2010年4月18日日曜日

なぜ方向転換するのか?(その1)

1)小さい頃からの夢

原体験としては、高校3年のアメリカ留学時代。医者になりたいというおぼろげな将来の夢を聞いたhost motherが、自分のかかりつけの精神科医に僕を紹介してくれたんですよ。
「Tiki、私(host mother)の先生に会いたい?とても素晴らしい先生なのよ。優しいし、週末には家族とよくテニスしてるし。」
近くの町のクリニックの小さな診察室で、17歳だった私が始めて精神科医に出会い、握手したことは、今でもよく覚えています。中国からの東洋系アメリカ人。日本にもふつうにいるようなおじさんだったけど、host motherはとても尊敬し、誇りを持って僕に紹介してくれたんです。
日本では、精神医療や精神科医は闇の世界、自分が精神科にかかっていることは隠そうとするし、ましてや友人や家族に紹介したりしません。でも、僕の精神科医のイメージはその時、ほんの数分会っただけの彼から来ています。患者から、地域の人々から認められている人。アメリカ映画によく描かれている精神分析医もモデルになった。
その後、日本の医学教育や研修医時代に出会った精神科医や精神医療とは大違いでした。時代と共にずいぶん変わってきたとはいえ、精神医療に対する社会的偏見は根強いものがあります。「狂った人」を精神病院に収容するイメージ。一度入ったら二度と出られない。ジャック・ニコルソン主演の「カッコーの巣の上で」(One Flew Over the Cuckoo's Nest. 1975年)と今の日本社会はそれほど変わっていません。タブーな世界としての精神医療。病識のない患者さんとその家族から恐れられている精神科医。薬物療法が中心で、精神療法(カウンセリング)を希望して長く話したがるやっかいな患者は臨床心理士にオーダーを出して、まるでレントゲン検査か血液検査のように患者さんの心を評価しようとする医者たち。それが僕のかけ出し医者時代に経験した日本の精神医療でした。
僕がやりたいのはそういう古い体質の精神医療ではない。夢と希望を持てるような、positiveでproactiveな精神医療。
既存の精神病院で働くつもりは全くありません。今までの日本の精神医療との伝統とは全く違うところで、僕の考える、人々にとって、本当に力になれる医療を目指したい。それは、

  • 十分な時間をかけた、ゆっくりとした深い対話。
  • 薬の処方は二の次。必要な場合には使うけど、一番大切なのは会話。
  • エコロジカルなモデル。個人の病理(生物学・医学モデル)のみならず、環境の要因、つまりその人の生い立ちや家族・地域・社会・文化との関わりにも注目した支援。

そんなことを目指します。

日本の精神医療では、精神科医と心理士の役割が切り分けられ、別々になってしまった。
精神科医=生物学(医学)モデルによる薬物療法。
心理=心理学モデルによるカウンセリング。このように分かれてしまった理由は、心理士には十分な医学教育が含まれていないからしかたがないとしても、精神科医は両方のモデルを使えるはずです。でもそうならない理由は:
1)医学教育における心理学モデルのトレーニングの欠如。医者の学部と卒後教育は医学モデルに大きく傾き、心理学モデルがほとんど教育されません。少なくとも僕が30年前に受けた教育はそうだった。今は、エコロジカル(生態的)な時代です。Bio-Psycho-Socialの3つのレベルを重ね合わせた多重的なアプローチが必須です。特に精神医療の場合には。
2)医療保険制度の弊害。時間をかけた良質な精神療法に対する評価が組み込まれていない。今年の改定でも精神療法は5分以上で330点(3300円)、30分以上でも400点(4000円)。時間をかけても報酬がほとんど変わらない。それより、診療自体は短く切り上げて、薬をたくさん処方して、検査をたくさんしたほうがはるかに点数(=収入)を稼げる。
それでは、時間をかけた精神療法の点数をもっと上げれば良いのでは?
すると、こんどは時間をかけた精神療法の質をどうやって客観的に評価するかという問題に直面する。薬や検査の質、つまり効き目は客観的に評価可能だ。でも、精神療法は基本的に会話:おしゃべり治療だからね。ちゃんとトレーニングやスーパービジョンを受けて、深いところまで理解して効果を上げる場合と、治療者が何にも分かっておらず、見よう見まねの役に立たないおしゃべりだけで時間を潰すのか、その両者をどう見分けるか。本当は、目に見えないpyschotherapyに対するoutcome researchが必要なんだけど、なかなかそこまで研究が進んでいない。だから、もし仮に時間をかけた精神療法の点数を引き上げたら、売れない、腕の悪い精神科医が、あまり患者が来ないので、ひとりの患者をダラダラ長く診て、何もしていないのに点数を高くもらっちゃうという現象が起きるのでは。
だから、カウンセリングの効果をどうやってクライエントに示すのか。Evidence Based Medicineが必要な時代、psychotherapyにおけるevidenceとは何なのか?
治療を受けて、はい良くなりました、主訴が解決しました、症状が緩和しましたというoutcomeが必要なわけだが、それをどう測定するのか?
まず、ひとつ考えられるのは、クライエントの評価です。治療が終わった段階で、あるいは途中経過の中で、主訴の改善はこれくらいですとfeedbackしてもらう。紙に書いて、あるいは口頭で。それできるか?クライエントに負担がかからないか?正直な客観的評価が可能か?
もうひとつ考えられるのは、治療者側の自己評価。カウンセリングがうまくいっているか、効果が上がっているか、チェックリストを作る。でも、自分自身で客観的に評価できるのだろうか。恣意的・自己愛的に、甘くなりはしないか。
そういう意味で、もっと分かりやすいのは、治療の物語を記述することかもしれない。治療の効果がわかり、クライエントが呼んでも納得できる物語。ベストは、クライエント自身もその記述に参加してもらうこと。
(続く)

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