2012年3月26日月曜日

帰路のバンクーバー空港にて

昨晩は時差ボケで午前1時に目が覚めたままずっと起きているので、さすがに眠い。あと15分ほどで搭乗が始まる。これで機内ではよく眠れるだろう。
今回はTwitter、Facebookのどれが活用できるか私自身の実験だったのだが、どうやらFacebookに軍配が上がったようだ。やはり「いいね」の効果だろうか。
Facebookにも英語で書いたが、なぜか海外に来ると元気というか、それを通り越してhyper-activeになる。ふつうの観光旅行ではそうでもないのだが、学会で人と交流したり、友人と会ったりすると特にそうなるみたい。
今回の発表では、Davidとふたりで臨床ケースとセラピスト自身の人生との関連性について議論した。その結果、私のgenogramにCultural Transitionというテーマを見出すことが出来た。1年間の高校交換留学体験が原体験になっていることを自分自身で理解した。文化も言語も異なる見知らぬ人々との交流があった。ホストファミリーや友人たちとの関係は「交流」以上の「愛着形成」に近いほどだったかもしれない。
その肯定的な体験が下地にあるために、その後も何度も海外渡航を繰り返してきた。トラウマ(心的外傷)が過去の否定的な体験を引きずっているためのうつ効果としたら、私の海外体験は過去の肯定的な体験を引きずっているためのそう効果。こういうのをなんて言うのだろうか?
もう、搭乗が始まる。

2012年3月21日水曜日

Stanley Park

Vancouverは私の自転車の原点。
数年前、貸し自転車でStanley Parkを一周したのがきっかけだ。今回も早速走ってきた。バンクーバーの街は自転車フレンドリー。Infoで自転車マップをもらう(上)。緑の道には自動車と歩行者と分かれた自転車専用道路と自転車専用の信号が整備されている。右折・左折の自動車に巻き込まれることもない(下)。
Lion Gate Bridgeをはじめ海を眺めながらの公園一周サイクリングは最高。1時間もあれば回ってこれる。

2012年3月20日火曜日

海外留学と隔絶性

バンクーバーのホテルに到着。想像していたよりかなり寒い。上着を着て散歩がてらGranville Islandへ出かける。ダウンタウン南岸より可愛い渡し船に乗って5分ほど。以前は倉庫だったのかな、今は生鮮市場やお店、レストランなどがある洒落たエリアになっている。

今までは、海外に行くということは、それまでのなじみの世界(home country)とは隔絶されることを意味していた。私の高校アメリカ留学時代は早くても3−4日かかる国際郵便でのやりとりのみ。電話はクリスマスに1回かけたくらいだった。
1990年頃のロンドン留学でも同様に手紙か国際電話の時代で、ネットはなかった。

それが今ではネットの世界。ネットを使って仕事をする分には国内と全く変わらない。むしろ日常の生活から切り離されている分だけ時間が出来るので国内にいる以上にネットを多用できる。地理的な隔絶がネット的な近接を生み出すというパラドックス。
そのことが、留学の様相を変えてしまったようだ。私の頃は隔絶した世界にひとり飛び込み、辛くても寂しくてもなんとか自分でやるしかなかった。Either/Orの世界。
今までのなじみの世界と隔絶することで、新たな世界に適応することができた。
今は簡単にメールやFacebookやTwitterで本国の家族や仲間と交流できてしまう。今までの世界と繋がったまま、新しい世界にも入っていく。Both/Andの世界だ。
どちらの方が良いのか、一概には言えないが、新たな適応しにくさも見えてきている。
新しい環境に慣れるまでは、だれでも辛く、苦しい。
それは、ひとりで我慢し、頑張って乗り越えていくべきものなのか。
それとも、ホントの危機状況で早期発見・早期対応をしてあげないと、取り返しのつかないことになるのか。
本人の感覚ではその境目はない。ホントに辛いと感じても、しばらくすればどうにか立ち直る場合と、立ち直れずつぶれてしまう場合がある。どちらとも言えないが、そういう時期はだれもが多かれ少なかれ経験する。
その段階で、それまで馴染んでいた世界にSOSを出せるようになった。
断片的な情報しかない状況は不安を惹起する。
本人にとってはどちらとも言えないようなSOSのサインを子どもから受け取り、親がそれをどう反応するか。大丈夫だからがんばりなさいと言える親なら良いのだが、そうでないと親も不安になり、親子の間でネットを介して不安が共振して増幅されてしまう。もはや海外留学が、親子の連結を切り離す手段とはならなくなった。
適応すべき現実を失うと、依存症に走りやすい。ネットが好きでも、それ以上にリアルな世界が好きならば、ネットにはまる必要はない。現実の居場所がなければ、しかたがなくネットの居場所から離れられなくなる。

ではどうしたらよいのか?
ネットを禁止するのは無理だろう。仮に禁止できたしとしても、そのことが現実への適応が促進するかどうかは疑問だ。
では逆手をとってネットの交流をうまく活用して、適応を促すことができないだろうか。コントロールされたネットの世界。YouTubeとかネットゲーとか依存的な世界を止めることは出来ないが、適応しつつある高校生にとって有意義な場所をネットの中に提供する。
たとえば、帰国したリターニーたちによる交流の場、相談室、アドバイスの場、子どもからこんな相談が来たのですがパニック、どうしたらよいでしょうと困ってしまう親をフォローできる場とか。
そういうのを含め、自立の途上にある留学生たちをサポートするシステムを作ったらどうかなと思います。

話が思わぬ方向に発展してしまいました。

2012年3月19日月曜日

成田空港第一ターミナル

あと、20分ほどで搭乗が始まる。
成田空港のラウンジにも無料の無線LANがやっと入った。今までは有料だったように思う。
海外出張の飛行機ひとり旅はlong haul frightでも足がむくむのを除けば嫌ではない。もうこの歳だからビジネスクラスを奮発しても良いのかもしれないけど、科研では許してくれない。今回が4年間の科研費による最後の出張となる。今後は自腹だ。
機内食が回ってくるまではけっこう時間がかかるので、軽く山菜うどんを腹に入れた。ホントは寿司にしようかとも思ったけど、サテライトの寿司屋は混んでいたし、ビールを飲むべきか迷ってしまう。
機内は自分の好みで使える自由な時間だ。こんな長くひとりでいられるってあまりない。普段も作り出せばいいのだろうけど、外向の私には至難の業だ。その点、機内は強制的に動かず、ひとりにさせてくれるから良い。

a) お酒を飲んでぐっすり眠る。
b) PCと本と原稿を持ち込んでお勉強。

寿司屋でビールを飲んじゃったら(b)をできなくなるのでここは我慢。機内食を食べたらどうせ眠くなるし、多少は睡眠をとった方がよいから、前半は仕事して後半寝よう。
以前は事前にlow fat mealをオーダーしていた時もあった。いわゆるダイエット食でチキンか白身魚だ。美味しくはないのだけど、他の客より先にメシが出てくるのと、お腹いっぱいにならないから食べた後も仕事を出来るというメリットがある。ホントはそういうのが良いんだよな。帰路は頼んでみるかな。
内職材料はたくさん持ってきた。第一、学会のプレゼンテーションの準備もまだ仕上がっていない。その前に、ずっと抱えたまま、編集者のマジ切れが迫っている学会誌の原稿もある。読みたい本も3冊くらいあるし。それに、Blog, Twitter, Facebookと自己表現の場も増えてしまった。これ全部やるのはどう考えても無理でしょう。でも、渡航前はそれを期待する。日常から隔絶されれば普段できないことも出来るんじゃないかと。しかし、現地に行けば行ったでたくさんやることが出てきてしまう。いろんな人たちとの出会いもあるし、自転車もいつものように持ってきてしまった。
表出する仕事(原稿書き、ブログ書き)はまだ出来るのだけど、取り込む仕事(本や論文を読む)仕事が苦手だ。読んでいるうちにいろんな発想が出てきてしまい、落ち着いて受容に徹することが出来ない。しかもネットが盛んになってしまったからなあ。このブログ書きも、実は現実逃避なんですよ。日常という現実から海外に逃避し、締め切り過ぎた原稿書きという現実からブログに逃避している。
もう間もなく搭乗開始だ。