解決されないでいると、その感情が今度は自分が親役割を果たすときに自分の子どもに対して投影されてしまう。つまり、自分の親に向けられるはずの気持ちが、自分の子どもに向けられてしまう。結果的に子どもへの関わりがうまくいかなくなる。父親の場合、多いのが怒りと関係性の遮断。不安が投影される場合、母親は過保護・過干渉になりやすく、父親は子どもに対する不安が怒りや過度の叱責という形で現れる。

いったい影の部分にはどんな感情が隠されているのか?
多いパターンが親に対する未解決な思い。葛藤、まだ満たされぬ愛着、うらみ、親から傷つけられた体験、ちゃんと親が親としての役割を果たしてくれなかった怒りなど。
喪失の悲しみ。自分が失ったものに対する気持ちを隠している。
劣等感。自分は劣っているのだという気持ち。引け目。自分の家族に対して。自分自身に対して。足が短いとか、能力に欠けるとか、家族にタブーの人がいるとか。恥の部分。

仮の男性性(強さ)は鎧のスペック。立派な鎧を作り上げ、人生を謳歌する。
真の男性性(強さ)は鎧(力)を脱ぎ去り、裸の状態でも光(喜び、前に向く力、意欲、希望、自信、肯定する力)を保持できる。

どうしてそれが役に立つの?
「弱い、恥ずかしい、いやな」部分を認知するということは、そこに肯定的な意味づけを与える。
弱さは弱さとして、自分自身でそれを受け入れ認める。すると、それは否定的な体験・感情であることには変わりはないが、それを持っていることの意味づけが異なってくる。
影は影でありつづけると同時に、影ではなくなる。隠しておかねばならない影から、隠す必要のない影にバージョンアップされる。弱みが強みに変換される。
弱さを持っていることが劣っているわけではない。それを自分で投げ出して人にやってもらうわけではない。自分で請け負わなければならない。
それができるようになれば、弱さは弱さでありながら、隠したり恥じる必要がなくなってくる。自分はこれで良いのだという自信を回復できる。病理的な部分(身体・心理・行動的な異常、自傷他害など有害な行動、逸脱行動)まで肯定してはいけない。ダメなことは絶対ダメ、やめなければ、コントロールしなければということを理解しつつ、前に向く勇気、エネルギーが出てくる。今までできなかったことができるようになってくる。人と向き合い、自信を回復し、肯定的な自己像、肯定的な生活ができる。人生をフルに楽しめるようになる。

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