2011年8月31日水曜日

西麻布の隠れ家


今日は8月31日。夏の最後です。
先週末は月曜日まで山の温泉で家族と過ごし、昨日、仕事にカムバックしました。

休暇でリフレッシュしたでしょう??

いえ、リフレッシュが必要なほど、普段疲れていませんので、今のところ大丈夫です。

というか、仕事で消耗し、休暇で回復するというパターン自体を脱構築したいのです。私の役割は、いろいろな事情で心が消耗した人たちの回復をお手伝いすることですから、私自身がまず休暇などを使わなくとも常にリフレッシュされた状態をキープしたいと思っています。

その話はともかく、昨晩は午後9時にセミナーを終えた後、この近くで軽い夕食をとりました。前々から気になっていたお店にひとりで潜入し、今後使えそうかチェックしました。

 西麻布・広尾・六本木界隈は若い頃からそれほど頻繁ではないけど、いろいろな機会に出入りしていました。
高校生の受験勉強の頃は、まだできたばかりで綺麗だった都立中央図書館に通いました。閲覧室にある4人掛けの机は当時としては珍しく向かいの人との間に衝立がなく広く使えました。まわりの人が気になると言えば気になるのですが、私は多分隔絶されるよりは人の中にいた方が落ち着くタイプなので、結構はかどったように思います。勉強に飽きたら有栖川公園を散歩したり、帰りには麻布ナショナル・マーケットやBaskin-Robbins(日本流に言えばサーティーワン)に立ち寄り、アメリカから帰国したばかりの私はノスタルジアを満たしていました。

あるいは大学時代、六本木のロアビルにあるディスコに通ったり。もう死語になったけど、当時全盛期だったディスコがロアビルの各フロアにたくさんあり、センスあるファッションの中に筑波の田舎から加わるのはかなりドキドキ勇気がいりました。

医学部の病院実習で、敷地を広尾ガーデンヒルズに身売りする前の広かった日赤医療センターに通ったり。

妻と付き合い始めた頃、初めての誕生日ディナーを大学院生だった私としては奮発してクイーン・アリスへ行きました。今はもうなく、どこか違うところに移転したみたいですね。
大学院時代の仲間夫婦が西麻布に邸宅を構えていたので、週末に夜遅くまで入りびたり、帰りに西麻布交差点にあるHobson'sでいくつかの種類を撹拌する面白いアイスクリームを楽しんだり。

思い出をたどればきりがないのですが、私にとってこのエリアはいずれも断片的、一時的な体験で、ずっとこの地に通ったり、継続して仕事をしたりという体験はありません。銀座・新宿・渋谷みたいな大勢の人が集まる繁華街では全くなく、田園調布や成城学園みたい高級住宅地を主張するわけでもないけど、実はかなりハイソで、表通りから路地を入ればびっくりするような邸宅が潜んでいたり。アメリカや英国の大使館は皇居の隣とか虎ノ門の表通りに堂々と主張してるけど、実はこのあたり、多くの大使館があり、外国人polulationはかなり高い。しかも、表ではない路地裏ひっそり建っていたりします。
なんとなくつかみどころのない、神秘のベールに包まれた、ちょっと一般人は立ち寄りにくい、そんな印象でした。

それが、3ヶ月前からこの地に毎日通うようになり、新たな側面を発見しました。
以前から高級レストランが散在していることは、クイーンアリス体験からもわかっていたのですが、想像以上にたくさんの美味しいお店があります。しかもそれは表には見えません。ネットで調べて、昼間に行っても全くわからず、夜にもう一度行ってみると昼間通り過ぎた民家の玄関先に、お店の名前が書かれた小さな行灯が置いてあるだけで、まさかここがレストランとはわかりません。中に入ると、まさに普通の民家を改造した、せいぜい5-6名で満員になるカウンターと、サブの個室があるくらいです。土地柄、さぞかしお値段は高いだろうとビクビクしますが、そうでもない。確かにファミレスや派手な看板を掲げる居酒屋さんに比べれば高いですけど、少人数のお客さんにこれだけ美味しいものを丁寧に届けてくれることを考えれば、若いころのクイーンアリスよりはずっと割安感があります。
ネットで探すと、そんなお店がいくつも出てきます。当初はすべて踏破しようと企んでいましたが、調べてみると自分でこなせる数をはるかに超えていることがわかりました。昨晩もそんなお店のひとつで、マスターと話したら、あっと驚く芸能関係の人がしょっちゅう出入りするんだそうです。
本当の隠れ家はネットにも紹介されず。本当の有名人とか限られた人しか利用できないのでしょう。そこまではいかず、普通の人でもちょっと財布のひもを緩めれば手が届き、個別に丁寧に対応してくれる。お客たちの喧騒で会話がかき消されることはなく、逆にカウンターの人との距離が近くご同伴との会話が聞こえちゃうので、むしろ話の中に何となく入ってもらうようなat homeな雰囲気。プライバシーが守られ、干渉されることもなく、お料理の味もさることながら、じっくりそこに居ることを楽しめるようなお店。当初はイタリアンなど洋食系が多いのかと思ったら、意外と和食系が多いんですね。確かに若い人たちにはちょっと敷居が高いけど、そのことがかえって私の世代を来やすくしています。

私の研究室も、そんなイメージを目指しているのですが、、、こんなことを書いてネタをばらさない方がよいのでしょうかね。

2011年8月16日火曜日

疲れを癒す休暇

温泉で開業疲れも取れて癒されますね。

お言葉ありがとうございます。
でも、ちょっとそういう感じでもないんですね。疲れているかと言われれば、疲れてないんです。
疲れってなんでしょうね?
出たくない、興味のない会議に長い時間出席したり、
あまりやりたくない内容の授業を大教室でやらされたり、
真夏に1時間半かけて自転車通勤したり、
学生時代に土方のバイトをしたり、、、
でも、これらは微妙に疲れ方が異なります。

身体的な疲れ=肉体労働、筋肉的な疲れ
精神的な疲れ=集中力、緊張を強いられる場面、あまり乗り気がしない仕事

自転車通勤は肉体的にはヘトヘトになるけど、精神的にはぜんぜん疲れないというか、むしろ解放された気持ちになります。
精神的な疲れって、自己の主体性が失われた状態なのかもしれません。自然な欲求を抑えて、やらなければいけないことをイヤイヤする。自分の意思ではない、他者から与えられた意思に従う。そううのはとても疲れます。

あと、心配するときも疲れますね。
心配=否定的な帰結を予測するときの不快な感情
考えてみれば、今はそういうのがないんですよ。
勤め人(組織の中の人間)ではなくなったので、人からあーしろ、こーしろと言われません。
自分でやるべきことを切り開くわけで、基本的に自分がやりたい事のみを選択して実行するようにしています。

じっくり、ゆっくりカウンセリング。
私にとってのカウンセリングは、いろいろな意味で、精神的な疲れが極値の人たちとじっくり深く話し合い、彼らが主体性を回復して疲れをとれるようにお手伝いしている作業です。それが私の意図したようにうまくいかないと疲れますが、うまくいけば達成感、相手の疲れが取れることで、自分の疲れも取れます(一石二鳥)。

心配は?
まだ開業まもなく採算が取れていない状況だから、今後の見通しに対する心配のタネはいくらでもあります。
でも開き直れば、起業3ヶ月で採算ラインに乗るはずないでしょ!損益分岐点はまだもうしばらく先の話。そう考えれば、これも疲れにはなりません。

と、考えれば、わざわざ休暇も必要ないのかもしれません。少なくとも、疲れを癒すという意味での休暇は。

2011年8月12日金曜日

ストレス解消法

みなさんのストレス解消法は何ですか?
サッカー日本代表の長谷部誠は心を鎮める就寝前の30分、部屋の整理整頓、お気に入りの一流時計、ひとり温泉、尊敬できる友人との会話、読書と読書ノート、お香とアロマオイル、ミスチルの音楽などを挙げています。
人によってさまざまな方法があります。
自分にとってしっくりくるやり方(レパートリー)を意識して揃えているとよいでしょう。
私のストレス解消法をご紹介します。
  • 人と交わること。特に昔の友達が良いです。家族や今関わっている仕事仲間なども良いのですが、現在進行形の関係は時に交わること自体がストレスになります。会ってもそれほどたくさんおしゃべりするわけでもありません。一緒に居ること自体が癒されます。
  • 書くこと。短い文章を書き、誰かに読んでもらうことです。誰にも読まれない日記は、私には向いていません。ブログやこのメールマガジンくらいの量と内容がちょうど良いです。本や学術論文のようにしっかり長いものは、逆に書くことがストレスになります。
  • 身体を動かすこと。小さいころ父親とよくスキーに行き、今でも毎年上信越や北海道へスキーに行きます。学生時代は柔道部(中学)、山岳部(高校)、アメリカンフットボール部(大学)とバリバリの体育会系でした。といっても運動神経が良いわけでは決してありません。野球・ゴルフ・ボーリングなどは情けなくなるほど下手です。それでも、身体を動かすこと自体が好きで、社会人になってからもテニス、ゴルフ、サイクリングなどを楽しんできました。精神的な疲労を、へとへとになるまで身体を動かして筋肉疲労に変換します。そして風呂に入り、ビールを飲み、ぐっすり眠って取り除きます。こう書くと、いかにも健康的に聞こえますね。
  • 音楽も若いころはレパートリーのひとつでした。ロックやジャズなどお気に入りの音楽を聴いたり、ギターやピアノを演奏したり、カラオケで思いっきり歌っていました。しかし、40歳を超えてからは音楽への感性が鈍ってきたように思います。と言いつつ、昨晩は若い仲間と久々にカラオケを楽しんできました。
  • 温泉は多くの日本人にとって絶好のストレス解消でしょう。父親の実家が群馬県の四万温泉なので、子どもの頃の帰省先は温泉旅館でした。しかし、当の父親はお風呂が嫌いです。イギリス人やアメリカ人は、温かい温泉があってもそこに浸かってリラックスするという習慣が薄いようです。
他人のストレス解消方法が自分にも当てはまるわけではありません。
エネルギーが外に向うタイプの人は、人と交わることがストレス解消になり、ひとりきりでいることがストレスになります。
逆に、エネルギーが内に向うタイプの人は、ひとりでいることがストレス解消になり、人と交わることがストレスになります。

私はエネルギーがソトに向くタイプです。ひとりでのんびり昼寝をしたり、家をきれいに掃除したり、好きな本や音楽をじっくり楽しめたらどんなに良いだろうと頭では思うのですが、私には至難の業です。気がついたらチョコチョコ動いて人との触れ合いを求めています。

もう一段深いストレス解消法=言語化

人の心は圧力鍋のようなものです。いろいろなストレスが溜まっても、ある程度の圧力までは持ちこたえ、鍋から降ろせば自然に冷めて圧も下がります。しかし、ある限度を超えると思わぬ形で爆発してしまいます。
  • 感情化⇒いわゆる「うつ」の状態です。やる気が低下し、仕事や勉強が手につかなくなります。食欲もなくなり、自信を失いマイナス思考になります。その結果、仕事や家事、勉強などが手につかず、生活に支障をきたします。
  • 身体化⇒ストレスが原因で身体にさまざまな不調が現れます。たとえば、息苦しくなり胸がドキドキしたり、腹痛・頭痛・腰痛、吐き気や胃のムカムカ、身体のしびれやほてり感、皮膚のかゆみやじんま疹、ぬけ毛などです。これらはまとめて「心身症」と呼ばれます。
  • 行動化⇒好ましくない行動が現れます。たとえば暴力、セクハラ・パワハラ、アルコール・ギャンブル・買い物・インターネットなどへの依存(つまり限度を超えても止められなくなること)などです。本人が意図してやっているわけですから責められるべきですが、その背後にはストレスが隠されていたりします。攻撃性が自分自身に向かうと自傷行為や自殺さえ起りえます。
これらは未然に防止しなければなりません。ヤバいなと本人が気づいたら、自分に合ったストレス解消を活用します。でも、ストレスの圧力が高すぎると、それだけではうまくいきません。

その時に有効なのが言語化という方法です。精神的ストレスの元となっている体験や気持ちを安全なカタチで表現します。その気持ちを突き詰めてゆくと怒り・悲しみ・不安・恐怖・自己嫌悪・自信のなさなどの否定的な気持ちが見えてきますから、あまり正面切って考えたくありません。普通はだれにも言わず、心の中で封印されています。封印されていないふつうの記憶は時と共に忘却していきますが、封印された記憶はいつまでも残り、消えることがありません。

封印を解き、表出する作業はとても大変です。日記を書くなどひとりの作業も不可能ではありませんが、できれば受け止めてくれる他者がいた方がよいでしょう。その人はちゃんとわかってくれるけど、批判したり秘密を洩らさず、その人自身がショックを受けません。信頼できる友人が良いでしょう。家族など近すぎる人は話を聞いてショックを受けます。心の専門家は、その役目を果たせるようにトレーニングされています。

封印された記憶は、自分の主観性の中に留まっています。触れてはいけない恥の部分(マイナスの部分)です。その部分が大きいと、自己を肯定することができません。
封印を解き表出しようとすれば、大きな痛みを伴います。倒れそうになったら横で受け止めてくれる人が必要です。勇気をもって表出された記憶は主観の世界から客体の世界へ解き放たれます。自分だけが隠し持っている特殊な事情ではなく、他の人でも理解できるコトバを付与された普遍的な事情に変換されます。恥(マイナス)の体験であっても、他者に受け止められる体験はすごく肯定的です。

この方法は手軽ではありませんが、本当の意味で長年溜まった精神的ストレスを深いレベルから解放できます。それを支援する心の専門家には高いレベルの技量が必要とされます