2012年2月23日木曜日

男のメンタル・トレーニング

支援者、夫婦エンパワー、思春期子育てなど、うちでやってるセミナーの中で「男のメンタル・トレーニング」のスタートが一番遅いだろうとは予想していた。今まで参加者はいなかったが、やっとスローなスタートを切ることができた。

カウンセリング業界は女性優位だ。カウンセラーもクライエントも女性が多く、男性はあまり来たがらない。男は論理や具体性を好み、漠然とした感情や言葉による癒しを好まない。 
それに、男は鎧を着て生きていかねばならない。
30代後半から40代前半くらいまでは若さの延長で問題を感じずにやってこれる。
しかし、その年代以降にいろいろな困難がやってくる。
職場、人間関係、女性関係、セクシュアリティ、家族、夫婦、自分の身体、、、、
それらがうまくいかなくても鎧を脱ぐわけにはいかない。
鎧で覆った生身にうまくいかない部分が出てきても、蓋をして問題はないかのように社会の中で生きていく。
男の生きがいは、何かを達成するやりがい。リーダーシップを求められる。能力、有能さ、まわりから慕われ、経済力を確保し、家族を養っていかねばならない。
それが男性に求められた役割だ。
問題を抱えながらも突き進んでいくと、いつか破たんする。
うつ病、自殺、セクハラ、事故、犯罪、アル中、薬物、ギャンブル、、、、
男のアイデンティティは力。コントロール不能となった力がまわりの人々に迷惑をかける。
パートナーが、女性が、家族が、社会が、、、。

そういう男性たちのメンタルのパワーアップが必要だ。
腐った中味を隠したまま鎧だけをパワーアップしてもだめ。かえって加害性を強くしてしまう。
その中身を点検しなくてはならない。
安全な場所で、守られて、よろいを脱いでみる。
強がらなくても良い、弱さをさらけ出しても良い。恥ずかしくはない。まわりから責められることもない、評判が落ちることもない。完全にプライバシーが守られた安全な場所。
安全とはふたつの要素がある。
秘密が守られること。語られた情報は一切外に持ち出さない。
もうひとつは、批判されないこと。どんなことを言っても、グループによって受け入れられる体験が必要だ。
その場をかりて腐った部分を表出し、点検していく。そうすればそこの部分がうまくいって、本当の意味で、正直な自分に向き合うことができる。それはとても怖い。でもそれを乗り越えることができる。それが、鎧による鉄の強さではなく、真の内面から醸し出された男の強さ。
怖がる必要はない。それを提供する場が必要なだけである。

2012年2月8日水曜日

真の解決を目指して

 小手先ではない本当の解決のためには底を突く体験が必要です。
 家族の問題を丁寧に伺っていると、その背後に隠されているさまざまな家族の問題が見えてきます。たとえば親が病気や障害を抱えていたり、嫁姑関係などの義理関係や自分の親との関係が長期にわたり未解決だったり、夫婦間の信頼関係とコミュニケーションの問題などです。これらを取り上げると焦点が拡散して収拾がつかなくなるから、あまり深く掘り起こすべきではないという考え方もあります。私はその意見とは異なり丁寧に広げていくことがとても重要だと考えます。語らない問題を扱うことは出来ません。語ることによりそれが解決されなくても、語ることが出来ない特殊な問題から、言葉で説明できる普遍的な問題に変換されます。問題を抱えていることが悪いのではなく、そのことにしっかり向き合えば、ごまかしのない自分になれます。
 しかし、心の底まで降りてゆくのはとても怖い体験です。せっかく作り上げてきた自我を一旦崩すことになりかねません。この作業はひとりでは不可能です。支援者の役割はこの辛い作業に付き添うことです。底まで到達した人を受け入れ、承認します。そうやってごまかしのない自分と風通しの良い家族関係が生まれることで、ひきこもりなどの問題も自然に解決します。

安心感を醸成する

 信頼関係と安心できる雰囲気はカウンセリングの基本ですが、このことに無頓着な支援者も少なくありません。たとえば服薬や生活習慣をきっちり守ってもらうためには厳しく伝えることも必要ですが、クライエントの気持ちは最も優先されなくてはなりません。
精神科や心理カウンセリングを訪ねることは気持ちの敷居がとても高いものです。しかも問題を抱えて傷ついているので、支援者の言葉に敏感に反応します。
私はクライエントが安心して語れる雰囲気づくりに細心の注意を払っています。しっかり相手の言葉に耳を傾け不安な心情を共感し、今すぐにどうにかしたいという焦りの気持ちを受け止め、変化を早急に求めません。また今まで親として関わってきた苦労をねぎらいます。
ひきこもりの親は家族関係の不安を抱えています。親子関係や夫婦関係など本来は安心して話せる相手とコミュニケーションがうまくいかず、親密な関係を築くことに自信を失っています。支援関係の場で人との関わることの安心感を再発見することができたら、その感覚を家庭に持ち帰り親子関係に応用します。その感覚がひきこもっている本人にも伝われば本人と直接関わらなくても間接的に安心感を醸成し、人と関わる勇気を獲得できます。

家族の孤立から連携へ

 ひきこもりの家族は、3つの意味で孤立しています。
ひとつ目はひきこもり本人が社会から孤立していること、
二つ目は家族の恥として家族外の人に隠していることです。

三つ目はストレスを抱えた家族メンバーがお互いに交流できず孤立していることです。問題が深刻化すると余裕がなくなり、お互いの異なる見方を受け入れられなくなります。たとえば子どもと近い距離にいる母親は、遠い距離にいる父親の無関心さや無理解を批判し、逆に父親は母親の過保護ぶりを批判します。その根底には拡大家族を含めた夫婦間の長期にわたる葛藤があり、夫婦お互いに分かり合えることが難しかったりします。

 両親の一致団結が大切であると頭では理解しても、なかなか実行できません。たとえば熱心に関わる母親は孤軍奮闘し、両親そろって相談に来ることを勧めても夫の非協力を訴えます。夫の多忙さは表面的な口実で、実は夫が来るとお互いの違いが見えてしまうので、本音では来て欲しくなかったりします。その場合、まず子どものことばかりでなく、母親の夫に対する気持ちも丁寧に受け止めます。その上で、両親が関わることの重要性を再度説明して、夫が相談の輪に加わることを勧めます。そうすれば夫も都合を付けて一度は支援の場に現れます。しかし、本音を語れば夫婦間のトラブルとなるので、なかなか継続して相談に通い続けられません。両者の異なる考え方を双方ともよく受け止め、どちらが正しいというわけではなく、両親の対応が異なっても構わないのであり、その違いを夫婦間で認め合うことが重要です。

「強さ」を導き出す

 人は近しい人からの評価を取り入れて自己評価に組み入れます。親が子どもの強さを認めれば、子ども自身もそれを認め、肯定的に自己を評価します。そのためには親自身も自分の強さを内面に認めていることが必要です。それは親にとって近しい人、たとえばパートナーや自分の親の評価から受け取ります。そのようにして、高い自己評価は身近な関係性の間で連鎖します。子どもの自己評価を高めるために、家族やまわりの人々の自己評価を視野におさめます。子どもの強さを見出すためには、親の強さを見出します。子どもが周りの人々からどう評価されているか、それと同時に親も周りの人からどう支えられているかをアセスメントします。たとえば両親のパートナー関係はどうか、お互いに相互の良い点を認め合えているか。あるいは、親の親から強さを受け取っているか、あるいはマイナスの評価を受け取っているかというあたりです。
 私はそのような家族システムに入り、私との信頼関係の中で自己評価を高めるよう心がけています。子どものひきこもり問題で自信を失っている親は、なかなか自分自身の強さを見せてくれません。しかし、だんだんと話を深めていくうちに、ふと親の内面の強さを垣間みることがあります。それをすばやく見つけ出し肯定的に伝えることで、親が自分の強さを認められるようになります。そのようにして子どもと会わなくても、親を通して強さを伝えることが出来ます。

子どもにNOと言わない親

 親が肯定的に関わる例をひとつあげてみましょう。子どもの言いなりになり、はっきりNOと言えない親に時々遭遇します。過保護で甘い親と否定的に捉えられがちですが、親自身はそのようには考えておらず子どものために親ができることをしているだけと考えます。
 なぜ子どもにNOと言わないのか考えてみましょう。親が弱くて子どもの強い要求に太刀打ちできないみられがちですが、そうではありません。子どもを弱い存在と捉えているために、NOというメッセージに耐えられず、つぶれてしまうだろう、悪い方向へ進んでしまうだろうと心配するからです。
 思春期の子どもは親の限界を試してきます。自分の思いどおりになるという万能感に枠組みを設定してあげることで、子どもは行動の規範を身につけます。子どもの強さを認めたら、子どもの要求を制限してNOと言うことができます。そのことは根底の部分で子どもを信じているわけで、子どもの万能的な自我を安全に傷つけることを意味します。

親の自信が子どもの自信を生み出す

 子どもが人間関係や学業などにつまずき自信を失いかけていると、不安を抱え自信のない親は子どもを弱い存在と位置づけます。自分で乗り越える力を持っていないので、親の責任でどうにかしないとダメだと必死になります。これは子どもを否定的に見ている状態です。
 親が自責や焦りの気持ちから解放され、自信を回復してくると、子どもを肯定的に見ることができます。子どもに強さが芽生えれば、あまり心配しなくても自分の力でどうにか立ち直るだろうと楽観的に考えます。
 口にしなくても親の気持ちは直に子どもに伝わります。親が子どもを弱い存在ととらえれば、子ども自身も自分は弱いのだと受け止め、自身の力を試そうとせず差し出された親の助けに依存します。親が責任を取ってくれることを期待して、それが満たされないと親に不満を漏らします。反対に子どもに困難に立ち向かう力が芽生えてきたと親が見れば、子どももその見方を信じて自分の力を試し、失敗を繰り返しながらも徐々に成功体験を積み上げていくことができます。

家族の自信回復

 完璧な家族はありえません。どんな家族も問題があるのが当然です。完璧な子育てはありえません。つまり、「問題を抱えていること=悪いこと」という見方から、問題があって構わないという見方に転換します。多くの親は家族に問題があることを好ましくないこと、恥ずかしいことととらえています。どの家族にも問題があるのが当然で、むしろ相談に来る親は、問題を見つめようとする勇気を持っています。
 でも筋肉を使いすぎれば誰でも凝るわけで、肩こりの比喩が良い点はそれが悪いことではないことです。健康な人が肩こりをほぐすためにマッサージするように、心のマッサージを行います。心が委縮して固まっていると本来持っている心のパワーを発揮できません。ことに心も身体も大きくなった思春期の子どもに向き合うためにはかなりのパワーが必要です。やみくもに力を行使するのではなく、一旦力を抜いてリラックスしてから力の焦点を合理的に探し出します。

思春期の親子関係

子どもが幼く未熟な時、親は子どものことをすべて把握し、親が責任を持ち子どもの安全を確保します。しかし思春期に入ると、子どもの可能性を信じて今まで発揮していた親のパワーを鞘に納め、保護の手を緩めます。つまり思春期の前後で親の子どもに向かう方向性が求心的な親子関係から遠心的な親子関係へ180度転換します。親は子どもの潜在能力を信じ、子どもを手放す不安に耐えます。大きな変化なので結構苦労しますが、家族システムは子どもの成長に合わせて変化できる柔軟性を備えています。
しかし親の柔軟性が低下すると子どもの自立を認められず、幼い頃のように「弱い者」として保護します。家族システムに凝りがたまり、関係を柔軟に変えることできないのです。凝りの根底にあるのは不安です。親にとって子育ては未知との遭遇であり、驚きの連続です。特に変化が激しい思春期には親の不安も大きくなりやすいものです。人は不安に駆られると、それまでのやり方を強めることで危機を乗り越えようとします。たとえば子どもに濃密に関わり母親役割を果たしてきた母親は、さらに母性を発揮して、思春期の問題を親の愛情で乗り越えようとします。それに追い打ちをかけるのが子どもを受け入れなさいと説く心理カウンセラーです。子どもが幼いうちは、親が子どもを無条件に愛し受け入れることが大切なのですが、思春期にそれをやってしまうと大人の強さを育成できず、子どもの世界にとどまってしまいます。
 一方の父親は厳しく叱咤激励することで問題を乗り越えようとします。健全な父性がうまく機能すれば、子どもは安全に傷つき自己万能感を修正できます。そのためには子どもと父親の信頼関係が成立し、母親も父親のやり方を受け入れていることが必要です。しかし、それまでの父子関係が希薄な場合や、母親が夫のやり方に納得していない場合、父性の力は無効化されてしまいます。子どもを傷つける父親から守ろうと母親は子どもを囲い込み、父親が遊離してしまいます。
 また、自己責任の感覚が芽生えていない子どもは自分の失敗を親に転嫁します。親に依存したまま「親のせいでこうなった」と責めるために親はますます自信を失い、なんとか責任を果たそうと焦ります。

弱く保護されるべき子どもから、傷つきを乗り越える大人へ:思春期の心の成長とひきこもり

ひきこもりには未熟、甘え、わがままといったマイナスのイメージがどうしても付きまといます。どのように考えたらそれを払拭できるだろうかいろいろ考えてきました。確かに彼らは未熟です。しかし幼い子どもは誰でも未熟なわけで、それが劣っているとかマイナスなわけではありません。そこからスタートして子どもの心から大人の心への移行するプロセスがスムーズにいっていない状態がひきこもりと考えます。
子どもは自分で生きる力を持っていません。親などの他者に依存して生きています。親は子どもの安全を保障し、無条件に愛そうと力を発揮します。子どもは良きものか悪しきものか判断できるほど成熟していないので、そのまま無条件に愛します。子どもはその愛を受け入れることによって自分の存在そのものが肯定され、この世に生きていくための基本的な自信と自己肯定感を得ます。それは自分の欲求が満たされる世界です。満たされない部分を修復する力を子どもは持たないので、保護者の責任と考えどうにかしてくれと訴えます。これが幼児的自己万能感、いわゆる「我が儘」の世界です。
一方、大人は自分で生きていく力を持っていることが前提です。もちろんひとりでは生きていけませんから、他者と関係を持ち生きるために必要な資源を導き出します。異質な他者と折り合うためには自己万能ではいられません。自分が100%満たされていた世界は崩れ、6割から7割程度しか満たされないことを受け入れます。他者と関わりますが、依存しません。ものごとがうまくいかないことの責任は自分が負います。自分の欲求は自分の力で満たしていくしかなく、その力も備えているはずです。
子どもが思春期にさしかかると自分の住む世界が広がり、対人関係も複雑になり、勉強も難しくなります。自分の思いどおりには事が進まず自己万能感が傷つけられます。すべてが崩れるのではなく、6-7割の自分でいることに満足できれば、傷ついてもやっていけるという自信を獲得します。子ども時代の自信は他者に守られた世界の中での自己肯定でしたが、大人としての自信は自らの力に対する自信です。
思春期は子どもの心と大人の心が混在した状態です。ある時は大人の心を発揮して強く前に進み、別のときには自信を失いまわりの人に依存します。前進と後退を何度も繰り返しながら、徐々に成長してゆきます。自信を失い学校や社会生活から一時的に撤退することもありますが、挫折しながらも何とか大人の心へ成長してゆきます。
何らかの要因によってこの変化がスムーズにいかず、挫折の悪循環が長期化した状態がひきこもりです。その背景には本人、環境、そして家族の要因が考えられます。本人の要因として何らかの発達上の障害や精神的な障害があります。認知や思考能力が十分機能しないので他者とのやり取りがうまくいかず、社会に適応できません。また、環境の要因もあります。いじめや対人関係のトラブルなど、その場に入っていくのが危険であったり、求められる要求水準が高過ぎる場合などです。