2011年2月18日金曜日

知り合いのクライエント

今日、診療していて患者さんの中に私の個人的な知り合いや関係者が多いことに改めて気づきました。私の仕事関係やプライベートな友人・知人から紹介してもらった人もいますが、むしろ私の直接の友人・知人が多いですね。
カウンセリングの常識としては、自分の友人・知人はクライエントには適していません。既に個人的な関係がある人とは、新たにプロのカウンセラーとの客観的な信頼関係を築くことが困難であり、また患者さんになることが、それまでの知人としての関係を変化させてしまうからです。
そのような鉄則を知ったうえで、結構、私は引き受けています。さすがに、普段の仕事やプライベートの生活の中で直接関係する人はいません。昔の学生時代の友人で、今はせいぜい年賀状か、数年に一度会う程度の友人であったり、職場は同じで名前と顔くらいは知っているけど、直接一緒に仕事はしていない人などです。

なぜ、こんなに多いのか考えてみました。
第一に、それだけ心の問題は一般的であり、みんな大っぴらには言わないけど想像以上に多くの人が問題を抱えているということ。たまたま身近にそういうことを引き受ける知り合いがいたために相談してるのでしょう。
第二に、心の問題を第三者の専門家に相談するということが、まだ文化的・社会的に一般的ではないということです。ある昔の友人と同窓会で久しぶりに会い、子どものことを相談してきました。お父さんとの関係、お母さんとの関係が微妙に影響しているので、ご夫婦でどうぞと来院を進めました。彼は私の知り合いなので、相談することに始めから乗り気で違和感はなかったのですが、奥さんの方は夫に連れて来られたものの、今カウンセリングに対して違和感があり、「私、カウンセリングは初めてなので、どういうことを話したらよいのかわかりません。」という感じでした。もし彼女だけだったら、多分一回でカウンセリングは終わっていたと思います。でも、彼の方が乗り気だったので何度か来るうちに、だんだんカウンセリングがどういうものか理解するようになり、今では彼は仕事で忙しくてあまり来れず、そのかわり彼女がお子さんを連れて熱心に通ってくるようになりました。はじめはあまりご自身の内面を語りませんでしたが、今では、子どものことについて、家族の悩み、そして自分自身の心の葛藤などいろいろ話してくれるようになりました。

我々は歯医者がどういうものか十分理解しているし、身近にありますから、歯が痛くなったらすぐに歯医者に行きます。しかし精神科医やカウンセラーは社会的な偏見にこばまれ、気持ちの上で我々の身近にはいません。「こころが痛い」からといって、歯医者のように気軽に精神科医のところには来ません。そのことが、一般の人が精神科医に来ることの敷居を高くしているし、やっと意を決して来院してもなかなか継続した治療ができない理由のようです。その結果、必要としていても安定した治療関係までに至らずに中断し、もともと関係があった知り合いのクライエントが残るので、見かけ上、知り合い関係の患者さんが多くなってしまうのではないかと考えました。

心の問題は一般的なのに、それを専門家に相談することが一般的でない。専門家の立場からは、悲しい矛盾です。

2011年2月9日水曜日

がんばらない生き方

日曜日にメールで仕事をしていた。のらりくらり、いい加減に。
そしたら、仕事のパートナーに叱られてしまった。

先生、もっとマジメに仕事してください!

いや、不マジメのつもりじゃないんですけど。脱力モードで仕事してるんですよ。

職場へ向かう電車の中で、ノートにこれを書いている。
今まで原稿を書いていたんだけど、止めちゃった。

根底に悲壮感、不安感が漂っていると、がんばらないといけない。
Try your best!
ベストを目指す生き方。
大学生の頃、体育会のアメフト部でがんばっていた。
リーグ優勝!
甲子園ボウル出場!
到達できそうもない高い目標を掲げ、そこに向けて頑張る。
達成できてしまうような目標では低すぎる。達成できないからこそ、そこに至ろうとして最大限に伸びることができる。
オリンピックの金メダルは○こが目標です。
打倒、東大!

ひきこもりの本人も家族も、大きな不安と悲壮感を抱え、機能しない解決策を強迫的に繰り返している。
ホッとして良いんだよ。そのためには安心感が必要だ。
「先生」まで悲壮感を漂わせていたら、みんなも同じようになっちゃうでしょ!
今のあなたで良いんだよ。
完璧を目指す必要はない。
今のままでも、十分やっていけるはずだよ!
無理に変える必要はないんだ。
オリンピックで金メダルをとらなくたって良い。ノーベル賞を取らなくても良いんだ。

2011年2月2日水曜日

物件探しと会場選び

ダメだ。勝手にimmaginationが転回してしまう。
会場選びに奔走したのは今回が初めてではない。
20数年前の結婚式場えらびに、3年前の学会の会場えらび。
場所選びから始めて、そこにひとつずつ順に積み上げてゆき、ひとつのプロジェクトを完成させるプロセスは、とても大変だけど、やりがいはある。
ただ困ったことに、頭の中にこびり付いて離れなくなっちゃうんだよなあ。

物件探しとカウンセリング

私の場合、いったん思い込むと熱くなるというか、そのことばかり頭の中で想像を膨らませ、他のことが手につかなくなる。今日は、昨日の物件をイメージして、まだ決めていないのに勝手に部屋のレイアウトをああでもない、こうでもないと思いめぐらせている。その結果、仕事が手につかなくなる。
それでいて、結論を出すことができない。ホントにこれでいいの?他の選択肢を閉ざすことができない。一方で熱くなり、もう一方で進むことができない苦しい状況に陥る。

私のカウンセリングも同じようなやり方なのかもしれない。
始めに得られた情報によるアセスメントは、あくまで仮のもの。何度かお会いし、信頼関係とともに、話の内容が深まり、それまでは語られなかった新たな情報が出てくる。すると、新たなアセスメントが生まれる。
それを、何度か繰り返している。それでは、治療方針が決まらないじゃない!
そうなんですよ。クライエントとああでもない、こうでもないといろいろ会話を膨らませている(その膨らませ方が企業秘密なんですけど)。すると、いつか、解決策が天から降臨してくるんです。
カウンセラーの口から降りてくるわけじゃない。私からこうですよ、ああですよとアドバイスするまでもなく、クライエント自身が勝手に降ろしてくるというか。
「ああ、そうなんですね。こうすればいいんですね!」という気づきレベル(認知レベル)はむしろ少なく、意識的にはぜんぜん変わっていないのに、「お父さん、なんだかずいぶん変わりましたねえ!」「えっ、そうですか!?」という行動レベル・関係性レベルでの変化が多い。
この場合のカウンセラーの役割は、難産を支える助産師さんのようなもの。人は、イヤなこと、答えが見つからないことに対して気持ちを閉ざし、深く考えることをやめてしまう。それを持ちこたえ、考えを押し広げられるだけ十分に熱くなるためには、第三者の支えが必要になる。

2011年2月1日火曜日

物件探し(決めていいのか)

物件探しも4日目、今日7ヶ所見て、全部で22ヶ所。
これだけたくさん見て、甲乙つけがたいわけではなく、ひとつ良さそうなところは見つかったんだ。
他の21ヶ所と比べれば、この物件が良い。
まわりの環境も良い。交通の便もよく、騒がしくはなく、街のイメージも良い。
窓は南向きに広くあり、眺めも良い。
ビルも新しく、トイレと給湯室もうまくできている。
広さが今ひとつ。もう一回り大きければ良いのだが。でも何とかなる広さではあるのだろう。
特に気になる点があるわけではない。条件は良い。
これしか選択肢がないのなら、躊躇せずここに決めるだろう。
しかし、他にもっと良い物件が存在しないと言えるのか?
前回まで見て回った時点では、別のある物件を気に入り、そこに決めても良いと思っていた。今日がなければ、そこにしていただろう。
ということは、さらに5日目、6日目ともっとたくさん見て回ったら、今以上の物件が出てくる可能性はあるわけだよな。となると、決心できない。これだけ広い都内の物件をすべて見ることは不可能だ。

今の段階では、とても気に入っているのだけどなあ。
ここに決めちゃって良いのだろうか。

明日、不動産屋に電話するべきか。
もう一度、別の時間帯に見に行ってみるか。