2011年12月18日日曜日

グループワークの愉しさ(2)

どうもグループワークをファシリテートした後は、私の感性が活性化されるようだ。
夜中に、目が覚めて、昨日のグループワークの様々なシーンがflashbackしてきた。同じようなことは11月のMBTIワークショップの晩も起こった。グループの人々がしゃべった内容はほとんど気にしていない。しかしグループ・ダイナミックスに細心の注意を払っている。たとえば参加者Aの言葉が全体にどう影響を与え、BとCの関係性はどうで、ファシリテータはどの関係性に注目して、どう変化させようとするのか、そのためには、誰に向かってどのような働きかけ、それも言葉の内容というよりはどのような非言語を用いてどういう感覚を伝えるかというように。
このように、全体を見回し、相互作用の感覚(いわばKYの「空気」のようなもの)をキャッチして、グループダイナミクスを進めていくセンサーがいったん活性化されると、その晩までリセットされずに残ってしまうみたい。私自身、そのようなプロセスは楽しく、昨日もグループワークがうまくいった満足感があるので、このあたりがきっと私の得意分野なのだろう。

と同時に、このあたりがグループのファシリテーションの一番むずかしい部分だ。
昨日は、ひきこもりの親グループを運営(ファシリテート)する研修会。参加者は、行政・民間のひきこもり支援機関のスタッフたち12-3名。
参加者の多くは、ひきこもり本人の関わりより、親との関わりに苦労している。
さらに、親の個人面接より、親グループの集団面接(グループワーク)に苦労する。
今回、強調したポイントは次の3つにまとめられるかもしれない。

1)準備体操をしっかり。
緊張をほぐし、リラックスして言いたいことを言い合える雰囲気・信頼関係づくりが重要。これが不十分だとグループの流れがうまくいかない。そのために、まずファシリテータが十分にリラックスる。そして、緊張をほぐし、関係性を樹立するための工夫やワークなどを紹介した。

2)参加者相互の交流を促す。
当事者性と支援者性の相互互換性について強調した。
支援者(ファシリテータ)だって当事者性を持っている。そのことを十分に言語化・意識化することが大切。
と同時に、当事者(参加する親ごさんんたちとか)が隠れ持っている支援者性を発掘することで、エンパワーされる。そのための相互交流をどううまくファシリテートするか。

3)がんばりすぎない。
ロールプレイをやってみて、みなさん一生懸命がんばっている。ファシリテータががんばってたくさんしゃべるほど、参加者たちのしゃべる機会は少なくなる。ファシリテータは感覚をフルに使って全体のグループ・ダイナミクスを把握する。しかし、あまりしゃべらない。うまいタイミングで参加者たちに発言・参加をやさしく促し、結果的には、参加者のしゃべっている時間がほとんどで、ファシリテータのしゃべっていた時間はごくわずかというのが良い。理性や言葉はあまり使わず、感性と非言語をフルに活用する。

このあたりが、ファシリテーションの勘所なんですね。私も今回、研修としてのグループワークをファシリテートしてみて、そのことに気づきました。

2011年12月2日金曜日

やりがいのある面接

今日は、開院以来はじめて4コマの面接時間帯がすべて埋まった。
4人(家族)連続して面接。
とても疲れました。でもそれは心地よい疲労感。
どれも、ある意味たいへんな、問題解決の道筋は並大抵ではない方ばかり。
もし短時間の面接で、薬を処方するだけの治療なら不全感(ストレス)がかなり残ったでしょう。
これが私が本当にやりたかった心の支援のカタチです。丁寧に、じっくり向き合ってお話を十分に掘り下げてゆきます。人が生きる苦悩と幸せは、並大抵ではない。「疾患」、つまり脳代謝の異常とラベルして、薬物で治そうとしてもうまくはいきません。
日常会話では避けて通るべき、傷つきやすさの根底にある原体験に伴う深い感情(悲しみ、不安、恐怖、自責、自信喪失)に迫り、根底からエンパワーしていく。安全な環境を造り、そこまで深く迫ることはとても消耗します。でも、そこにやりがいを感じます。

2011年11月30日水曜日

いのちの電話の講演

一昨日は、お忙しいなかご講演をいただき有難うございました。
アンケートでも、
「理屈で話すのではなく、心で話をしたいという先生の言葉に共感した」
「事例を具体的にお話いただきわかりやすかったです」
「個人的な気持ちも話していただきありがとうございました」
「先生も大変な中お疲れ様です。ありがとうございます」
「実体験を通してのお話は理解しやすかった」
「後半の、質問のところがわかりやすかった」
など、具体的でわかりやすかったという感想が多かったです。

講演に来ていただいてありがとうございました。
ふつう講演といえばどうしても理屈(理性)の話になってしまいますが、気持ち(感性)の話をみなさんに伝えることができて嬉しいです。
心の問題は理性ではなく感性(=こころ)なわけですよね。それを支援しようとする我々も、理屈を振りかざすのではなく、どう感性に迫ることが出来るかということが大切です。それをどうやったら伝えられるか、私なりに工夫してみました。
原理原則や一般論の話ではダメなんですよ。主観的、体験的な話になります。私が体験した震災支援の話、患者さんの具体的な話(プライバシーを守りつつ)、あるいは自分自身の感情体験を語ることになります。私自身、話しながら心が痛むんですけどね。でもその痛みを聴いてくれるみなさんに放出してコリをほぐしてもらうみたいな効果もあって、私も実は得しちゃっているんです。

カウンセリングでも同様なんです。
いかにして、心(感性)に迫ることが出来るか。グループカウンセリングでは、私自身の体験も語りますが、個別のカウンセリングでは語りません。
では、どうやって迫るか?
こればかりは理屈で文字に書き起こして説明できないんですよ。
実際に体験してもらうしかありません。
(でも、何とかして本に書き起こしたいですねぇ。そうなるとどうしても私自身のナラティヴということになるのかもしれません。)

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(主催者の方が、機関誌のために講演要旨をまとめてくれました)


 社会福祉法人浜松いのちの電話
 開局25周年記念 2011年度浜松いのちの電話公開講座
「支え合ういのち」
  ~今、私たちにできること~
精神科医・東京いのちの電話理事   田村 毅氏

☆ 2011年11月27日(日)、静岡新聞社プレスタワー17階ホールで、開局25周年記念「浜松いのちの電話」公開講座が開催されました。講座は1部の講演と2部の質疑に分かれて行われ、参加者は田村氏の話に熱心に耳を傾けました。

震災直後、被災地で心のケアをした。娘からなぜ被災地へ行ったのかと聞かれ、「救いを求めている人がいる、そこで自分に出来ることがあるのではないか。」と答えた。いのちの電話相談員も、なぜいのちの電話の活動しているのかを見つめてみるのも大切なのではないだろうか。
いのちの電話は1953年、チャッド・バラがイギリスで始めた。一人の少女の自殺がきっかけであった。相談者が多くなり、ボランティアと共に活動するうち、相談の待ち時間に、ボランティアと話すことで気持ちが軽くなる人がいることに気付いた。このことが、ボランティアによる電話相談につながった。
では、いのちの電話で何が出来るのか。日本では、1971年にルツ・ヘットカンプ氏が、東京で開始した。その特徴は、①専門家でない市民ボランティアによること、②相談者も相談員も匿名(名前を明かさない)であること、③2年近いしっかりした研修を行うこと、である。心の苦しさを、薬物や専門知識に依らず、心をつかって癒していくのである。
人々は、なぜ自殺するのか。様々な理由があるだろうが、根本には絶望感や孤独がある。絶望とは、生きていることが、あまりに苦しい、生きている意味がないということ。孤独とは愛する他者から切り離される、愛する他者がいないということだ。
この苦しみを癒すには、辛い、苦しい、心がザワザワする、というような、自分でもよく分からない気持ちを、「哀しい・怖い・不安・寂しい」というよく分かる気持ちとして表現できるようにしていく。これなら、解決できる。
では、悲しみとは何か。それは、大切なことを失うことだ。不安とは、大切なものを失うかもしれないという未来予想だ。そして、自分の希望がなくなることだ。孤独とは、大切なものがなくなった、独りぼっちの状態といえる。
自分は2年半前に突然妻と死別し、とてつもない悲しみを体験した。このように、人は誰でもマイナスの気持ちをもっている。これを表現するのは辛いことだ。そこで、悲しみなどを囲み、おできのような状態にする。しかし、さわると痛い。その痛みが怒りに変わる。怒りの背後には、このような気持ちが潜んでいる。そのおできが大きくなると、何もしなくても辛い。そこで、自分の気持ちをシャットアウトしてしまう。すると、プラスの気持ちを含めて心全体が動かなくなり(うつ状態)、非常に辛くなる。
いのちの電話は、心をつかって安全にそっと、この悲しみや不安、寂しい、怖い、という気持ちを外に出していく。受け止める他者による傾聴・受容・共感によって、おできの膿を出していくと、プラスの気持ちを使えるようになり、自分自身で前向きになっていける。
電話をかけてくる相談者は、心の中に哀しみを抱えている。その感情を受け止め、受け止めた気持ちを返していく。それが相手の悲しみに向き合うことだ。
こうした相談するには、あえて自分の哀しみに向き合う必要がある。普段隠している問題が吹き出す危険もあり困難であるが大切だ。
いのちの電話が行っているビフレンディングとは隣人となることで、カウンセリングや薬物療法とは違い、自分自身の心をつかって相手と向き合う。どの方法がいいということではないが、これは医師やカウンセラーには出来ない。
支え合ういのち。人を癒しながら、自分を癒していく。この社会は、支え合い癒し合う共同体である。いのちの電話の活動は、家族など親しい人への愛とはまた違う、隣人愛というもので、人と関わりたい、助けたいという思いが、苦しむ人々のいのちを支える。いのちの電話はそういう活動をしている。

2011年11月26日土曜日

FacebookとMacBook

ここの所すごくお忙しそうですね!やっぱり忙しいのはいいですね!



そうですか?
そう見えますか?
忙しいのは前からで、特に変化はないのですけど。
患者さまは徐々に増えてきているものの、ひっきりなしで忙しいというわけではありません。
どうしてそう見えるかというと、多分、Facebookで私の様子が可視化されちゃったからじゃないでしょうかね。
そうなんですよ。この1週間ほどFacebookにはまっちゃって(笑)!
いえ、FB自体は半年くらい前から登録してはいたのですけど、ほぼほったらかし状態でした。でも、勝手にPCのアドレスを拾ってきて何となく「友達」は結構いたことはいました。
で、最近、なんとなく(ほんとに何となく)投稿してみたら、反応がすごいんですね。「いいね!」の反応がすぐにあったり、英語でちょっと書いたら海外の友人からすぐにチャットが来たり。なんかFBのパワーってすごいなと改めて感じました。それで、友達をつなげて増やしていって、現実の接点がある人だけでも300人を超しちゃったんですよ。ツイッターでもそれくらいはフォローしてくれているんだけど、なんかinteractive性が高いというか。このブログだってたくさんの人が読んでくださるとは思うのだけど、コメントがあるわけでもなく、一方向的でしょ。FBはなんかそこが違うんですよね。でも、こんな風に長い文章をダラダラ書くところでもなさそうなので、書きたいときはこっちを使ってます。FBを使った経営戦略本なんかも読んでみたりして、私の研究室の広報に使えないかなと思って。月例研究会の様子なんかもアップできそうだし、私の普段の講演や講座の情報もアップするもんだから、けっこう忙しく見えるのだと思います。


あともう一つは、これもITがらみなんだけど、MacBook AirとiPhoneの新バージョンをゲットしました。別にスティーブ・メモリアルというわけじゃあないんだけど、先日、広尾の中央図書館をふらっと訪ねたら、閲覧室でMacBookを使ってる人が多かったんですよ。それ以外でもいろんな友人・知人が使ってたりして。そうすると、すぐに欲しくなってしまうんですよね。私はもともとClassic Ⅱなんか出た15年くらい前まではMac派でした。その後ずっとWindowsに転向しちゃったんだけど、なんとなくMacの方がおしゃれかなと思ったりして。
再びMacを使ってみて、前ほどMac/Windowsのギャップは感じないですね。なら、なぜMac使うの?見栄で使ってるわけ?多分、もう少し使い込めば、Mac独特の使いよさが見えてくるのだろうけど、まだそこまで達してません。
それに、iPhoneも新しくしたものだから、インストールしたり、新しい機能を試してみたり。
そんなあたりが、私自身の中では忙しく感じる要因かなと思います。


まずい!明日、図書館に本を返さないと!

2011年11月22日火曜日

Proactive Parenting

弱く幼い子どもの面と、一人前に強がる大人の面が錯綜する思春期の子育ては難しい。

強く言うとイジケてしまうので強く怒れないんです。落ち込んで、布団をかぶって寝てしまうから。それ以上言うと、落ち込むのが怖いのであまり言えません。だから、なるべく言わないようにしています。
厳しくした方がよいのですか、それとも子どもの自主性に任せてあまり言わず、放っておいた方が良いのでしょうか。でも、親の他には言う人がいないし。
子どもに注意しようとすると、つい感情が入ってしまい、淡々と話すことができません。

子どもは理想ばかり言って、現実をみようとしません。
子)親は私の言うことを聞いてくれればいいんだよ。私は間違っていないから。
子どもを叱ったらカンカンに怒って、壁に穴をあけ、本をビリビリに破いたんです。
子)お母さんが約束を破ったからだ。母)そんな約束した覚えはないけど。
振り返れば子どもがまだ小さい頃、自分でできることもお膳立てして親が手を出してしまいました。その頃は、子どものことを考える余裕がなかったんです。今から振り返れば、可哀そうだったという気持ちが残っています。

子どもが持つ大人的な強い側面に対しては、子どもの持つ力を信頼し、口を出さずに黙って見守る。

まだ子ども的な、自信がなく、弱い面に対しては元気と力を与えてあげる。
弱いゆえに傷ついた部分を癒し、守ってあげる。しかし、守るだけでは前に進まない。
弱さを乗り越え強くなりたいけど、まだその力を持ちえない部分に対して、親は力を与えげあげる。
「君はできるはずだ。がんばってごらん!」
力と自信を持っているはずだという前提で、子どもに働きかける。
カウンセリングの世界では一般に「がんばれ」は禁句とされている。それは弱さに注目した場合の対応だ。
「そんなことでは甘いんだよ!」厳しさを乗り越える体験は強さに結びつく。ただし、その根底に強い信頼関係ができていることが必要だ。それがなければ暴力にすぎず、子どもは傷ついてしまう。

このようなproactive parentingを親が遂行するためには、親自身が力と自信を持っていなければならない。子どものマイナス面に目を向け心配するだけではなく、プラス面に目を向け、あぶなっかしいし子どもを信頼する力。
子どもを放すこと、子どもに任せることは勇気がいる。
いじめられないだろうか、傷つかないだろうか、遅れはしないだろうか、失敗しないだろうか、、、。
心配が先に立つと、大胆に子どもを放すことは危険だから、守りの体制に入ってしまう。それでは、子どもは成長することができず、幼い子どものままでいる。

そして、子どものプラス面を見つけ出し、肯定的に評価する。
「そうか、良かったじゃない!」
「それは良いよ!」
でも、うちの子は何も良いところがないんです、という親がいる。
本当に?
完璧に100%の人はいないし、全くダメの0%の人もいない。だれでも、プラスとマイナスが何割:何割かという話だから。
どんな人にも良い面がある。それを見つけ出せるか否かは、見出す人のプラス・マイナス面と相関している。
ではお母さん、お父さん、あなた自身の良いところはどこですか?
その部分は、子どもに受け継がれていますか?
結局、力と自信を子どもに与えるためには、親自身が力と自信を持っていなくてはならない。あるいは、どこかからかき集めてきても良い。

2011年11月20日日曜日

優しい先生

先日、〇さんが先生のクリニックに相談に行ったと聞きました。
〇さんとは先日ひさしぶりに会い、いろんな話が出て田村先生のクリニックを紹介するという経緯になりました。
〇さんは「すごくすごくしゃべりまくったから、田村先生にどん引きされたらどうしよう・・」って気にしていたので、「そんなことはないよ~。田村先生は優しい、いい先生だから大丈夫だよ、と伝えました。」

確かにたくさんしゃべっていましたけど、どん引きしませんから大丈夫(笑)。
優しさは、精神科医やカウンセラーの基本です。
お医者さんの中には患者を怒ったり、叱ったり、ずいぶん怖い先生もいますからね。確かにちゃんと病気を治すためには先生からの指示を厳しく伝えることも必要かもしれません。しかし、精神科の場合には論外です。
心の治療のために、セラピストが心がける一番大切なことは信頼関係です。この先生は話を聞いてくれる、理解してくれているという安全・安心感をまず注意深く樹立します。そこからカウンセリングがスタートします。

でも優しさって何でしょう?
何でも聞いてくれ、わかってくれる先生。
つまり、クライエントの語ることを理解し、その背後にある気持ちを共感することです。
しかし、ここで注意しなければならないのは、クライエントの言いなりになることではありません。たとえば、
・リストカットをしてしまう
・お酒を飲み過ぎてしまう
・家族にイライラをぶつけてしまう
・子どもを注意できず、過保護になってしまう
などなど、明らかに好ましくないことに対して、「それは良くないからやめなさい」と直裁には言いません。
かといって、それらを認めるわけでもありません。
そこにはそうせざるをえない、あるいはどうしてもそうなってしまう経緯があるはずです。ご本人も好きこのんでやっているわけではないのでしょう。そのあたりの事情や気持ちを丁寧に伺います。すると、当初はいかにも「好ましくない」と思っていたことでも、「なるほど、そういうことだったのですね」と腑に落ちることがある。そうやって、まずクライエントの深い気持ちに降りてゆきます。そこからスタートして今後どうしたら良いのか、解決策を一緒に探ります。

その作業は、想像以上に厳しいものです。それをやり遂げるために、クライエントとセラピストの間の信頼関係を築くことを心がけます。それは、クライエントにとって優しさと受け止められるでしょう。
しかし、それは同時に厳しいものでもあります。

2011年11月17日木曜日

タム研オンライン

> 昨晩のグループワークは8人が集まり、、、、
> その内容は、参加者のひとりがFacebookに丁寧にまとめてくれている。

これ、うまく使えないかなと思案中。
タム研online versionの構想は、サイト開設当初からあったんですよ。
私はネットを使った心の支援活動もいろいろなところでやっていて、対面による支援と、オンラインによる支援の特徴を踏まえ、両者をうまくmedia mixすると効果が高くなります。
たとえば、研究会で話し合ったことの続きをオンラインでやれば、参加者のみなさんはより深めることが出来るし、私も伝えたいことを話し言葉だけでなく、文字に書き起こしてより明確化できます。(それを集めて本を書ける?)
あるいは、私の講演を聴きに来てくれた人や、クライエントとして面接にいらした方々にも参加してもらい、プライベートなことは書けないけど、いろんな疑問などをお互いにシェアして私の方からも可能な範囲でお答えするとか。
それをウェブ上で公開すれば、タム研の広報にもなる。
読めるのは誰でも。
書き込めるのは研究会や講演会に参加した人など、限定する。というのが良いのかな?
どうやって作ろうかな。
ブログでそういうことまでできるんだろうか。
それとも、個人的にそういうSNS的サイトを作れるキットとかあるんだろうか。
あるいは、mixiとかFacebook上にそういう場所を作れるんだろうか。
やっぱりウェブデザイナーの村上さんに作り込んでもらうのが良いのか。
いいアイデアあったら教えてください!

2011年11月16日水曜日

グループワークの愉しさ

昨晩見た夢。
母方祖父の臨終の床に親戚一同が集まる。祖父はどんどん小さくなっていく(祖父はもう30年ほど前に亡くなったのになぁ??)。伯父伯母たちもたくさんいたけど、何よりもいとこたちが集まったのがうれしかった。子ども時代に帰省して一緒に遊んだノスタルジーでいっぱい。みんな大人になり、再会に感動して泣きはじめる。
すると突然いとこの一人が、みんなでCC(ケースカンファランス)やろうと言い出した(このあたりが現在の仕事と混同している)。

なぜこんな夢を見たんだろう?
きっと、昨晩のグループワーク(心の支援者向け研究会)と先週のMBTIのワークショップのせいだ。

昨晩のグループワークは8人が集まり、活発に話し合った。いつも来てくれる人たちに加え、20年前に卒業した教え子も初参加した。その内容は、参加者のひとりがFacebookに丁寧にまとめてくれている。

先週は二日かけて群馬のリゾートホテルである外資系企業の社員研修を行った。MBTIを用いたグループワーク。事前に各メンバーのタイプを調べ、1時間ほどの個人セッションを行ってから、計7時間のワークに臨んだ。
一日目のワークが終わった晩も昨夜と同様に夜中に目が覚めてしまい、翌日みんなとどんなワークをやろうかとイメージがたくさん浮かんできて寝つけなくなった。グループワークをやった後は、私自身の想像力が旺盛になるみたい。

私のMBTIのタイプは思いっきりENFP。
つまり、人と関わることが好きで、そこからエネルギーを得て、
今起こっている事実より、将来のイメージが先行する。
理性より感性で判断し、相手の気持ちを大切にする。
あらかじめ準備するというよりは、臨機応変に行動する。

だから、カウンセリングで人の心に触れるのが好きだし、個人カウンセリングよりは家族、さらにはグループでの援助活動を好み、ドライブがかかるようだ。
参加者からも良かった、ためになったと肯定的な反応を頂いたが、それ以上に私自身が参加者との交流を楽しんでいることがよくわかった。

2011年11月13日日曜日

思春期の親子:親のエンジン・子のエンジン

先日、ある小学校で講演した際のPTAのお母さんからのメールを紹介します。

先日は、ご多忙のところご講演を頂き誠にありがとうございました。無事、大好評のうちに講演を終えることが出来、感謝申し上げます。
実は、私は今まではこのような講演には参加したことがなかったのですが本当に先生に来て頂いてよかったです。参加者から先生の講話が今までで一番良かった!という常連の方の感想も見受けられました。私も我が子の成長には日々忍耐と疑問・葛藤の連続です。皆様と同じような悩みを共有し、先生のアドバイスを伺って、とても心強くなりました。私のような母親には、というよりも、思春期前の子供を育てる全ての親に聞いて頂きたい内容でした。
帰宅後、さっそく「待つ」を実行してみました。相変わらず、子供は好きなようにやっていましたが、数時間後、私の顔色を覗ってなのか自ら行動し始めました。ただ、この場合は、私の無言の圧力を察知して行動したので、自分のエンジンを使ったとは全く言えないのですが、私も少しずつ先生に言われたことを実行してみようと思っております。

この講演会で使ったスライドをウェブサイトにアップしたいと思います。
「待つ」についてだけ簡単に解説すれば、思春期はやる気(原動力)親のエンジンから子どものエンジンに付け替える時期。親のエンジンを使っていたら、子どもは自分のエンジンを試すことができない。子ども自身のエンジンを始動させるためには親のエンジンを切り、子どものエンジンが始動するまで待たなくてはならない。まだ調子は良くないからエンストを起こしたり結構時間がかかる。その間、親が待てるかが正念場、、、という主旨でした。

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(追加:1月9日)

思春期は、子どもの心大人の心が入り交じった時期です。
親が子どもの心に働きかけると、子どもは甘え、怠惰に流れ、自分から積極的に動こうとしません。
その反対に、親が大人の心に働きかけると、自分の将来を考え、自分からやる気を出して動き出します。

子どもの心に働きかけるとは、どういうことでしょう。
子どもはまだ未熟だから、一人ではなにもできず、親がついてないとダメと考えます。
朝は目覚まし時計をかけても自分からは起きないので親が起こし、「勉強しなさい」、「ああしなさい」
・「こうしなさい」と細かく注意します。子どものことはすべて把握しないと気が済みません。
子どもは親のエンジン(動力)で動いている状態です。

大人の心に働きかけるとはどういうことでしょう。
わが子はまだ未熟な部分もあるけど、しっかりした部分が育ち始めていると考えます。親がついてなくても子どもは自分のことをできるはずだから、あまり子どもに口出しする必要はありません。良いことをしたとき、うまくいったとき肯定的に認めてあげます。

不思議なもので、親やまわりの大人たちが、子どもの心にたくさん働きかけると、子どもの心が温存され、なかなか大人に切り替われません。逆に、大人の心に働きかけると、その部分がどんどん育成されてゆきます。

しかし、そううまくいくとは限りません。
子どものエンジン(動力)は、まだ使い始めたばかりなので、うまく動かないからです。出力(パワー)も不十分だし、ときどきエンスト(故障)してしまいます。その時、親はどう対応したらよいのでしょう。
子どもが持つ潜在力を信じることができれば、子どものエンジンが故障気味でも親は手を出さずに見守ります。すると、多少の時間はかかっても、子ども自身で何とか立て直して、だんだんパワーを上げてゆきます。
それを待ちきれない親は見ておれないので、つい親のエンジンを貸してしまいます。あれこれ口出しをして、親の指図で子どもが動きます。しかし、それは子ども自身のやる気ではなく、親に動かされているだけです。思春期前の小さな子どもなら、それで良いのですが、思春期になっても親が相変わらずエンジンを貸してあげると、子どもは自分のエンジンを試運転する機会を失ってしまいます。

車のエンジンは、基本的にひとつです。ふたつエンジンがあるとうまく動きません。どちらのエンジンを使うのか、その争奪戦が反抗期と呼ばれている親子バトルです。

結論としては、
  • 子どもの潜在力を信じて、待つこと。
  • 自信を獲得できるように、肯定的な側面を見出し、評価すること。
このふたつが何より重要です。

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(余談)
私の長男は高3。これから大学受験です。
35年前の私自身の入試を思い出します。
ひとりで受験する大学の近くに宿をとり、初日の学科試験が終われば二日目は面接と小論文。間際に勉強することもなく、ひとりで近くの映画館で暇をつぶしていました。
旅館は同じ大学の受験生ばかり。その中に、私と同じ学部を受ける受験生がいて、母親と一緒に泊まっていました。私は入試で母親と一緒なんて考えられませんでした。そいつは受かりませんでしたが。

(余談2)
去年まで勤めていた大学では、入学試験は付き添い者は大学構内に入れません。1月の寒空の中、子どもを構内に見送った後、帰らずに試験が終わるまでずっと寒空の中、校門付近で待っている保護者が毎年数十名います。
そんなもんなんでしょうかね。私は信じられませんけど。

2011年10月22日土曜日

夫婦カウンセリングあれこれ(1)

夫婦ケンカは犬も食わぬ。
(=たいてい取るに足らないつまらないことが原因で、すぐに仲直りするから、他人が心配してもしかたがない、他人が仲裁せずに放っておくのが良い、、、)

、、、という日本の古き伝統も変わりつつあります。
3組に1組の夫婦が離婚に至る時代です。ちょっとしたボタンの掛け違いがどんどん広がり、ふたりの話し合いでは収拾がつかなくなることは決して稀ではありません。

9割の夫婦ケンカは犬も食わなくて構いません。夫婦には自己修正機能が備わっています。お互いに多少ずれても、話し合うことで修正し、歩み寄ることができます。ケンカ(口論)はそのための激しい話し合いでもあります。ケンカはお互いを傷つけ合いますが、結果がOKであれば、ケンカも大切な夫婦のコミュニケーションなのかもしれません。しばらく放っておいても、そのうち何となく仲直りできたりします。

しかし、結果オーライでなかったら、、、
ふたりのズレが拡大すると、自分たちの力で修正できる限界を超えてしまいます。
すると、自己修正機能がうまく効かなくなります。話し合えない状態、話し合っても仕方がない状態になり、不本意ながら別々の道を歩むしかありません。それでも、不本意ながらなんとか我慢して表面的には平穏な日常生活を営むことができれば良いのですが、夫婦問題の余波は思わぬところから噴出します。

たとえば、子どもの問題です。非行、万引き、リストカット、自傷行為、暴力、いじめ、不登校、、、などなど。これらの子どもの問題の背後には、必ず家族に問題があるというわけではありません。しかし、不登校の相談で見えたご両親によくお話を伺うと、実は、、、ということも良く見られます。

「犬も食わない」夫婦問題ではわざわざカウンセラーに相談する気は起きなくても、子どもの問題は見過ごせません。そうなると、子どもの問題をどうするかというカウンセリングと並行して、夫婦のカウンセリングを進めます。夫婦関係が改善すると、子どもの問題も改善します。

2011年10月8日土曜日

良い忙しさ

今週はなぜかめちゃくちゃ忙しかった。
研究室の予約はまだまだ混んでおらず、診察で忙しいわけではないんです。
そもそも、今までの多忙な生活から解放されたいという気持ちが、開業する動機のひとつだったのに、ぜんぜん果たされていません。なぜこんなに忙しいのだろう?

ひとつは、スーパーバイザーとして関わっているふたつの東京都の事業のせいです。
若ナビひきこもりサポートネットの相談員さんたちへの研修と、そのためのテキスト作りで二日間、完徹ではなかったけど、夜遅くまで原稿書いてました。

もうひとつは、出版社との打ち合わせ。
ひきこもりの家族支援についての本がいよいよ具体化して、3月の発刊をめざして動き出しました。これがかなりプレッシャーになってるみたい。前々からこのテーマで書きたいと思っていたんですけど、私は締め切りを守れない人間で、今まで出した本も当初の予定から大幅に遅れました。まあ、本を出すってそういう場合が多いとは思うのですが。頭の中でイメージを膨らませて、あっちこっちと書き散らすのは得意なんですが、それをひとつの本にまとめるのが大の苦手なんです。3月発刊ということは、1月には脱稿。あと3ヶ月しかないじゃん!達成するためにプレッシャーが与えられるってのは好ましいことなんだけど、、、プレッシャーです(笑)。

というあたりが忙しさの主な由来みたい。
でも、今までの忙しさとは質が違うように思います。
去年まで大きな組織で働いていた時は、自分が本当にやりたい研究や臨床以外の仕事、つまり会議や事務作業など、私の主観では「雑務」と位置づけられる仕事のために忙しかったんです。まあ、そもそも仕事なんてそういうものだから、ぜいたくを言っているだけなのかもしれませんが。

それと比べると、今の忙しさは気持ち的に良い忙しさです。つまり本当にやりたいことだから。クライエントさんたちとじっくり向き合う臨床の仕事。そして、今まで積み重ねてきた臨床経験を文章にまとめて本にすること。
若いころは業績を積むために研究論文を書いてました。これは、研究を深めるための専門家同士のコミュニケーション、いわば自分たちのためです。専門以外の人が読んでもちっとも面白くありません。
それに比べると、今、描いているのは広く一般の人たち、支援を必要としている人たちへのメッセージです。私の仕事を紹介して研究室に来てもらうという私自身のためでもあるし、みんなのためでもあります。
まとまった長い文章を書くのはとても苦手で逃げたくなるのですが、プレッシャーをかけられ作業を進めることができるってのは、やりたい仕事なんです。
今日(土曜)も診療の仕事。いつもの土曜午前のテニスはお休みです。

そういう忙中に時間を見つけてコアトレに通い、身体を整えるってのは気持ちが良いトレーニングです(これについてはまた改めて書きます)。
明日・明後日の連休は、思いっきりのんびりします。

2011年9月12日月曜日

有栖川公園

 月曜日は相談は休みだが、研究室に来て、たまった原稿とメールを書いていた。
昼間、近くの有栖川公園に散歩に出かけた。テレビ朝日通りに出る。中国大使館に通じる道は細い路地に至るまで24時間、警官が立っている。あの費用はいったいどこから出るのだろうか?
愛育病院を通り過ぎ、有栖川公園に入る。まだ暑さが残り日差しもきついが、公園の森に入るとぐっと涼しくなる。池の水はきれいとは言えないが、小さな滝も流れている。
隣の麻布ナショナル・マーケットにも立ち寄ってみる。品物の表示はすべて日・英で併記されている。パスタ類とシリアル、それにワインの種類が豊富だ。眺めながら、今晩はチキンのローストとパスタサラダに決めた。
都立中央図書館にも入ってみる。高校3年生の夏にアメリカから帰国し、夏休みに通った頃以来だ。平日の昼間は学生はおらず、社会人ばかりで空いていたが、当時の夏休みは受験生らしき人々で閲覧室は満員だった。近所の区立図書館は古びて、机も狭い。ここはテーブルが広く、新しいから気持ちが良かった。みんな静かに集中している雰囲気の中で、自分も勉強に集中できた。時に可愛い女の子を見つけると、その子の向かいの席に座れたらラッキーだった。センパイからは消しゴムを落として話しかければ良いんだよと言われたが、とてもそこまでするつもりも勇気もなかった。
当時と違うのは人々がノートPCを持ち込んでいるくらい(結構Appleが多いのは意外だ)。5階のカフェテリアも、図書館の雰囲気も35年前とあまり変わっていないのが嬉しかった。

2011年9月7日水曜日

自転車日和

悲惨な水害をもたらしたノロノロ台風が過ぎ、青天がもどってきた。気温はまだ30℃近いが、今まで60%以上あった湿度が30%代まで下がり、爽やかな陽気、秋の気配。さあ、これからが自転車の良い季節だ。午前中の空気はまだ温まっていない。日差しはそれなりに強く、直射日光に肌が熱せられるが、切る風は冷たく爽やかだ。夏山の稜線歩きのコントラストほどではないが、かなり気持ちが良い。帰り道はもう空気が温まってしまい、この感覚は得られない。

数年前から、通勤に自転車を使っている。始めは幹線道路を走っていたがスピードを出して並走する車があまり気持ち良くない。そこそこにまっすぐ走れて、車の往来がそれほど多くない裏道を地図で探索して走るのが一番気持ち良い。大田区大森の自宅から広尾まで10kmあまり、約40分かかる。電車だと二回乗り換えなくてはならず、駅まで歩くことを含めば自転車より時間がかかる。

以前勤めていた大学は小金井市にあり、大田区から多摩川の土手沿いに32km、1時間50分ほどかかる。往復するとさすがに筋肉がパンパンに疲れるが、慣れるとそれほど辛くはない。それに比べれば広尾までは日常の運動としてはちょうど良い負荷だ。ジムに通い自転車を漕ぐことを考えれば
a)通勤時間を兼ねて時間の節約になる、
b)お金もかからない、
c)環境にも優しい、
それに何よりd)健康的で、良いことずくめだ。

私は5年ほど前から自転車通勤を始めたが、都内の通りにもだんだん通勤自転車も増えてきているようだ。ふつうのママチャリではないスポーツ自転車。よく人から「すごい!」と言われるけれど、ママチャリとスポーツ自転車は別の種類の乗り物と考えた方が良い。乗り心地が全然違うし、慣れれば腰や手足への負担も少ない。自転車本体の重量がママチャリの半分以下で、変速ギアをうまく使えば無理なくスピードも上がる。私はジョギングやマラソンは息が上がり嫌いなのだが、自転車では息が上がらないレベルの運動を長い時間継続できる。ちょうど良いエアロビック(有酸素)運動だ。電動自転車を買うくらいなら、スポーツ自転車の方がずっと良いですよ。スピードも後者の方が早いし。

私は2台のスポーツ自転車を使い分けている。小金井市との長距離、多摩川サイクリングロードを往復するときはAnchorのロードバイクを使う。本体はカーボン製で軽く、ドロップハンドルで前傾姿勢をとれる。慣れないと難しく感じるが、慣れるとかえって楽になる。タイヤは細く、ノンストップでスピードを上げて走るのに適している。もう一台はミニベロと呼ばれ折り畳み自転車(BD-1)。タイヤの直径が短いので漕ぐのが大変でしょうとよく言われるのだが、そんなことはない。自転車のスピードはペダルを一回転するのにどれくらいの距離を進むかで決まるわけで、タイヤの直径ではなく変速ギアのギア比で決まる。ロードやクロスバイクと遜色なくスピードを出すこともできるし、あっという間に折りたたんでカバーをかけ、電車に持ち込めるのが市街地に向いている。

自転車通勤は四季を問わず一年中楽しめる。暑い夏でも風を切れば強制空冷が働くので案外暑さを感じない。熱せられたアスファルトの地面を歩く方がよっぽど暑い。でも、信号で止まると汗がじわっと吹き出すのがよくわかる。逆に寒い冬は防寒手袋に防寒シューズなど装備を整えれば問題ない。さすがに漕ぎ出してしばらくは寒さが身体に浸みるが、20分も漕げば身体の中から熱が生産される。顔にあたる風は冷たくても、身体の中はポカポカという感覚は自転車特有、あるいはスキーにも似ている。

暑さ・寒さはそれほど気にならないが、雨と風は大敵だ。カッパを着込めばできないことはないが、視界が悪くなり、スリップするから危険だ。自転車を始めてから、朝に必ず天気予報をチェックするようになった。降雨の可能性があれば電車に切り替える。何度か途中で降られ、悲惨な思いをしたことがあるからだ。
風にも影響を受ける。徒歩や自動車ではあまり感じないが、向かい風を受けると全然進まず、ペダルが重くなる。逆に追い風だと空を飛ぶようにスイスイ進みとても気持ちが良い。
あと、坂道が大変でしょうとよく言われるのだが、これも大丈夫。ママチャリで坂を登る感覚とは全然違う。坂道に差し掛かり、ペダルが重くなったら早めにギアを落とすのがコツだ。スポーツ自転車には最低7-8枚のギアが付いている。ギアを落とせばスピードも落ちるのだが、かなりの急坂でもスイスイとゆっくり登ることができる。

数年前から雨の日と、帰りに飲む日以外は、ほぼ毎日自転車を使うようになった。電車の中で本を読んだり、途中駅で寄り道できないのが不便だが、窮屈な満員電車よりはるかに気持ちよく通勤時間を過ごすことができる。しかも、体重がかなり落ち、体形が変わった。

みなさんもお勧めですよ!
自転車談義になるとついしゃべり過ぎますなあ(笑)。

2011年9月3日土曜日

自信を獲得するプロセス


我々は、理解不能な出来事や問題に出会うと、病気・障害という概念を持ってこようとします。専門家に相談すれば、何らかの専門的なカテゴリーをもらうことができますから。たとえば、軽度発達障害、アスペルガー症候群、ADHD、うつ病、統合失調症などが最近の流行です。
しかし、これらの心理的・対人関係的な問題を判断する専門家からすれば、あくまで相対的・仮説的なわけで、絶対的な真実としてのアセスメントではありません。

むしろ、病気・障害などのラベルを持ってくることの功罪を考えなければなりません。
疾患という自分のせいでもない、親のせいでもない、専門的な、一般の人はよくわからなくて良い概念を持ってくることで、不可解な現象に一応の説明を与えることができます。それにより、

  • 怠け・甘え・ダメな人間だからといった本人ダメ言説・本人責任論や、
  • 親の責任、しつけのせいといった親の責任言説

から逃れることができます。
そのことは、自分が悪いんだ、自分のせいなんだと悩んでいる人を解放して、一定の自信を得ることができます。

私は、そのような専門的なラベル付けはできるだけ避け、クライエント自らの言葉で、自らが納得する説明を、他者から言い渡されるのではなく、本人自身が見つけ出すプロセスを大切にしています。その多くは、自身の現在・過去の生活体験の中に埋め込まれているはずです。

しかし、自分のことを本当に理解するってかなり難しい作業です。現在と過去の自分、そして自分を取り巻く人間関係を客観的に理解しなければなりませんから。自分ではわかっているようで、一番わかりにくいことなのかもしれません。もし困難さの由来を自分の言葉で理解して腑に落とすことができれば、そこを意図的に変えるという解決策も得ることになります。

でも、今まで体に染みついてきた習慣を変えるって、とても勇気が要ることです。なじみのあるパターンの方が楽だし、新たなパターンに変えるって、よっぽど確信、自信がないとできません。

どうやったら自信を回復できるのでしょうか?
かなり難しいことですよね。

自信(=自分を肯定すること)とは、現在の自分のみならず、自分の由来、自分の過去の歴史をも肯定することです。
つまり育った環境や、親との関係ですね。
でも、そこに考えを及ぼそうとすると、イヤな体験、思い出したくない体験がまず飛び出してきたりします。
マイナスな過去の記憶を、現在の表象に蘇らそうとする作業はとても苦しく、無理に思い出そうとすれば、せっかく築き上げてきた自信が崩れてしまいます。だから、ふつうそんなことはしません。だれだって本能的に「痛み」は遠ざけようとしますから。

でも、その部分を安全な守られた環境のもとで、丁寧に解きほぐしていくという作業がいつかどこかで必要になります。
「機能不全家族」とか「複雑な事情」という言葉によって、マイナスの体験を毛玉のように丸めて「立ち入り禁止」というラベルを張ることができます。それ以上深めることは危険ですから。

でも、あえてそこに入り込み、ていねいに毛玉をほぐしていくと、ふと糸口を見つけたりします。そうすれば「複雑」とか「機能不全」という原因不明のレッテルを使わずとも、その時代の社会情勢や家族状況に照らし合わせて十分に理解できる、特殊ではなく普通の出来事として見方を新たにします。
そうすれば、自分の過去をマイナス体験として恐れずとも、ふつうに振り返ることができるようになります。

家族はアンビバレントですね。愛と憎しみが両方ごっちゃになっています。憎しみの部分を整理して風通しを良くしてやれば、その背後に隠された愛の部分が何となく見えてきます。
そうやって、自分の過去・自分の由来・自分の家族をじっくり見据えて肯定し、愛し、受け入れることができれば、本当の意味で自分自身を肯定し、過去ばかりでなく、現在の自分と家族や社会と関わる自信を獲得できます。

私の臨床では、こういうことを時間をかけて、じっくり話し合っていきます。
クライエントの語りを伺って、私の中にちょっと別の要素を含んだ物語が生まれます。それを語り返すことにより、クライエントの物語がちょっと変化してバージョンアップされます。それを何度かやりとりして、ふたつの物語(クライエントの主観的な物語と、私の客観的な物語)をすり合わせていくうちに、より良く機能する新たな物語をクライエント自らの力でつくっていくことができます。

2011年8月31日水曜日

西麻布の隠れ家


今日は8月31日。夏の最後です。
先週末は月曜日まで山の温泉で家族と過ごし、昨日、仕事にカムバックしました。

休暇でリフレッシュしたでしょう??

いえ、リフレッシュが必要なほど、普段疲れていませんので、今のところ大丈夫です。

というか、仕事で消耗し、休暇で回復するというパターン自体を脱構築したいのです。私の役割は、いろいろな事情で心が消耗した人たちの回復をお手伝いすることですから、私自身がまず休暇などを使わなくとも常にリフレッシュされた状態をキープしたいと思っています。

その話はともかく、昨晩は午後9時にセミナーを終えた後、この近くで軽い夕食をとりました。前々から気になっていたお店にひとりで潜入し、今後使えそうかチェックしました。

 西麻布・広尾・六本木界隈は若い頃からそれほど頻繁ではないけど、いろいろな機会に出入りしていました。
高校生の受験勉強の頃は、まだできたばかりで綺麗だった都立中央図書館に通いました。閲覧室にある4人掛けの机は当時としては珍しく向かいの人との間に衝立がなく広く使えました。まわりの人が気になると言えば気になるのですが、私は多分隔絶されるよりは人の中にいた方が落ち着くタイプなので、結構はかどったように思います。勉強に飽きたら有栖川公園を散歩したり、帰りには麻布ナショナル・マーケットやBaskin-Robbins(日本流に言えばサーティーワン)に立ち寄り、アメリカから帰国したばかりの私はノスタルジアを満たしていました。

あるいは大学時代、六本木のロアビルにあるディスコに通ったり。もう死語になったけど、当時全盛期だったディスコがロアビルの各フロアにたくさんあり、センスあるファッションの中に筑波の田舎から加わるのはかなりドキドキ勇気がいりました。

医学部の病院実習で、敷地を広尾ガーデンヒルズに身売りする前の広かった日赤医療センターに通ったり。

妻と付き合い始めた頃、初めての誕生日ディナーを大学院生だった私としては奮発してクイーン・アリスへ行きました。今はもうなく、どこか違うところに移転したみたいですね。
大学院時代の仲間夫婦が西麻布に邸宅を構えていたので、週末に夜遅くまで入りびたり、帰りに西麻布交差点にあるHobson'sでいくつかの種類を撹拌する面白いアイスクリームを楽しんだり。

思い出をたどればきりがないのですが、私にとってこのエリアはいずれも断片的、一時的な体験で、ずっとこの地に通ったり、継続して仕事をしたりという体験はありません。銀座・新宿・渋谷みたいな大勢の人が集まる繁華街では全くなく、田園調布や成城学園みたい高級住宅地を主張するわけでもないけど、実はかなりハイソで、表通りから路地を入ればびっくりするような邸宅が潜んでいたり。アメリカや英国の大使館は皇居の隣とか虎ノ門の表通りに堂々と主張してるけど、実はこのあたり、多くの大使館があり、外国人polulationはかなり高い。しかも、表ではない路地裏ひっそり建っていたりします。
なんとなくつかみどころのない、神秘のベールに包まれた、ちょっと一般人は立ち寄りにくい、そんな印象でした。

それが、3ヶ月前からこの地に毎日通うようになり、新たな側面を発見しました。
以前から高級レストランが散在していることは、クイーンアリス体験からもわかっていたのですが、想像以上にたくさんの美味しいお店があります。しかもそれは表には見えません。ネットで調べて、昼間に行っても全くわからず、夜にもう一度行ってみると昼間通り過ぎた民家の玄関先に、お店の名前が書かれた小さな行灯が置いてあるだけで、まさかここがレストランとはわかりません。中に入ると、まさに普通の民家を改造した、せいぜい5-6名で満員になるカウンターと、サブの個室があるくらいです。土地柄、さぞかしお値段は高いだろうとビクビクしますが、そうでもない。確かにファミレスや派手な看板を掲げる居酒屋さんに比べれば高いですけど、少人数のお客さんにこれだけ美味しいものを丁寧に届けてくれることを考えれば、若いころのクイーンアリスよりはずっと割安感があります。
ネットで探すと、そんなお店がいくつも出てきます。当初はすべて踏破しようと企んでいましたが、調べてみると自分でこなせる数をはるかに超えていることがわかりました。昨晩もそんなお店のひとつで、マスターと話したら、あっと驚く芸能関係の人がしょっちゅう出入りするんだそうです。
本当の隠れ家はネットにも紹介されず。本当の有名人とか限られた人しか利用できないのでしょう。そこまではいかず、普通の人でもちょっと財布のひもを緩めれば手が届き、個別に丁寧に対応してくれる。お客たちの喧騒で会話がかき消されることはなく、逆にカウンターの人との距離が近くご同伴との会話が聞こえちゃうので、むしろ話の中に何となく入ってもらうようなat homeな雰囲気。プライバシーが守られ、干渉されることもなく、お料理の味もさることながら、じっくりそこに居ることを楽しめるようなお店。当初はイタリアンなど洋食系が多いのかと思ったら、意外と和食系が多いんですね。確かに若い人たちにはちょっと敷居が高いけど、そのことがかえって私の世代を来やすくしています。

私の研究室も、そんなイメージを目指しているのですが、、、こんなことを書いてネタをばらさない方がよいのでしょうかね。

2011年8月16日火曜日

疲れを癒す休暇

温泉で開業疲れも取れて癒されますね。

お言葉ありがとうございます。
でも、ちょっとそういう感じでもないんですね。疲れているかと言われれば、疲れてないんです。
疲れってなんでしょうね?
出たくない、興味のない会議に長い時間出席したり、
あまりやりたくない内容の授業を大教室でやらされたり、
真夏に1時間半かけて自転車通勤したり、
学生時代に土方のバイトをしたり、、、
でも、これらは微妙に疲れ方が異なります。

身体的な疲れ=肉体労働、筋肉的な疲れ
精神的な疲れ=集中力、緊張を強いられる場面、あまり乗り気がしない仕事

自転車通勤は肉体的にはヘトヘトになるけど、精神的にはぜんぜん疲れないというか、むしろ解放された気持ちになります。
精神的な疲れって、自己の主体性が失われた状態なのかもしれません。自然な欲求を抑えて、やらなければいけないことをイヤイヤする。自分の意思ではない、他者から与えられた意思に従う。そううのはとても疲れます。

あと、心配するときも疲れますね。
心配=否定的な帰結を予測するときの不快な感情
考えてみれば、今はそういうのがないんですよ。
勤め人(組織の中の人間)ではなくなったので、人からあーしろ、こーしろと言われません。
自分でやるべきことを切り開くわけで、基本的に自分がやりたい事のみを選択して実行するようにしています。

じっくり、ゆっくりカウンセリング。
私にとってのカウンセリングは、いろいろな意味で、精神的な疲れが極値の人たちとじっくり深く話し合い、彼らが主体性を回復して疲れをとれるようにお手伝いしている作業です。それが私の意図したようにうまくいかないと疲れますが、うまくいけば達成感、相手の疲れが取れることで、自分の疲れも取れます(一石二鳥)。

心配は?
まだ開業まもなく採算が取れていない状況だから、今後の見通しに対する心配のタネはいくらでもあります。
でも開き直れば、起業3ヶ月で採算ラインに乗るはずないでしょ!損益分岐点はまだもうしばらく先の話。そう考えれば、これも疲れにはなりません。

と、考えれば、わざわざ休暇も必要ないのかもしれません。少なくとも、疲れを癒すという意味での休暇は。

2011年8月12日金曜日

ストレス解消法

みなさんのストレス解消法は何ですか?
サッカー日本代表の長谷部誠は心を鎮める就寝前の30分、部屋の整理整頓、お気に入りの一流時計、ひとり温泉、尊敬できる友人との会話、読書と読書ノート、お香とアロマオイル、ミスチルの音楽などを挙げています。
人によってさまざまな方法があります。
自分にとってしっくりくるやり方(レパートリー)を意識して揃えているとよいでしょう。
私のストレス解消法をご紹介します。
  • 人と交わること。特に昔の友達が良いです。家族や今関わっている仕事仲間なども良いのですが、現在進行形の関係は時に交わること自体がストレスになります。会ってもそれほどたくさんおしゃべりするわけでもありません。一緒に居ること自体が癒されます。
  • 書くこと。短い文章を書き、誰かに読んでもらうことです。誰にも読まれない日記は、私には向いていません。ブログやこのメールマガジンくらいの量と内容がちょうど良いです。本や学術論文のようにしっかり長いものは、逆に書くことがストレスになります。
  • 身体を動かすこと。小さいころ父親とよくスキーに行き、今でも毎年上信越や北海道へスキーに行きます。学生時代は柔道部(中学)、山岳部(高校)、アメリカンフットボール部(大学)とバリバリの体育会系でした。といっても運動神経が良いわけでは決してありません。野球・ゴルフ・ボーリングなどは情けなくなるほど下手です。それでも、身体を動かすこと自体が好きで、社会人になってからもテニス、ゴルフ、サイクリングなどを楽しんできました。精神的な疲労を、へとへとになるまで身体を動かして筋肉疲労に変換します。そして風呂に入り、ビールを飲み、ぐっすり眠って取り除きます。こう書くと、いかにも健康的に聞こえますね。
  • 音楽も若いころはレパートリーのひとつでした。ロックやジャズなどお気に入りの音楽を聴いたり、ギターやピアノを演奏したり、カラオケで思いっきり歌っていました。しかし、40歳を超えてからは音楽への感性が鈍ってきたように思います。と言いつつ、昨晩は若い仲間と久々にカラオケを楽しんできました。
  • 温泉は多くの日本人にとって絶好のストレス解消でしょう。父親の実家が群馬県の四万温泉なので、子どもの頃の帰省先は温泉旅館でした。しかし、当の父親はお風呂が嫌いです。イギリス人やアメリカ人は、温かい温泉があってもそこに浸かってリラックスするという習慣が薄いようです。
他人のストレス解消方法が自分にも当てはまるわけではありません。
エネルギーが外に向うタイプの人は、人と交わることがストレス解消になり、ひとりきりでいることがストレスになります。
逆に、エネルギーが内に向うタイプの人は、ひとりでいることがストレス解消になり、人と交わることがストレスになります。

私はエネルギーがソトに向くタイプです。ひとりでのんびり昼寝をしたり、家をきれいに掃除したり、好きな本や音楽をじっくり楽しめたらどんなに良いだろうと頭では思うのですが、私には至難の業です。気がついたらチョコチョコ動いて人との触れ合いを求めています。

もう一段深いストレス解消法=言語化

人の心は圧力鍋のようなものです。いろいろなストレスが溜まっても、ある程度の圧力までは持ちこたえ、鍋から降ろせば自然に冷めて圧も下がります。しかし、ある限度を超えると思わぬ形で爆発してしまいます。
  • 感情化⇒いわゆる「うつ」の状態です。やる気が低下し、仕事や勉強が手につかなくなります。食欲もなくなり、自信を失いマイナス思考になります。その結果、仕事や家事、勉強などが手につかず、生活に支障をきたします。
  • 身体化⇒ストレスが原因で身体にさまざまな不調が現れます。たとえば、息苦しくなり胸がドキドキしたり、腹痛・頭痛・腰痛、吐き気や胃のムカムカ、身体のしびれやほてり感、皮膚のかゆみやじんま疹、ぬけ毛などです。これらはまとめて「心身症」と呼ばれます。
  • 行動化⇒好ましくない行動が現れます。たとえば暴力、セクハラ・パワハラ、アルコール・ギャンブル・買い物・インターネットなどへの依存(つまり限度を超えても止められなくなること)などです。本人が意図してやっているわけですから責められるべきですが、その背後にはストレスが隠されていたりします。攻撃性が自分自身に向かうと自傷行為や自殺さえ起りえます。
これらは未然に防止しなければなりません。ヤバいなと本人が気づいたら、自分に合ったストレス解消を活用します。でも、ストレスの圧力が高すぎると、それだけではうまくいきません。

その時に有効なのが言語化という方法です。精神的ストレスの元となっている体験や気持ちを安全なカタチで表現します。その気持ちを突き詰めてゆくと怒り・悲しみ・不安・恐怖・自己嫌悪・自信のなさなどの否定的な気持ちが見えてきますから、あまり正面切って考えたくありません。普通はだれにも言わず、心の中で封印されています。封印されていないふつうの記憶は時と共に忘却していきますが、封印された記憶はいつまでも残り、消えることがありません。

封印を解き、表出する作業はとても大変です。日記を書くなどひとりの作業も不可能ではありませんが、できれば受け止めてくれる他者がいた方がよいでしょう。その人はちゃんとわかってくれるけど、批判したり秘密を洩らさず、その人自身がショックを受けません。信頼できる友人が良いでしょう。家族など近すぎる人は話を聞いてショックを受けます。心の専門家は、その役目を果たせるようにトレーニングされています。

封印された記憶は、自分の主観性の中に留まっています。触れてはいけない恥の部分(マイナスの部分)です。その部分が大きいと、自己を肯定することができません。
封印を解き表出しようとすれば、大きな痛みを伴います。倒れそうになったら横で受け止めてくれる人が必要です。勇気をもって表出された記憶は主観の世界から客体の世界へ解き放たれます。自分だけが隠し持っている特殊な事情ではなく、他の人でも理解できるコトバを付与された普遍的な事情に変換されます。恥(マイナス)の体験であっても、他者に受け止められる体験はすごく肯定的です。

この方法は手軽ではありませんが、本当の意味で長年溜まった精神的ストレスを深いレベルから解放できます。それを支援する心の専門家には高いレベルの技量が必要とされます

2011年7月30日土曜日

男性の強さと弱さ

先日、私の開業を祝うという名目で高校時代の同級生数名が集まり、小さなクラス会を開いた。
その場で、ある同級生がマスコミのやり玉に上がったことが話題になった。彼と私は小・中・高と同じ学校で、中学時代は彼が生徒会長で私が副会長。私と違っていたのは、彼がすごくイケメンで女の子たちにもてまくっていたこと。私が知っている彼は一回目の結婚式くらいまでで、その後何があったかは知らない。週刊誌よると、一流会社の幹部社員になり、多くの女性たちに手を出し、結婚詐欺をやらかし、被害にあった女性たちから告発され、会社を辞めたという。みんなから慕われ、活躍していた子ども時代の彼をよく知っているだけに、この話はとても悲しい。

男性は、自己に内包している弱さを正面から見つめることが大の苦手だ。それを求めてしまったら自分自身が崩れてしまう恐怖に常におびえている。そのために弱さを否定し、強迫的に強さを追い求めようとする。彼だって仕事ができて、女にもて、男性として成功者のはずだった。セルフ・コントロールさえうまくいけば、成功の道を全うできたはずなのに、、、

常軌を失ったコントロール不能のエネルギーの行き先は大きく分けて2方向ある。

  1. 外(他者)に向けられれルのが攻撃性、(彼のような規範からの)性的逸脱、酒・ギャンブル依存などだ。まわりの人や社会が迷惑をこうむり、ケイサツや週刊誌記者のお世話になる。
  2. 内(自己)に向けられるのがひきこもり、鬱(うつ)、自傷行為、自殺など。人さまにはご迷惑をおかけしないが、自分自身が破滅し、精神科医がお世話する。

自分の弱さを認められない男性たちは、男らしさの鎧(ヨロイ)でカバーアップしようとする。それが過度な攻撃性や活動性(仕事にのめり込むこと、女性を追いかけること)だったりする。しかし、根底に不安があるかぎり、いくら分厚いヨロイで隠しても、決して安心(満足)できない。決して満たされることのない安心感を際限なく追い求め、コントロールを失い、破滅していく。

このようにエネルギーが外に向けられているうちはまだ良いのだが、内に向かい始めると一気に落ち込む。うつ病になっても、自分の弱さ(病気・異常)を認めず、救いを求めようとしない。

カウンセリングのクライエントに占める男性の割合は低い。女性は気持ちを言葉で表現したり、「助けてください!」と比較的抵抗なく援助を求めることができるのに、男性はできない。

  • 古典的な男性(オス)の生来的identityは強さだ。自分の強さ・有能さを誇示し、多くのメスを引きつけて遺伝子をまき散らす。弱さを認めたら、オスとしてのidentityが崩れてしまう。
  • 古典的な女性(メス)の生来的identityは弱さだ。守ってくれる強いオスを呼び寄せ、強い遺伝子をもらう。弱者としての子どもを守り、育てる。

女性を支援する基本は、力を付与していくこと(エンパワーメント)。素の状態から、良質のヨロイを獲得すればよい。
男性を支援するのはやっかいだ。まず、時代遅れのヨロイを一旦崩さないといけない。
そのために必要な要件は、とりあえずふたつ考えられる。

1)自分の弱さを語れる安全な場所。
ヨロイを脱ぎ捨て、素の自分になるためには、傷つけられないという安全な環境の保障が必要だ。批判されず、情報が漏れず、理解・共感されて受け止められること。
対等な女性の前では、なかなか恥ずかしくて脱げない。
お母さんの前では脱げるけど、赤ちゃん返り(退行・依存)してしまう。
対等な男性の前では、ライバル同士だから脱ぐわけにはいかない。
お父さんの前では、、、、良質なお父さんを経験していないと、どう接してよいかわからない。

2)準拠できるモデルの存在。
裸になった男性が、新たなidentityを自らの手で見出せるために。
宗教のような超越的存在でもなく、松本 智津夫みたいに悪質な価値を刷り込ませるカリスマでもない。本人が自ら選びとれるようなモデルを提示できる、信頼できる同性(男性)がいること。

2011年7月27日水曜日

産業医の研修

今週はまるまる一週間の九州出張だ。
北九州市にある産業医科大学で、産業医になるための集中研修を受けている。

産業医は、会社や工場の「保健室」とはちょっと違う。労働環境や労働条件により健康が損なわれることを予防するために、従業員にひとりひとり関わるだけでなく、管理者側に直接働きかける。産業医は50人以上の事業所には置かねばならない。
医者が1週間の研修を受けると産業医として認められる。

私の専門は思春期の心だ。彼らを取り巻く家族や学校には働きかけてきたが、会社にはあまり関わってこなかった。しかし、これからは必要になってくるかもしれない。
労働衛生の課題は年代とともに変化する。
昭和20年代は劣悪な労働環境による結核の蔓延。女工哀史なんかがその典型だ。
昭和30年代は経済成長の幕開け。じん肺や化学物質による中毒が問題になった。環境汚染や公害が問題となった。
平成以降、現代の焦点は高齢化、過重労働そしてメンタルヘルスだ。
ニートやひきこもりの高齢化、つまり十代ばかりでなく、20代、30代へ広がり、「新型うつ」もその年代で問題になってきている。

私の視点は、人を単体の個人としてみるのではなく、人間集団の関係性という枠組みを用いる。今まで取り組んできた家族、学校、地域社会へのアプローチの延長には、職場へのコンサルテーションも大切な要素となる可能性はある。
今後、私の守備範囲の中にどれほど組み込まれるかはまだ分からないが、とりあえず資格だけは取得しておこう。

2011年7月19日火曜日

グループの力

田村毅研究室では個別のカウンセリングばかりでなく、グループ活動(セミナー)に力を入れています。

  1. 思春期子育て塾:思春期のお子さんをお持ちの親が集まり、普段の子育てや子どもへの関わり方について話し合います。このような子育て支援・親教育のプログラムは子どもが幼い乳幼児期にけっこうありますが、思春期に焦点を当てたセミナーは他では見られません。
  2. 男のメンタル・トレーニング:女性は子育てサークル、PTA活動、女子会などグループの話し合いが得意ですが、男性は孤立しがちです。社会人として、家庭人として、男性の気持ちを共有できる仲間が集まり、本音を語り合います。
  3. 心の支援者向け月例研究会:多職種・さまざまな経験を持つ心の支援者たちが、集まった方々のニーズに基づきテーマを設定し、相互に学び合います。

学校では先生の話を多くの人々が聞きます。知識や情報は先生から学生へ一方的に流れ、参加者が自分の考えや体験を語る機会は通常ほとんどありません。
客観的な情報を伝えるには効率が良いのですが、心理学は個別性が高い学問分野です。原理・原則を理解しても、個々の場合へなかなか応用できません。

個別カウンセリングはカウンセラーにたくさん話を聞いてもらい、ニーズに即したアドバイスや指導を受けることができます。しかし1対1の関係はちょっと緊張します。高い相談料を払い、個別に相談するほど困り感が大きいというわけでもなく、ちょっと行き詰っている程度。他の人はどんな風にやっているのか知りたいという方には敷居が高いかもしれません。

田村研究室のグループ活動は数名から12-3名ほどの人数です。それ以上多くなると、人前で話しにくくなります。
グループではカウンセラーだけでなく、参加者が相互に理解し合えるという安心感を得ることができます。専門家でなくても、同じ体験を持っていることが大きな力を引き出します。思春期の子どもを抱えている体験、あるいは心の支援を行っているという共通の立場が高い共感性を与えます。それに比べると「男性」という共通項はちょっと弱いように思えますが、実はタテではないヨコの目線から、批判されずに語り合えることがとても大きなパワーを導き出します。

グループで話し合っていると、「あっ、それ私も!」と思わず話さずはいられなくなる場面によく遭遇します。自分だけの悩み、うちだけの問題と思っていたことが、案外みんなに共通していることがわかり、ホッとします。

  • 自分だけの特殊な「ありえない」問題には、解決策が見つかりません。
  • それが、ある程度ふつうの「ありえる」問題に転換されれば、解決策も自ずから見えてきます。

他の人の話につられて自然に話し出してしまう自分の中で何かが変わります。それはカウンセラーや指導者から気づいてもらおうと意図的に届けられるメッセージではありません。他の人が自分自身のために発した言葉を、自分の中に取り込んで、自分で自分のための何かを見出すことができます。

グループという場の雰囲気に馴染みにくい、むしろ1対1の方が気楽と思う人もいらっしゃると思います。そこはファシリテーターである私の役目です。自助グループ(ファシリテーターがいない仲間だけのグループ)とは異なり、うまい具合に雰囲気を作っていきます。

ウェブサイトのイラスト

ウェブサイトのメイン・イラストが夏バージョンに変わりました。
ここに登場するの家族をご紹介します。お父さんは48歳のサラリーマン、お母さんは45歳の主婦&パート、娘は16歳の高校生、息子は12歳の小学生、それに73歳のおばあちゃんの5人家族です。名前はまだ付けてません。

これから季節ごとにストーリーが展開してゆきます。お楽しみに。
このイラストを書いているのは、私の元教え子のよしざきようこさん。
富山在住、新進気鋭のイラストレーターで、在学中から私のウェブサイトのイラストを描いてくれていました。
東京学芸大学には学校の先生を目指す学生が多いのですが、よしざきさんはそのつもりはなく、イラストの学校に通っていました。
この文章を載せてよいかよしざきさんに確認したところ、実は教員志望がはっきりしている友人たちの中で、私はどうしようか…と将来については結構悩んでいたそうです。

このイラストのイメージは私の希望なんですが、モロにアウトドア派の私のキャラが出てしまいました。ノスタルジックで癒し系、とても楽しめますが、季節限定ですね。9月になったら差し替えたいと思います。

2011年7月17日日曜日

ローマでの体験

 1997年6月、ローマのマウリッツィオ・アンドルフィーという著名な家族療法家のところに、世界中から12人ほどの家族療法家たちが集まる2週間のワークショップに参加してきました。

参加者たちは、みな精神科医や心理の専門家なので、臨床場面でのクライエントの話がテーマなのですが、突き詰めて話し合っていくと、自分自身と自分の家族の話に立ち戻っていきます。参加者の多くは、自分と親との関係が解決されないまま心に残っていることがわかります。特に、男性の場合は父親との関係が、女性の場合は母親との関係を問題にしているように思います。
家族というものが、どれだけ矛盾に満ちたものであるか、それは問題を抱えた家族に限らず、だれにでも存在することを思い知らされました。たまたま専門家として家族に関わる必要性から自分の家族を見つめ、通常は見過ごされる矛盾を言語化できる機会を得たから明確に見えてくるのですが、それは誰でもが持つ普遍的なことでもあるのです。

自分の感情や体験を否定することなく、どれだけ自分を理解し、それを表現できるか、それが人間として、治療者としての大きな力になることを体験しました。参加者と共に、自分の家族について、自分の父親についてたくさん語り合いました。ちょうど精神分析家がその訓練として教育分析、つまり自分自身の無意識について分析するのと同じように、家族療法家の訓練として、自分の家族について深いレベルで考えるきっかけとなりました。

家族で往復書簡のすすめ:新しい父親像を発見するために(彩流社)」より抜粋。

2011年7月8日金曜日

きわめて前向きな精神医療

今までの社会は「弱さ」に不寛容だった。

「強く」なければ生きてゆけない。そうしないと周りの世界から取り残されてしまう。
戦前・戦後、高度経済成長期まではそういう雰囲気だった。弱者をカバーする余裕が社会にはなかった。効率性を追及するためには、弱者、異常者を切り捨てるしかなかった。

バブル崩壊以降、成長神話が崩れ、上昇志向からいったん降りて「弱さ」を認める社会へ転換しつつある(と期待したいが)。
社会の弱さ、組織(会社、学校、家庭など)の弱さ、そして個人の弱さ。
障害や弱さを除外するのではなく、メンバーとして許容し受け入れていこうとする姿勢がバリア・フリーの理念だ。

社会全体がそれを心から受け入れるためには、だれもが持っているはずの自己の弱さを認めることから始めなければならない。自分の弱さを受け入れることにより、相手の弱さも受け入れることができる。
だれにでも強さと弱さの両方を持っている。その量と質が異なるだけだ。自分の弱さを認めず、自分は強い人間だと思い込んでいたら、相手の強さしか認めることができなくなる。

社会がそのような考えを認められるようになれば、「心の弱さ」もだれもが持つ一般的なこととして認められるようになる。
心の治療は「弱さ」を取り除くことではない。弱さを抱えつつ、いかに誰もが持っているはずの隠された「強さ」を見出せるか。弱さを抱えつつ、どう生きながらえることができるかという観点に変化してくる。
自分の「弱さ」を否定せず受け入れるためには、勇気が必要だ。それが達成できたら、本当の「強さ」につながる。

そうすれば、精神医療をマトモでない人を選別するという消極的な問題解決手段から、より良く、より強く生きるための積極的な問題解決手段として使うことができるようになる。
だれでも弱さを潜在的に抱えて、相互に頼り、支援されながら生活している。その弱さが顕在化したとき、積極的な心の支援を得ることにより、弱さを克服して、次の強さに向かうことができる。

弱さが顕在化するときとはどんなときか?
大きく分けるとふたつある。

1)だれにでも起きる、ライフサイクル上のターニングポイントとしての脆弱性

生まれてから死ぬまで、変化が顕在化するとき、一定のバランス状態(恒常性)から、次のバランスに乗り換えなくてはならない。家族システム理論では、第二次変化と呼ばれる。

第一次変化=システムの在り方は変えず、強度を変えることにより変化すること。車でたとえれば、アクセルを踏んでスピードを上げるように。

第二次変化=第一次変化だけでは足らず、システムの構造自体が変化すること。車でたとえれば、アクセルの限界が来て、ギアを入れかれること。ギア比という構造を変化させることにより、エンジンの回転数とタイヤの回転数の関係性を変化させる。

人の一生(ライフサイクル)を順に追い、心の弱さが顕在化しやすい時期を確認してみよう。

幼児期:赤ちゃんから子どもへの変化。自我の獲得が、第一次反抗期として現れる。

学童期は比較的安定していると言われてきた。しかし、家庭や幼稚園・保育園という小さく慣れ親しめる環境から、学校という公的な場への移行が「小1問題」として現れることもある。

思春期:子どもから大人への変化:気持ちの上で依存から自立へ大きく変化する。

進学・就職:経済的に養ってもらう受け身の立場から、自分で収入を得るという社会的責任と自信を獲得する。

結婚:永続的(最近はそうでもないが)で、安定した緊密で排他的な二者関係を形成し、維持してゆく。セックスなら馬でもできるが、関係を長期間維持することは人間しかできない。

出産・子育て:何もわからず生まれてきた子どもは全面的に親に依存する。それに持ちこたえ、安定した養育環境を提供する。親自身がしっかりしていないと、子どもをしっかり育てることは不可能だ。

子どもの自立・独立:子どもが成長し思春期・青年期を迎える。今まで育んできた親子の緊密な関係をほどき、子どもの船出を許す。大切なものを手放すことはとても辛く、勇気が必要だ。

中年期:身体的な衰えが明らかになり、身体のバランスが危うくなる。若いころのような無理は効かない。健康のバランスが崩れ、生活習慣病、メタボリック症候群、更年期障害などなど。さらには、退職による社会生活の撤退、親の介護と死別など、今まで持っていたものを徐々に放してゆく。やがて迫ってくる自己の終焉を受け入れるプロセスでもある。

このように、生まれてから死ぬまで、越えなければならないハードルが何重にも用意されている。うまく飛び越える人が偉いわけではない。だれだって、つまづくことが当たり前だ。そういうときこそ強がらず、自分の弱さを認めて、他者からの支援を受け入れることが大切だ。そうやって、力強く、ハードルを越えてゆけばよい。

2)突発的な出来事としての危機によるストレス

事故、災害、病気、喪失、、、

これらは、お決まりのコースとして順番に用意されてはいないが、だれでも起こりえる。予期できないだけに、突然襲ってきたときの痛手は大きい。
異常ではない。しかし、乗り越えられず、立ち止まってしまう場合も少なくない。
だれでも乗り越える力は潜在的に持っているはずだ。でも、それはソロで機能するわけではない。まわりの支えがあってこそ、だれもが秘めて持つ力(レジリエンス)が発揮される。そのお手伝いのひとつが精神医療でもある。

<まとめ>
弱いから、ダメだから、甘えているからではない。
だれもが経験する困難を前向きに乗り越える力を得るための精神医療。
それは、従来の病気の発見・治療という視点とは180度逆である。
私が新たな精神医療としてこのようなイメージを持っている。

精神科医療が日本で難しいわけ

日本では、精神科治療が積極的な問題解決手段であると認められていないという面があります。

だれでも自分に問題や異常があると認めることは困難です。
身体の病気と比べてみましょう。
私は先日、人間ドックに行きってきました。もう15年以上前から毎年受けています。今のところメタボすれすれくらいで、それ以上の異常は発見されていませんが、もし自分でも気づいていない異常が何か見つかったら、とてもイヤな気持ちになるでしょう。
早期発見・早期治療。医療者側に立てば、その重要性はよくわかるのですが、治療を受ける側に立つと、それはとても困難なことです。

内臓に影が見えました。
血液検査の数値が異常に高いです。
至急、精密検査を受けてください。
もしかしたらガンかもしれない。治る見込みのない病気かもしれない。

とてもイヤな気持ちになりますね。病院なんて行きたくない。行けば、その現実に突き付けられます。でも、行くしかないですね。勇気を出して病院に行きます。

「手術をします。家族を呼んでください。」

家族はびっくり、大慌て。でも非常事態、家族みんなで一致団結して困難を乗り切ろうとします。
治らないかもしれない、治るかもしれない。でも、そんな結果は二の次で、とにかくみんなで協力します。

精神科の場合、心の影は客観的には見えません。レントゲンにも血液検査にも反映しません。
何かがおかしくなり、日常生活がうまく回らなくなります。たとえば、仕事や勉強ができなくなったり、気分が塞ぎ、ふつうの生活に支障が出るなど。そのことをご本人が感じるか、あるいはまわりの人が気づきます。
そうなったらすぐに精神科や心理カウンセリングに行くかというと、そうでもありません。
精神科に行くのはとてもためらわれます。
日本の場合、勇気を出して行くというイメージではありません。
勇気が出ないから、仕方なく負け犬として行くというイメージの方が近いのではないでしょうか。

心の病気は治らないもの。
心の病気は、心の弱さから来ている。
甘えているだけ、怠けているから、心が未熟だから。人間ができていないから。
ダメな人間だから。

精神科医に行くということは、そのようなマイナスのレッテルが張られ、「ふつうの人」の道から外れてしまうという不安感があります。

昔の精神医療はスティグマ化、つまり異端者として辺縁に押しやられる精神障害者、狂人、理解不能な人として扱うための差異化の装置でした。
「精神病って治るんですか?」
その疑問の前提こには、もう治らない=別の世界に行く人、普通にはもどれない人という含みがあります。

そのように考える根底には、日本人の自然観があります。
我々は自然であることを大切にします。自然=「あるがまま」にしていれば、必ず自己治癒力が働いて、問題を乗り越えられるはずという究極の性善説です。

精神科に行くということは、その力をあきらめてしまっているとみなされます。心の問題なんて、自分の力で自然に乗り越えられなければいけない。それができないのは、弱い人、ダメな人なんだと。

日本でも海外でも旧来の精神病院はマトモでない人々を、マトモな社会から分ける役目がありました。精神科単科の病院の多くは社会から隔絶された町はずれににあります。まわりに誰もいない場所。収容所のように「狂人」を隔離していました。
アメリカ映画の名作、ジャック・ニコルソン主役の「カッコーの巣の上で」がその状況をよく表しています。私が若い頃、勤めていた病院もそうでした。

2011年7月5日火曜日

とりあえず「話し合おう」派と「考えてみます」派

「準備周到派」と「臨機応変派」に続く、ユング心理学の第二弾です。

外向派=「外の世界」が好き(Extroversion)=「話し合おう」タイプ
このタイプの人は、他人や世の中のできごとなど外の世界で起きていることに関心を持ちます。他の人と関係することが好きで、そこからエネルギーを得ます。
人と一緒にいることを好み、まわりに誰かがいる方が落ち着きます。
書くことより話すことが好きです。
自分を人に表現することが多いです。
関心を深めるより広げることが好きで、話しながらまとめて行きます。
一見、活発で興味・関心が旺盛に見えます。
いろんなひとと広く交流するのが好きです。グループでの話し合いを好みます。
聴くより話すことを好み、その時のはずみで質問したり、話したりしながら考えがまとまっていきます。

内向派=「内の世界」が好き(Introversion)=「考えてみます」タイプ
このタイプの人は、自分の内の世界起きている思索や体験に関心を持ちます。深く内省することからエネルギーを得ます。
人と一緒にいるよりは、ひとりでいることを好みます。
話すことより書くことが好きです。
自分のことをペラペラ話しません。
考えが十分にまとまってから話します。
興味を広げるより、今していることに集中して深く掘り下げることが好きです。
一見、静かで穏やかに見えます。
少数の人と深く関わるのが好きです。1対1のやり取りを好みます。
話すより聴くことを好み、じっくり考えをまとめ、時間がたってから話します。

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これも前回の話と同じく、どちらが良い・悪いということではありません。
外向的=活発で元気。
内向的=ネクラでオタク。
といったイメージがありますが、ここでいっているユングの内向・外向は、エネルギーの向き方の違いであり、一般用語の内向的・外向的とはちょっと異なります。

ここでも、同じタイプ同士だと何となくしっくりきますが、異なる場合、
内向の人は、外向の人が「よく考えずに口から出まかせ言っている」と感じたり、
外向の人は、内向の人が「なにもしゃべらないから、何も考えていないのでは」と受け取ったりします。
このような場合、外向タイプの人の言葉は必ずしもじっくり考えられた末ではないことを理解ます。
また内向タイプの人が沈黙していても内界では深く考えている場合もあることを理解します。

これはユング心理学にもとづくMBTIタイプ論による性格の理解です。私自身はユング派ではないのですが、これだけは理解しやすいので使っています。全部で4種類あるので、あと2種類紹介しますのでお楽しみに。

自分のタイプを知ると、なかなか便利ですよ。少なくとも、血液型よりは。

2011年7月4日月曜日

心の支援者のための月例研究会

7月1日(金)に第1回心の支援者のための月例研究会を開催した。
開業からまだ2週間ほど、PRも行き届いていないので果して参加してくれる方はいるのだろうか。はじめの何回かは参加者ゼロになるんじゃないかと思っていたら、予想を超える6名の参加があり、とても嬉しく思いました。

講師が一方的に語るような講義形式の研究会を予想していた方、グループ形式の研究会の経験がない方もいて、始めは戸惑い、緊張していた方も2時間終了する頃には打ち解けて、多少ともこの研究会の主旨・やり方など理解していただけたのではと思います。

研究会で話題になったことを、アトランダムにいくつかご紹介すると、、、

  • 複数の人々との関係づくり

家族療法が個人療法と異なる大きな点は、個人ではなく複数の人を対象としていることです。カウンセリング、あるいは心の支援の基礎となる信頼関係を1対1の関係ではなく、複数の人とどのように作っていくかとても大切です。このプロセスに十分配慮し、うまくいけば家族への支援は半分うまくいったと言っても過言ではありません。逆に言えば、このプロセスが不十分だと、その後、どんなことを行ってもうまくいきません。
家族メンバーはお互いに立場や考え方・見方が微妙に異なります。ひとりの人に理解・共感すると、その人と意見を異にする(対立する)人とはうまく関係がつけられなくなってしまうのではないか。そこをどう考えるかがとても大切です。
ひとことで言えば、
・事実レベルの共感ではなく、そこから一歩引き上げたメタ・レベルでの共感。
・差異の根底にある共通点さがし。
ということになります。


  • 年上の家族への対応

親など、自分よりも年齢の上の人にどう対応したらよいのか。
若い支援者にとって、自分には子どももいないし、結婚だってしていないし、自分が経験していない夫婦関係や子育てのことは扱いにくいと感じるものです。
それを、どう乗り越えたらよいのか。
「若さ」を弱みから強みに変換するにはどうしたらよいのか。


  • 漠然とした感情と、具体的な感情

つらい。苦しい。イヤだ。気持ちがざわざわする。
これらは、非特異的な否定的な感情を表す言葉。
こういうい言葉が出てきたら、気持ちを掘り下げてゆくport of entryにたどり着けたチャンスです。
無理せず、やさしく、丁寧に、その気持ちを深く伺っていく。


怒り。悲しみ。恐怖。喜び。
これらは、特異的・具体的な感情を表す言葉。
この言葉が聞かれるまで、丁寧に掘り下げていく。

以上、簡単に研究会の片りんをご紹介しました。

2011年7月2日土曜日

35年ぶりの再会

 今回の海外出張で得たもう一つの収穫は、高校留学時代の親友に35年ぶりに再会できたことだ。
留学先のNorth Carolina州の高校で一番仲の良かったEddieとFacebookで再会し、Baltimoreに住んでいることがわかり、最終日に会いに来てくれて夕食を共にすることができた。
高校時代のEddieは積極的・発展的なボスキャラで、遠い国からやってきた英語もおぼつかない留学生にいち早く近づき、子分にして、よくつるんで遊んでいた。
35年ぶりのEddieは貫録も体重もたっぷり、最初誰だか分らなかったが、ボスキャラ性格は昔と変わっていない。学問・進学を志向したわけではない。高校時代は空手で鳴らした腕で隣の高校の悪ガキたちと渡り合った武勇伝を昨日のことのように生き生きと語る。高校を卒業し、軍隊を20年間勤め上げた後、ビジネスの世界に転じた。今は米国内を忙しく飛び回っている。
家庭生活もユニークだ。2回の結婚でそれぞれ作った2人の子どもたちは30歳と11歳になり、二人目の妻と住む下の息子と定期的に会っている。15歳下の美人女優のgirlfriendと二人でニューヨーク郊外に広い庭付きの豪邸に住んでいる。日本なら、安定した家族を築かない不埒な男とみられてもおかしくないが、アメリカではそういう見方はしない。自分の人生を自由に選び取り、成功した男としての自信に満ちていた(昔からそうだったが)。

2011年7月1日金曜日

American Family Therapy Academy参加記

Baltimore⇒Chicago⇒東京への帰路の機内にて。

今回のAFTA参加は2007年のVancouver大会以来だから4年ぶりの参加だった。
ふたつ口頭発表した。
ひとつは、ひきこもり青年とその背景にある日本文化について。
ひきこもりは日本独特と言われているが、本当にそうなのか。フランスにもタンギ(?)という映画があって、ひきこもりに近い状態だそうだ。どの文化にも見られることは見られる。しかし、日本ほど大きな社会問題にはなっていない。それはなぜだろうかというあたりを比較文化的に考察した。その具体的内容はまた別に書きます。
もうひとつは大震災について。3月11日の後に、アメリカに住むAFTAのメンバーたちから、日本は大丈夫!?なんていうお見舞いメールが何通か来た。それに返信する形で日本の状況を書いたら、日本の震災に支援に関する緊急ワークショップを開いてくれた。プログラム原稿の締め切りがとっくに過ぎて、印刷に出す直前だったのに、臨機応変に組み込んでくれた。海外でも震災と原発事故に対する関心は非常に高い。予想以上に多くの人が集まってくれた(と言っても10人くらいだったけど)。

ほかに参加したのはGender InstituteとMen's Institute。この学会は小規模(参加者200名くらい)でレベルが高い。30代以下の人は少なく、40代以上のskilled therapistsばかり。Gender Instituteでは自分のジェンダー体験を語り合う。出されたお題は3つ。
  1. Share some of your important experiences of gender that have shaped you as a person. How has your experience of gender evolved over time? Share any transformational moments that have affected your expression of gender.
  2. How has your experience and expression of gender been influenced by race/culture/class/sexual orientation/religious beliefs/generation and over variables of your identity?
  3. What experiences of gender have involved feelings of loss or fear? What aspects of gender have been rewarding and joyful?
8人のsmall group discussionで話し合えたことは(1)のみで1時間の時間切れ。続いて、全体80名くらいで集まり、今度はgeneration別に話し合ったことのfeedback。Fish bowl、つまり内側サークルの語りを外側サークルのaudienceが聞くという、この業界では割と定番のやつ。これは、男女ともに参加できる。
私が一番楽しみにしているMen's Instituteは男性のみの参加。Genderという属性でくくったsimilarityは、ethnicityを超えて参加者に大きな安心を与える。しかし、残念ながらLGBT (Lesbian, Gay, Bisexual and Transgender)の人たちは来ない。Gender/Sexualityは人々の帰属意識をつよく作り上げる。Generation(年齢)も同様。何を語っても対立構造を生まないという安心感が、深い語りを促す。
AFTAはwhite, middle class, professionalのみの集団だ。Ethnic minorityも少ない。日本人は私ひとりだけだから、グループではない。Dominant groupに対抗するminority groupさえ形成されない。「例外」として参加しているようなものだ。

自分の発表と、これら参加型ワークショップ以外はほとんどパスして学会会場と同じホテルの部屋で寝ていた。今回は5日間という短い滞在だから、時差ボケを修正せず昼夜逆転状態、つまり昼間寝て、夜中に起き出して仕事をしていた。おかげでけっこうはかどった。

若いころ、学会は最新の情報を得る「学びの場」であった。最近は、あまり人の発表を聞く気はしない。別に、偉くなったわけではないのだけれど、、、。
今はむしろ人との交流の場、意見交換の場として利用している。大ホールのplenary sessionには興味がわかず、10-20人くらいの少人数ディスカッションが楽しい。

2011年6月30日木曜日

やる気のエンジンの切り替え時期(=思春期)

将来の目標もなく、クラブ活動など好きなこともなく、ただ家でゲームの毎日です。試験前も勉強せず、「今の日本はクズばかりだ。将来はバイトでもしてゲームができればいい」と言います。

自分の実力をあきらめてしまい、あとちょっとという努力をしない子どもに、どうやったら本人を動かすことができますか?

勉強に努力する姿が見られず、結果も出てこないのでもっと努力するように言うと「一生懸命がんばっているんだから」と言います。やる気を出させるために親は何ができるでしょうか?

疲れてしまって眠いときが多いです。成長期(寝る子は育つ)かなと思って寝かせていましたが、大丈夫でしょうか。物事をクールに考えすぎているように思います。でも、クラスや部活の事とかはきちんと時間を守って参加していますが、もっと熱くなってほしいです。

やらなくてはいけない事は後まわしで、ダラダラ ダラダラ・・・。そのたびに「早くしろ」「やらないでどうするの?」と自分でもイヤになります。放っておけば本当にやりません。どこまで言ったらいいのか、放っといていいのかわかりません。

時間の感覚がありません。「あと5分よ」と言っても、焦るわけでもなく、超ゆっくり。結局こちらが焦りまくる毎日です。時計は読めるのに、「あと何分だからこうしよう」と時間の管理ができないのはなぜでしょう?

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小中学校の保護者向け講演会では、事前にどんなことをお知りになりたいか伺います。これらは、実際にあったご質問です。

さあ、どう考えたらよいのでしょうか?
私は、よく車のエンジンの比喩を使って説明します。

人ががんばって前に進むためには、やる気の原動力(エンジン)が必要です。
大人は、自分のエンジンを持っています。
幼い子どもは、自分のエンジンをまだ使えません。親のエンジンを使って、しっかり子どもを動かしてあげなければなりません。子どもはどう前に進んでよいのか、どちらの方向に進んでよいのかわからないので、親がよく見守り、ひとつひとつ丁寧に指示しなければなりません。それが親の果たすべき責任です。

思春期は、親のエンジンから、自分自身のエンジンに切り替わる時期です。車は基本的にエンジンがひとつですね。ふたつもあったら暴走してしまいます。だから、子どもがエンジンを使い始めたら、基本的に親のエンジンを止めなくてはなりません。

勉強に努力する姿が見られず、結果も出てこないのでもっと努力するように言うと「一生懸命がんばっているんだから」と言います。やる気を出させるために親は何ができるでしょうか?


そう。自分なりにはがんばっている=つまり、自分のエンジンを試し始めたのですね。
でも、新しいエンジンは調子がうまく出ません。ブスブスエンストばかり起こして止まってしまいます。さあ、困った。でも、困るのは誰でしょう?自己責任。自分で責任をとることを学ぶには、自分が困らなければなりません。親が困ってくれれば、きっと親が何とかしてくれると期待しますから(親責任)、自己責任は学べません。
では、親は何もすることがないのでしょうか?

自分の実力をあきらめてしまい、あとちょっとという努力をしない子どもに、どうやったら本人を動かすことができますか?

親が動かしちゃったらダメですよ。それは親のエンジンを貸してやることになりますから、本人のエンジンは使わなくて済みます。
エンジンを動かすガソリンは自信(自己達成感)、つまり、「努力すればきっと報われるに違いない」という肯定的な見通しです。それはそう簡単には得られません。小さな成功体験を積み重ねていくなかで、少しずつガソリンを蓄えてゆきます。

疲れてしまって眠いときが多いです。成長期(寝る子は育つ)かなと思って寝かせていましたが、大丈夫でしょうか。物事をクールに考えすぎているように思います。でも、クラスや部活の事とかはきちんと時間を守って参加していますが、もっと熱くなってほしいです。

ずいぶん熱いお母さんですね(良いことですよ)!
この時期に親ができること⇒良いところ探しです。
「クラスや部活のこと、すいぶんがんばってるのねえ。それ、とても良いと思うわ!」
親が子どもを肯定的に見てあげることで、子ども自身も自分のことを肯定できるようになります。
すべてをほめちぎって、おだてるのとはちがいますよ。
ダメなところは、はっきりダメだと指摘することも親の役目です。
でも、子どもは悪いところばかりでなく、必ず良いところも持っています。
それを親が見つけ出してあげること。それが親の力です。すぐに見つけられれば良いのですが、見つからない時はどうしたらよいでしょう?トリフュ探しよりも難しいかもしれませんよ。

将来の目標もなく、クラブ活動など好きなこともなく、ただ家でゲームの毎日です。試験前も勉強せず、「今の日本はクズばかりだ。将来はバイトでもしてゲームができればいい」と言います。

将来の目標さがしも思春期の難しい課題です。
子ども時代は、サッカー選手になりたい、アイドル歌手になりたいと素朴な夢を抱けましたが、現実が見えてくる思春期には、将来の夢の再構成をしなくてはなりません。そう簡単に見つかるものではありませんね。それまでは、やる気のエンジンもかなり不調のままです。

やらなくてはいけない事は後まわしで、ダラダラ ダラダラ・・・。そのたびに「早くしろ」「やらないでどうするの?」と自分でもイヤになります。放っておけば本当にやりません。どこまで言ったらいいのか、放っといていいのかわかりません。

もう一、度伺います。
放っておけば本当にやらないのですか?
どれくらい放っておきましたか?
30分?
半日?
一週間?
子どものエンジンは、そうすぐに動き出すものではありません。
場合によっては何年もかかることさえあります。
その間、親は焦りまくりますね。
まわりのお子さんは、ビュンビュンとスピード出して進んでますから、うちの子だけ取り残されそうでとても不安です。とりあえず、親のエンジンを差し出せば動くんですけど、本当にそれで良いのでしょうか?

子どもを信じてあげましょう。
親自身の自信が大切になります。
自信=この子はきっと大丈夫に違いない、今はエンストしてるけど、そのうち動き出すに違いない、という肯定的な見通しです。
焦りや不安に負けてしまってはいけません。
あまり近くで見過ぎていると、細かいところが見えてきてどうしても気になります。
少し距離を開けて、薄眼で見ているくらいがちょうどよいのです。
子どもが幼い時は、距離を詰めて、近くからしっかり見てあげないといけません。
思春期は、それとまったく逆になります。

時間の感覚がありません。「あと5分よ」と言っても、焦るわけでもなく、超ゆっくり。結局こちらが焦りまくる毎日です。時計は読めるのに、「あと何分だからこうしよう」と時間の管理ができないのはなぜでしょう?

「時間の感覚失調症」という病気は存在しません。
子どものエンジンはのろのろ、プスプス調子が悪いですね。その姿をじっと観察して、焦りまくる親の気持ちもよくわかります。
でも、根底の部分で子どもを信頼してあげることができれば、焦らず見守ってあげることができます。親の責任じゃありませんね。
遅刻するのも自己責任。成績が下がるのも自己責任。
そうやって、子どもはだんだんとエンジンの調子を上げてゆくことができます。
そうなるまでは、もう少し時間がかかりそうですね。

2011年6月23日木曜日

「思春期子育て塾」へのお誘い

思春期は、心と身体が大きく成長する時期です。
今まで、あんなに可愛く、なんでも言うことを聞いていたうちの子が、、、
親に反抗したり、逆にべたべた甘えてきたり
何かにがんばっているなら良いのだけど、やる気をなくし、だらしなくゲームやテレビばかりに熱中して、やるべきことをやってない!?
それに、友だちとのトラブルや傷つく体験もけっこうあります。
学校は忙しくなり、勉強も難しく、先生も厳しくなります。塾に行かせるべきか。目の前には受験・進学というハードルも迫ってくるのに、、、

このままで良いのだろうか?
この先、どう子どもに接したらいいのだろうか?
親は黙って本人に任せた方が良いのか。親としてもう少ししてあげることはないのか?

思春期の子育ては戸惑うことばかりです。
思春期子育て塾は、そのような保護者の方々に向けた講習会です。
子育てに正解はありません。完璧な子育てもありえません。子育ての方針はそれぞれの家庭で異なります。この講座は正しい子育てをお教えするものではありません。でも、親が安心して元気に子どもに接することができると、子どもも安心して元気に育ってゆきます。2時間、ご一緒に話し合う中で、家族に向き合う元気を取り戻します。
お子さんの年齢制限はありません。10代はもちろん、これから思春期を迎える小学生、あるいは思春期をまだ卒業していない20代のお子さんでもOKです。みなさんのご参加をお待ちしています。申し込み方法などの詳細はウェブサイトをご覧ください。

2011年6月21日火曜日

「準備周到派」と「臨機応変派」

ユング心理学によると、どのようにまわりの世界と接することを好むか、ふたつのタイプに分かれます。

準備周到派=「すぐに手を打ちましょう」のタイプ(判断的態度)
このタイプの人は計画や秩序に基づいて行動することを好みます。
まず判断を下し、ひとつのことに決着をつけてから、次のことに進みます。ものごとを体系立てて行い、規則正しく整理された状態を好みます。始めに決めたことちゃんとをやり遂げることに喜びを感じます。

臨機応変派=「しばらく様子を見ましょう」のタイプ(知覚的態度)
まわりの状況にあまり捕らわれず、柔軟に行動することを好みます。
計画をきちんと立てることは束縛と感じます。まわりの状況の変化に応じて、臨機応変に対処することに喜びを感じます。
このタイプの人は、仕事を最後まで引き延ばします。あれこれ思案しているだけで、あるいはほったらかしにして、なかなか仕事に着手しようとしません。結局、お尻に火がつくギリギリ最終段階になって、やっと腰を上げて一気に仕上げようとします。

このふたつのタイプはどちらが良くて、どちらが悪いという話ではありません。
どちらも良い点と悪い点があります。
準備周到派の良い点は、計画的で、きちんと締め切りを守ります。悪い点は、始めに決めたことに固執し、状況の変化に弱いことです。
臨機応変派は、状況が変わっても柔軟に対応できます。悪い点は、優柔不断で曖昧、意見や考えがころころ変わります。

他人と協力して何かをやろうとする場合、相手が違うタイプだと苦労します。
準備周到派にとって、臨機応変派の人はだらしない、決断力がない、仕事を先延ばしにして、マジメに取り組もうとしていないと感じます。
その逆に臨機応変派にとって、準備周到派の人は杓子定規で硬い、柔軟性に欠ける、キチキチしすぎていると感じます。

では、同じタイプの人同士が良いかというと、必ずしもそうではありません。
準備周到派同士だと、お互いに細かいことが気になり、計画が決まらないとイライラしてしまいます。
臨機応変派同士だと、のんびり構えすぎて、仕事が終わりません。

では、どうしたらよいのでしょう。
まず、自分はどっちのタイプなのかを知ります。何となく自分はこっちだなとわかったりしますが、いくつかの質問に答えることで自分のタイプがわかる心理検査(MBTI心理テスト)があります。手に右利きと左利きがあるように、だれしも、準備周到か臨機応変化、どちらかが得意です。その逆のタイプのようにふるまおうとすると、とてもストレスを感じます。
そのような時、自分と相手のタイプに合った振る舞いに心がければ、無理なくうまく物事を進めることができます。

私は典型的な臨機応変派と自認しています。
3月締め切りの原稿をまだ仕上げられず、編集者から鬼の催促が来ています。
明日からアメリカに出張します。アメリカの学会で、「東日本大震災の心のケア」と、「日本青年のひきこもり」というふたつの発表を行う予定です。でも、その準備をぜんぜんしていません。忙しくて時間がないわけでもありません。現に、このブログ原稿を書くヒマがあるんだったら、さっさと取り掛かれば良いものを、何となく気持ちが乗らず、ギリギリまで引き延ばしています。
この手で失敗することもあるのですが、うまくいけば、土壇場まで追い詰められた状態で、今までなかった新たなアイデアが天から降臨してきます。前の段階ではそういうことはありえません。良い言い方をすれば、降臨の時を静かに待っている具合です。
ひとりで取り組んでいる分にはそれでも良いのですが、チームで仕事をする場合は、どうしても相手に迷惑をかけてしまいます。それは、準備周到派の人だと顕著です。そういう時は、全体の見通しの計画を具体的に伝え、なるべくその枠組みを尊重するようにします。どうしても変更せざるを得ないときには、そのことを明らかにして、相手によく説明して理解を求めるようにします。(と、頭ではわかっているのですが、なかなかうまくいきません)

あなたは、どちらのタイプですか?
実は、簡単な質問に答えることにより、自分のタイプを判断することができます。

田村毅研究室では、自分のタイプを理解することから相談やセミナーを始めます。

中学生の盗癖

中学生の息子が、何度か家族のお財布からお金を抜き出すことがありました。二度としてはいけないと厳しく叱ったのですが、こりずに何度も繰り返します。買いたい物がある、というよりも、ストレスから極端な買い物をしているように思えてなりません。
子どもが小さいころ、夫とは離婚しました。
学校の保健室の先生にそっと相談したら、週に1回学校にカウンセラーが来ているから相談してみてはと勧められました。でも、子どもにどうやって切り出したらよいかわかりません。やはり、親が離婚すると子どもは問題を持つようになってしまうのでしょうか?

  • 子どもの頃の盗癖は、比較的よく見られます。将来、犯罪を犯すような人間になってしまうのかと親は心配しますが、そんなことはありません。子どもの場合、一時的な行動で、しばらく経てば収まる場合がほとんどです。
  • 子どもに精神的なストレスが加わると、それが万引きや盗癖のような問題行動として現れることがあります。「いけないことはいけない!」とはっきり伝えることは大切です。しかし、それでも収まらずに繰り返す場合、子どもや子どもをとりまく環境に、なにか気になることやストレスがないかどうか確認してみてください。
  • やはり親の責任なのか。親がちゃんとしていないからこうなるのか、、、と自信を失ってしまう保護者の方が多いのですが、決してそんなことはありません。子どものストレスは、勉強、学校、先生、友人関係など、さまざまな要因があります。確かに家族がストレスの由来であることもありますが、それだけではありません。「親の責任」「家族に問題があるから」と短絡的に考える必要はありません。
  • ひとり親だと、子どもに問題が起きやすい、、、という図式も関係ありません。確かにふたり親に比べ、ひとり親は何かとハンディを負う場合があります。しかし、それはふたり親がちゃんと協力できている場合のこと。親がふたりいても、うまく協力できなければ、むしろひとりで頑張れた方が良い結果を生む場合もあります。
  • 子どもの環境にどんなストレスがあるのだろうか?親や家族は子どもとの距離が近すぎて、客観的に判断しにくいものです。そのようなときに、第三者に相談してみることは大切です。学校の担任の先生、保健室の先生、学校カウンセラーなど、もちかければ快く相談に乗ってくれるはずです。親だけで我慢して頑張ってしまうとよくありません。客観的に見てくれる誰かの視点を含めることで、思わぬ解決策が見えてきたりします。
  • 自分の悩みやつらい気持ちを心おきなく話すカウンセリングは、ストレスの緩和によく効きます。しかし、それはあくまで本人がそうしたいと望んでいる場合です。大人は自分自身を深く見つめ、気持ちを言語化できますが、子どもはなかなかできません。女性は気持ちの言語化が比較的得意ですが、男性は不得意です。思春期の女子は、信頼できる大人に悩みを打ち明けたりしますが、男子はなかなかカウンセリングをうまく利用しません。もう少し小さい小学生くらいまでなら、言葉の代わりに遊びを用いたプレイ・セラピーを利用できますが、中学生段階は言葉も遊びも使いにくい、難しい年頃です。
  • もし、中学生本人がカウンセリングに乗り気でない場合、代わりに親が継続してカウンセリングを受けてみることも有効です。親が元気になって、子どもへの接し方を変えることができたら、子どもも元気になり、問題の行動が自然に消えていくことも少なくありません。

2011年6月19日日曜日

家族療法の考え方

内覧会にお集まりいただき、ありがとうございました。

人が集うって、素敵だと久しぶりに思いました。

そうなんです。それがすべてだと思うんです。

心の問題ってどのようにして起きるか、大きく3つに分けられます。

  1. 身体のレベル。特に心の問題の場合は脳の代謝の変化によって起きる。
  2. 心理のレベル。どう感じて、どう考えるか、気持ちレベルの変化によって起きる。
  3. 人間関係のレベル。(身近な)人との関わりの変化(ぎくしゃく)によって起きる。

どれも正しいんです。というか、この3つのレベルがお互いに関連した結果として、ひとつの「問題」として結実します。
たとえば、お父さんがリストラにあい、家族関係がぎくしゃくします(人間関係のレベル)⇒イライラ、不安感が強くなる(心理のレベル)⇒よく眠れなくなり、朝も起きれず、やる気が低下して(身体のレベル)⇒学校に行けなくなる、という具合に。
これは、わかりやすく単純化した例ですが、実際はもっと複雑に絡み合っています。

このように、心の問題をどう見立てるかによって、解決の見通しが異なってきます。

  1. 身体のレベルから攻める場合、身体、特に脳神経系に効くお薬を使います。上記の例でしたら入眠剤や安定剤を投与して、よく眠れるようにして、身体をすっきりさせるというように。
  2. 心理のレベルから攻めるには、一対一でじっくり話し合います。イライラした気持ち、不安な気持ちなどを表現し、どう考えたらよいのか気持ちを整理します。その結果、新たな見方や希望が生まれてきます。
  3. 人間関係のレベルから攻めるには、心の問題の背後にある人と人との関係性をチェックし、うまくいくように支援します。上記の例だったら、家族関係をどうにかぎくしゃくしないように調整します。ハローワークではないので、お父さんに仕事を見つけてあげてリストラ問題をどうにかするなんてことはできません。リストラという家族ストレスが加わった状況の中でも、ぎくしゃくする場合と、ぎくしゃくが軽くなる場合があると思います。そのあたりに焦点を当てます。その結果が功を奏せば、子どもも元気になって学校に行けるようになります。

この3つのレベルをうまく使い分けることが大切ですが、どこに焦点を持ってくるか、問題の性質によって異なります。

  1. 心の問題の背後に、統合失調症や自閉症など、身体の病気が隠されている場合、身体レベルの治療(=お薬)が効きます。
  2. 自分の心のありように悩み、だれかと話したい、気持ちを整理したいと願っている場合、つまり動機づけが高い場合、カウンセリングによる心理レベルの治療が効きます。
  3. 人間関係のレベルから攻めるのが有効なのは、人間関係のぎくしゃくが心の問題に大きく影響していると考える場合です。だれがそう考えるか、それは問題を抱えた本人、身近に関わっている人、あるいはそれを客観的に見立てる支援者・周りの人のいずれでも構いません。あるいは、人間関係そのものを修復したい(夫婦関係とか)も、ここに含まれます。

心の問題は身近な人との関係の中で生れ、身近な人との関係の中で癒される。

身近な人との関係の中で生まれているなあと感じる場合、人の力を借りた治療はとても有効になります。身近な人ってだれ?友人や恋人もそうだけど、家族はとても身近ですね。家族の持つ力に焦点を当てるのが家族療法です。
上の命題の「身近な人」を「家族」に限定してみましょう。

心の問題は家族関係の中で生れ、家族関係の中で癒される。

ということになります。
「家族の悪いところを治療する」
という考え方ではありません。家族のせい(家族原因論)、家族が悪いから(家族病理論)ではないんです。もちろん、完璧な家族はありませんから、家族だって悪いところはたくさんありますよ。でも、そんなことどの家族でも同じです。
家族は絶大なパワーを持っています。
そのパワーがマイナスに働くと、人の心の健康に大きなダメージを与えます。
逆に考えて、そのパワーをプラスに働かせることができると、心の問題を解決するための絶大な資源となりえます。

そりゃあ、そうだ。納得できるけど、じゃあ、どうやって?
それが家族療法なんです。
マイナスに働いてしまっている家族パワーを、プラスにひっくり返す術。
そんなことできるの?
そこが職人技なんですよ。
外科手術みたいに、職人のパワーを全開にするわけではありません。
家族の持っているパワーを使います。もともと、家族は大きな力を持っていますから、その方向性をひょいと転換してあげます。その勘所さえつかんで、要所をちょっと押してあげる。もちろん、押す時にパワーは必要ですが、家族の持っているパワーと比べたらたいしたことありません。その結果、家族は自分たちの持つ癒しの力(healing power)を使い、免疫力で傷口を癒すように、自然に問題が消えてゆきます。

人が集うと、傷つきます。
そういうことってたくさんあります。

でも、それと同時に
人が集うと、とても素敵です。

2011年6月18日土曜日

Stigmatized psychiatry vs. Positive psychiatry.

陸前高田は、日本の伝統的コミュニティはどこでもそうだが、精神医療(メンタルケア)が辺縁化されている。市の中心にあった市民病院には内科・外科はそろっているが精神科はない。市内唯一の精神科は収容型の精神病院が町の外れの山際にある。前者は被災し、後者は津波の被災を逃れた。


日本の(世界の)従来の精神医療は、正常から異常を選別し、「狂気」のラベルを貼り、偏見と共にmainstreamの社会から排除する。その前身は「座敷牢」だ。専門家の役割は、なるべく正確(妥当)なラベルづけの作業。そのために疾病論や操作的診断技術(DSMなど)が発達してきた。


私の目指す精神医療はちょっと違う。Mainstreamの中での精神医療だ。異常を対象とするのではなく、正常を対象とする。つまり、誰でも経験するnormalなlife-cycleのtransitionの中での危機を乗り越え、よりpositiveに生きるための支援である。具体的に言えば、

  • 出生~子ども~思春期~大人への発達の危機(発達課題が複雑であればあるほど、それを滞りなく達成することが難しくなる。たとえば、社会性獲得の危機としてのひきこもりなど)
  • 親密性の獲得~パートナーシップ形成における危機(marital therapy)
  • 中年期における危機(社会的役割獲得の困難さ、更年期障害など)
  • あるいは、事故・災害などによるトラウマ、対象喪失による悲哀など。

これらの問題は病気(異常)ではない。誰もが遭遇する人生の危機である。これをうまく乗り越えられないと、社会的機能が低下し、悪循環の末、結果的に病理化されてしまう。
それを未然に防ぎ、より健康に、positiveに生きるための支援を目指している。だから、診断も、抗精神病薬も必要ない。クライエントが望めば差し上げるけど、それを与えることが目的ではない。
困難さにより凍結した人生を、再び動き出すための支援は、言葉の中から生まれる。

2011年6月15日水曜日

ユニバーサル vs. ローカル・デザイン

内覧会に来てくれた、ファンクラブの方の感想。

広々ととした相談室のソファーに腰かけた時、この空間で、いろんな人が、いろんな感情と出会い、いろんな感じ方を知り、いろんな無意識を揺さぶられ、お互いの見方がほんの少し変わった気がして、お互いを前よりも尊重できるかもしれない自分に気付き、これまでのごたごたが、必要で尊いものと感じられる・・
そんな空気が流れたりするのかな、とわくわくと嬉しい気持ちとしんみりした神妙な感覚を味わいました。そして、そのリードを先生がされるんですよね。
(たぶんカジュアルな服装で)凄いかっこいい!!!楽しみ!!!

ただ、1つ残念なことがありまして・・・・。既に、お気付きかとも思いましたが建物のアプローチがスロープなしの階段でしたねっ。早い話ユニバーサルデザインじゃなかったわけで・・。

いや、指摘されるまで気づきませんでしたよ。
20件近く物件を見て回り、これに決めた私の責任ですね。
竣工したのが90年代のバブル時代だったので、内装などバブリーでしょ。でも、その頃は、universal designまで配慮が行かなかった。気づかなかった私も90年代で止まったままなのか。
でも、私の研究室の価格設定がそもそもuniversal designじゃないですよね。多くの人にaccessibleではなく、localでselected designになってしまった。それは、残念なことです。

服装もどうしようか迷っているんですよ。
Selectedでフォーマルな服装にするか。
カジュアルでいくか。
といっても、前者のような服は持っていないので買い揃えなくちゃ。というか、そもそもセンスがないので、難しいかも。ということは、後者で行くしかなさそうですね。それも、残念なことかも!?

2011年6月14日火曜日

ひとり温泉で心を整える

サッカー日本代表の長谷部誠が著した「心を整える(幻冬舎)」が書店に山積みになっていた。「心、、、」をテーマにしたベストセラーだったので手にとってみた。「孤独に浸かるーひとり温泉のススメー」という見出しが目に飛び込んだ。

孤独な時間だからこそ、できることがある。
自分にとって本当に大切なものは何なのか、そういう自分と向き合える時間を作るのに「ひとり温泉」はうってつけなのだ。

二週間ほど前、開業準備の忙しさを縫い、ひとりで草津温泉に行ってきた。草津は行き慣れた場所だ。高級志向なら老舗の大阪屋、奈良屋、益成屋。子連れで遊びたいならプールやアウトドア設備の整っている中沢ヴィレッジ草津ナウリゾートホテルが良い。でも、私が一番よく使っているのは老舗だが手ごろな村松屋だ。草津に数ある源泉の中でも湯畑の湯は肌に柔らかい。熱い硫黄泉が身体に染み込んでいく。
しかし、今回はあえて趣向を変え湯畑を見下ろす大型旅館のホテル一井にした。早々にチェックインしてひと風呂浴びてから、部屋でノートPCを開ける。ひとりだから集中できるはずなのに、なかなか気分が乗らない。夕食は宿では取らず、前々から狙っていた洋食屋どんぐりに行く。週末はひと月前でも予約が取れないほどの人気店だ。ビールと夕食後のひと風呂ですっかり眠くなってしまった。せっかくのひとり時間を有効に使おうと思ったのに。
その分、翌朝は早く起き、チェックアウトまでゆっくり部屋で原稿に向かった。

旅は道連れ。ひとりは寂しい。しかし、その寂しさを敢えて選ぶことで、家族や友人との旅とは別種の愉しさが見えてくる。帰りの電車の中でもお気に入りの本を読みながら赤ペンでメモを書き込む。時間と気持ちに余裕がないとできないことだ。
長谷部誠の本はなかなか良い。よく言われる「心を強くする」「心を治す」「心を磨く」ではなく、「心を整える」という表現は柔らかい。その対極の表現と比較するとよくわかる。
心が弱い強くする
心が病んでいる治す
心が曇っている磨く
心が弱かったり病んでいたら、それを強くしたり治すのは大変だ。

心が乱れている整える
乱れているだけなら一時的な状態。ちらかった物を整理すればよい。病理として扱うのではなく、だれでも起こりうることとして気軽に考えることができる。

本には彼なりの心の「整え方」が具体的に紹介されている。弱冠27歳で成功した一流選手に啓発され、寄るとし53歳の(成功しているかどうかはわからないが)精神科医が自分の心をどう「整えて」きたのかよく見えてくる。なるほど、こんな風に書けばわかりやすいね。そのいくつかを、今後も紹介していこう。
当研究室のセミナー男のメンタル・トレーニングも彼の本から借りてきた。

ドイツでは最近メンタルトレーナーを採用するチームが増えてきた。


治療やカウンセリングよりトレーニングという言葉が男性には受け入れやすいと思ったのだが、どうでしょう?

2011年6月3日金曜日

アイデアを形にしてゆくプロセス

家族療法の学会で今日・明日は静岡にいる。
開業準備で十分忙しいのに、押し寄せる忙しさに流されるのはイヤだ。
自分がやりたいこと、motivationを高められることを敢えて選択したい。

この時間の大会シンポジウムは興味が薄いのでサボり、ひとり休憩室でノートPCに向かっている。この後のセッションには出るから、帰るわけにはいかないので。

頭の中にモクモクと雲のように湧いてくるアイデア。それをpin downするのが難しい。漠然としたイメージの世界なので、ちょっと違うことに意識が向いてしまうと、もう消え見えなくなったりする。紙やPCに文字化して書きだそうとしても、なかなか言葉にならない。アナログなイメージとデジタルな文字の間にはギャップがある。
ツイッターで、まずとりあえず書き出す。そして、あとからそれを成型していく。乗っているときには、モヤモヤ・モクモクを描き出していくのが楽しい。だんだんとカタチになっていく。それをさらに整理して、読みやすいようにするのもなかなか難しい。書いている最中でも、どんどんイメージが発展・変形しちゃうので、ひとつのところに留まらず、拡散してしまう。

さて、こんなことを言っていないで、ウェブサイトの原稿を書かなくては!

2011年6月2日木曜日

いよいよ6月

今日も、なんだかわけのわからない一日だった。
オフィスにほぼ一日居たのも初めてかな。
事務員さんと初顔合わせ。どうぞ、よろしく!
「患者さんから電話があったら、どう対応するんですか?」
「う~ん、始めのうちは私が対応してみて、どういう風にするか考えましょう。」
消防署の火災報知器の検査が入り、冷蔵庫とPCが搬入された。
ネットは繋がったけど、プリンターはまだ来てない。
壁は出来上がり、家具もほぼ入ったのだが、僕と受付のデスクはまだ。PCを床に置いてインストール設定した。
どうも、空調の音がうるさいんですよね。業者に頼んで調べてもらうけど、いまひとつはっきりしない。話すことが商売なんで、よろしくお願いしますよ!
紹介された患者さんから電話が入った。初めての予約だな。
夕方には、前から診ている患者さんがひとりやってきた。待ちきれないよね。済みません。でも、領収書の用意がまだなんで、お代は次回にお願いします。

なんか、疲れたなあ。
大したことはやっていないのだけど、なぜか疲れた。
考えてみれば、仕事も家庭も、日常生活ってほぼパターン化され、次に何が起こるかは枠組みにおいてだいたい予測できる。しかし、今日なんかは次の展開、何が起こるかほとんど予想できない。未知の世界ですな。それが面白いと言えば面白いのかもしれないけど、なんだか疲れた。

夜は明治大でvan der Kolk博士の「震災とトラウマ」の講演に参加した。大ホールに満員の聴衆。タダということもあるけど、震災支援の関心の高さが伺われた。感情の変化が身体に影響することは心身症などなじみ深いが、身体生理学的刺激が脳に刻み込まれた感情の記憶を変化させ、癒しにつながるという構図は目から鱗だった。EMDRなども、大昔前にトレーニングを受けたものの、今ひとつ信じ切れずにほとんど使ってはいない。Psychotherapyも、感情のみならず身体へも働きかけた方が良いのかもしれない。

2011年5月28日土曜日

いつでも更新中

わっ、「いつでも更新中」なんだから、しっかり更新しなくちゃ。

開院準備はいよいよ佳境に入ってきた。
たくさんのことが同時に進行していて頭が混乱してくる。
  • オフィスの内装は順調に進んでいる。部屋のコンセプトを図面に落として家具を選び、壁もほぼ出来上がった。あとは、作り付けのソファと本棚を作り、椅子やデスクを入れれば大丈夫。
  • 知人・友人への開業のご案内は徐々に進めている。ほとんどメールで送っているのだが、手紙の人もいるし、どの範囲の人たちまで送るかもあいまいのまま(しっかり計画を立てる余裕もなく)、思いついた人からどんどん送ってしまっているので、頭の中では収拾がつかなくなっている。きっと、送り忘れている人が後から出てくるんだろうな。
  • 事務員さんもひとりは見つかった。もうひとり探して、ふたり体制でいきたいのだけど、とりあえず初期の段階ではひとりでもなんとかなるか。
  • 死角だったのは保健所への届け。ホントは屋号や内装の設計を決定する前に保健所に相談に行かなければならなかったのね。それを後から気がついて、「もう決めて、進めているんですけど、、、」という段階で相談に行った。今さら、変更しろと「ご指導」が入ったら真っ青なんですけど、幸い、どうにか通してもらえそうだ。診察室に流しが必要です。屋号は「○○クリニック」とか入れてもらえませんかということだが、事情を説明して、「○○研究室」でも通してくれそうな雰囲気だ。ヒヤヒヤものです。
  • ウェブサイトの構築が今の段階では鬼門かな。優秀なウェブ・プランナー/デザイナーさんがどんどん作ってくれるのだけど、僕の原稿の方が間に合わない。いろいろ頭の中にはアイデアがあるんですけどねえ。それを具体的な原稿に起こしていく作業が難しい。
でも、ウェブは重要なんですよ。町のお医者さんみたいに看板を掲げるわけではない、広報手段としてのウェブは高く位置づけている。ホントは後輩の斎藤環みたいな才能があって本をバンバン書ければ一番よいのだが、能力不足みたい。せめて、サイトではしっかり私のこと、研究室のことをアピールしたいなと自分自身思っているんですけどね。

アイデアを文章に起こしていく手段って、デジタル時代になってからたくさんできて、僕も活用しているつもりだ。
アナログ時代には、論文、新聞、雑誌、著書みたいなしっかりとしたマスメディアに載せなくてはならなかった。これは、かなり敷居が高い。
デジタルなら、自分から勝手に発信して、読者と直に結びつき、マスメディアの一方向性ではない、双方向性が実現し、フィードバックも入ってくる。
マスメディアの原稿は、はじめから完成度を求められるが、デジタルなら、あいまいな未完成の段階から、とりあえず載せちゃうことができる。私の考える順番としては、
  1. まず、アイデアの断片をまとまらなくてもいいからツイッターで短く(140字以内で)つぶやく。
  2. それを発展させたり、繋げたりしてブログに載せる。
  3. その中から適当なものを選ぶか、書き足すかして、メルマガ(タム研ニュース)としてメールで配信する。週1回くらいのペースを維持したいのだが。
  4. さらに、その中で保存版のものをサイトに載せて常時読むことができるようにする。
  5. サイトの記事がたまり、十分なボリュームになれば、編集して著書にする。
、、、という流れは見えているんだけど、それを実行したいものですねえ,,,(苦笑)
やろうと思えば、できると思うんです。そのエネルギーは持ってるなとは自覚してます。
でも、コンスタントに原稿書きを維持し続けるmotivationをどうキープするかというあたりが困難ですねえ。
こういう風に、いったん書き始めると、アイデアの放出が止まらなくなっちゃうんですよ。こんなに長くなくていいから、もっと短く、コンパクトにまとめたほうが、読者も読みやすいと思うんですけど、どうも済みません。

2011年4月24日日曜日

被災地レポートのまとめ

2011410-16日にかけて一週間ほど、被災した陸前高田に入りました。私の感じたことも含め、その概要を報告します。

l  私がやったこと
Ø  民間NGOである日本国際民間協力会NICCOが展開する被災者支援チームにボランティア精神科医として加わり、心のケアを行った。
Ø  具体的には、巡回診療で医療支援を行う中で心のケアが必要な被災者と面談し、カウンセリングや投薬などのケアを行った。
Ø  陸前高田市の災害対策本部で毎朝・夕開かれる3つの支援者ミーティング(保健ミーティング、心のケアミーティング、医療ミーティング)に参加し情報交換などを行った。
Ø  支援チームのメンバー10数名とミーティングを行い、心の支援の考え方や具体的な方法などについて紹介した。

l  被災地の現状
Ø  山が海岸線まで迫る三陸海岸にわずかに開けた平地全体に津波が押し寄せ、見た渡す限りの平原が瓦礫の廃墟と化している。高田市(人口23千)の死者・行方不明者は約2500名。一割以上の方々を失った。まさに、戦時中の焼野原に相当する。報道の映像ではなく現場を目の前にすると、自然の破壊力と人間の生活の無力さに人生観が変わるほど強く気持ちを揺さぶられる。
Ø  道路の瓦礫は撤去され、車での移動はスムーズになっている。自衛隊や警視庁の重機が多数入り、私が滞在した1週間の間にも、どんどん瓦礫の山が整理されていた。しかし、まだまだ先は長いと思う。また、道路わきの電柱と電線の工事が急ピッチで進められていた。
Ø  避難所で生活する人々の数は震災直後に比べて減ってきている。残された人々も昼間は瓦礫の撤去などの活動を行い、留守のことが多い。仮設住宅も少しずつ作られてはいるがまだまだであり、親戚・縁者宅などに行く人が多いという。
Ø  高台の家など津波を逃れた地域も多いが、水道、電気、ガスなどのインフラが破壊され、炊事、トイレなどが使えない。生活は自宅でも、食事は避難所の炊き出しでまかなっている方々も多い。

l  心の支援体制
Ø  基本となる生活支援は急ピッチで進められているように見えた。まだまだ復興への道のりは長いが、一部の救援物資は倉庫内に溢れているとも聞く。供給される支援物質・内容と、必要とされる支援物質・内容とのバランスをうまく保つことが難しいようだ。
Ø  私が関わった医療・保健の支援分野では、とても活発であるという印象を受けた。全国から支援チームがやってくる。市・県を単位とした自治体からの保健師チーム、○○医大や大きな病院からの医療チームなどが多数集積してくる。
Ø  それらをコーディネートする機能も生まれている。市の災害対策本部では、生き残った高田市の行政が核となり毎日朝と夕方に30分ほどの支援者ミーティングが行われ、活気に満ちている。30-40名ほど、10-15チームほどであろうか、開始するチームと終了するチームが紹介され、県や市からの連絡事項、それぞれのチームの活動計画・報告などの情報交換が行われていた。
Ø  各地から派遣された保健師チームは、対策本部から地域を割り当てられ、避難所と生活している住居の全戸を訪問し「健康保健調査」が進められていた。3障害(身体、知的、精神)、母子、高齢者介護、高血圧などの慢性疾患などとともに、心の健康などがチェックされる。まだ1割程度の達成だったが、熱心に行われていた。
Ø  医療チームは崩壊した現地の医療システムを補うために、避難所などの巡回診療や、災害本部での仮設診療所などで暫定的な医療が行われていた。

l  心の支援の状況
Ø  生活支援や身体の疾患・ケアなどに比べると、心の状況は目に見えにくい。被災者から心の支援を求められる場面は少ない。
Ø  むしろ、支援者側の「こころのケア」に対する盛り上がりがすごい。心のケアが必要だろうという仮説のもとに、さまざまな支援が試みられている。食事の配給、体を動かしリラックス、エンターテイメントなど、一見関係ないような支援も「心の支援」と結び付けられている。支援者側は、心のケアのニーズを「発掘」しようとがんばっている。
Ø  心の支援が必要なケースは次のように整理できる。
²  1)震災前からあった問題として、
²  a)震災前から治療・支援を受けていた疾患・障害などが、震災により継続が途切れ、それを再開するニーズ
l  例1)50代女性。若い頃リストカットの経験あり。数年前にうつ病で1ヶ月ほど入院したことがある。2年前、突然20代の息子を自死で失う。入院以来、精神科で外来投薬治療を継続していたが、震災で中断している。保健師による家庭訪問により見出され、心のケアチームが訪問し、子どもを喪失した体験などの話を伺った。投薬し、仮設精神科外来に繋がるよう再度家庭訪問する予定。
²  1b)震災による支援により、今まで隠れていたニーズが「発掘」される場合
l  各家庭で閉ざされていた生活が、避難所や訪問支援などにより開かれる。
l  もともと、この地域は心のケア体制は立ち遅れていた。高田市民病院には精神科外来はなく、山間にスティグマ化した旧来型精神病院があるのみだ。震災により心の支援が注目されることによって、事例として新たに見えてくる場合もあるようだ。
²  2)震災によって新たに生まれた問題として、
²  2a) 震災体験がトラウマとなり生活に支障をきたす場合(PTSD
l  家庭訪問などにより、不眠、イライラ感などを訴える人が増えているというが、まだケースとしては多くは浮かび上がらず、潜在化しているように感じる。
l  240代女性。避難所巡回診療に花粉症の薬をもらいに来たついでに相談してみた。軽い不眠。イライラして子どもに当たってしまう。夜勤に行く日の午後になると「気持ちがドカドカする」。震災の晩、多くの人が職場に押し寄せ、暗闇の中、阿鼻叫喚、パニックになった情景が思い出されすくんでしまう (フラッシュバック)
l  例3)40代女性。不眠。津波で床下まで浸水したが、家は無事。震災の当日、空き巣に入られた。余震があると避難しなければならないかもしれない。余震と空き巣ねらいのため眠れない。(眠ろうとして眠れないというより、眠っては安全が脅かされる環境)。保健師により発掘され、一週間後に再度訪問して話を聞くと、「もう落ち着きました。」とのことであった。
²  2b) 震災により大切な人とものを失う喪失体験により引き起こされる問題
l  例4)妊娠8か月の30代女性。結婚数年後にやっと授かった妊娠。夫は地震の救援に当たっていて、メールもあったのに、1時間後に襲った津波により被災。一週間後に遺体が見つかる。職場の同僚もたくさん失った。被災直後は比較的元気だったが、火葬を済ませ遺品を整理してるうちに無口になり食事せず自室にカギをかけ閉じこもる。親が心配してカギを壊して入ると、泣きじゃくり、あの人の所に行きたい(自殺念慮)。一日泣いてばかり。家族がとても心配し、本人も家族も疲弊しきっている
l  例5)幼い子どもと妊娠中の妻と両親を震災で亡くした男性が自殺を図ったが、吊った紐が切れ助かった。心のケアチームと共に隣町の病院を受診し、抗うつ剤を処方され帰宅した。しかしその後、既遂して亡くなった。(伝聞した話で実際に私が体験したのではない)。
l  例6)立ち話で「うちでも、まだ親と妹が見つかってないんですよ~」と語る男性の表情は、喪失の悲しみではなく、大切なものがまだ見つからない当惑を表していた。「行方不明」という喪失は、喪の仕事を始めることができない。そのことが一層心のケアを困難にしている。
²  2c)震災による生活環境の変化による問題
l  例7)40代女性。嫁入りしたが、姑とうまくいかないので別居した。しかし、家が被災したため再同居する。嫁姑関係が悪化し、姑に罵倒され、うつ状態になる。
Ø  心の支援の困難さ。心のケアのニーズは、一見まだ高くない。
²  震災復興を、下記のような3段階に分けてみると、、、
l  Phase 1)危機介入・救命、安全の確保
Ø  生命の危機が回避され、避難所に至るまで。
Ø  避難所生活は安全を確保できるが、水は汲み出し、不衛生な臨時トイレ、食事は配給か炊き出しと、生活のQOLは最低レベル。
l  Phase 2) とりあえず生きながらえる生活の確保
Ø  仮設住宅に至るまで
l  Phase 3) 安定した生活の再建
Ø  QOLを維持し永続可能で自立した生活
²  本格的な心のケアのニーズが被災者からあがってくるのはPhase3以降であろう。今の陸前高田はPhase1を終え、Phase2からPhase3に向かい始めた時期であろう。まだ生活基盤が整わず、生きるのに必死な状況では、心の問題にまで意識が向かない。被災者と立ち話すると、悲惨な状況を淡々と特段の感情を伴わず語っている。
²  東北は「ガマン」の文化と言われる。過去に何度も津波災害に見舞われ、陸の孤島として他の地域から隔離されてきた地域性がそのような心性を生んだと言われるが、(例1)、(例2)のように落ち着いて話を伺う機会があれば、たくさん気持ちを話してくれた。心のケア体制がない中で生まれた「ガマン」文化の言説ではないだろうか。
²  (例4)、(例5)のように震災により自殺など心の危機に直面している方々もいる。地元の保健師さんの話によると、元来、この地方の自殺率は高く、震災後、3月の統計によると、自殺者が増加したわけではないという。しかし、今後、長期に渡り被災者たちを注意深く見守る必要はある。

l  支援者について
Ø  全国的、全世界的に支援の輪が広がっている。海外の友人や学会からも、支援の手が差し伸べられている。
Ø  支援者にとっても、ショックな体験だ。私も滞在期間中に状況をネット(ツイッターやブログ)を通じて自分自身の体験と感情を表出せずにはいられなかった。それが、結果的に多くの人々とつながることになった(ツイッターで震災体験を呟き始めて、フォロワーが一気に100人以上増えた)。
Ø  陸前高田で見る限り、支援者のインフラも整いつつある。私は寝袋を持参して、避難所的な生活を想像していたが、加わったNGO組織が陸前高田市の近隣の町に宿泊を、そして移動の車なども用意してくれた。普通の食事とお風呂も、電気も、ネット回線もある生活だった。他のチームも同様な状況のようだ。
Ø  個人ベースでやってくるボランティアのための受付センターも整っていた。専門スキルではない一般のボランティアがどのような動きをしているかは、今回みることができなかった。
Ø  全国各地からやってくる多様な支援者たちをどうネットワークしていくかが今後の課題だ。医療と保健分野では、地元の行政が中核となってミーティングなどまとめているが、彼ら自身が被災者で、数少ない人数で大量の業務をこなしている。彼らのバーンアウトが心配だ。
Ø  病院や各地の行政から送られてくる支援者は、数日単位で入れ替わる。申し送りがされているものの、支援の連続性をどう保つかが問題だ。
Ø  より効果的なネットワークを誰が、どのような形で構築してゆくのか。刻々と変化する支援ニーズを的確にとらえ、支援者たちに伝え、効果的に支援してゆくためのネットワーク機能についても長期的、全国レベルでの支援が必要だ。
Ø  地元と外来の支援者間のネットワークは工夫が必要だ。病院や学校など、地元の機関も被災して部分的に機能が失われている。外来の支援者たちは短期的で入れ替わりが激しい。両者で話し合いの機会を試みても、心情的にうまくいかない例がいくつか見られた。
Ø  支援者自身の心のケアをどう考えるかも重要な課題だ。被災者に接することで、支援者もトラウマを受ける(二次受傷)。それをうまく消化しないと、燃え尽き(バーンアウト)につながる。
²  特に、地元の被災者兼支援者である人は、被災による一次受傷と支援活動による二次受傷が重なり、より多くのストレスを受ける。
²  外部からやってくるボランティア支援者たちの動機についても注目する必要がある。既存の社会に軽い不適応を感じ、自分探し、居場所探しが無意識の目的となっている人も少なくない。
²  (比ゆ的に表現すれば)支援者自身の心の揺れを自覚する必要がある。今回のような大震災は、人々の心にも余震を残す。震災以前から自分の揺れを持っている人ほど、共感能力が高い。しかし、支援者自身の心の基盤がぜい弱だと、二次受傷のために崩れてしまう危険性も持つ。
²  それを予防するためにも、支援者のセルフケアが必要となる。たとえば、支援チーム内でミーティングを開き、業務連絡とは別に、自分自身の支援体験と巻き起こされた気持ちを表出し、クールダウンできる機会を設けるなどの対策が必要だ。

l  今後に向けて
Ø  私としても、日常生活の合間を縫い、支援を継続してゆきたい。効果的な支援を行うために、いくつかの可能性が考えられる。
Ø  精神科医の立場では、ふたつの支援モデルが考えらえる。
²  医学モデル)統合失調症、内因性うつ病など薬物・入院治療を必要とする方々を中心に、震災で失われた病院の機能を代替するために、臨時の診療体制を支援し、永続的な診療体制の復興へ向けて支援する。陸前高田市では、私が滞在している間に東京都の医療チーム(松沢病院が中心だった)が、震災対策本部の仮設クリニックに週1回午後だけの精神科外来を設立した。
²  心理社会モデル)地震・津波という恐怖体験によるPTSDや、愛する人や家財を失った悲嘆反応によって引き起こされる心の問題は、対症療法としての入眠剤や精神安定剤は一時的な解決にしかならず、信頼できる人との繋がりの中で復興できる。それは保健師、心理カウンセラー、教師、ボランティア相談員、地域コミュニティーのリーダーなどが活躍する分野である。精神科医としては、1) これらの人々をつなぎコーディネートする役割、2) 医学モデルとの峻別、あるいは、3) 支援者への後方支援(バーンアウトの予防・対応)が主な役割になるであろう。
Ø  私の所属する家族療法学会では、震災支援委員会が立ち上げられた。特に家族支援について、学会レベルで何ができるか検討する。
Ø  3月に国際家族療法学会に出席し、世界の家族療法家からの応援を受けた。世界の関心も高いことを実感した。6月にはアメリカ家族療法学会に出席し、特別に日本の震災についてのワークショップを開いてくれることになった。海外からどのような支援を受けられるか検討する (Boss, 2003. 2006; Landau, 2004, 2008)
Ø  私が理事を務める「いのちの電話」では、暫定的に「震災いのちの電話フリーダイアル」を立ち上げた。電話相談についても、さまざまな団体からの支援がすでにあり、混乱気味だ。今後、この活動をどう発展できるのか検討する。

l  文献
Ø  Boss, P., et al. (2003) Healing loss, ambiguity, and trauma: Families of union workers missing after the 9/11 attack in New York City. Journal of Marital and Family Therapy, 29 (4) 455-467.
Ø  Boss, P. (2006) Loss, Trauma, and Resilience: Therapeutic work with ambiguous loss. Norton.
Ø  Landau, J., Mittal, M., and Wieling E. (2008) Linking Human Systems: Strengthening individuals, families, and communities in the wake of mass trauma. Journal of Marriage and Family Therapy 34(2) 193-209.
Ø  Landau, J., and Saul, J. (2004) Facilitating Family and Community Resilience in response to major disaster. In Walsh, F. and McGoldrick, M. (Eds.) Living Beyond Loss: Death in the Family.